~逢瀬~
*気づけば、撫子は浅葱色の空間にいた。
おかしい。
川に落ちたはずなのに、髪も衣も乾いている。
だが、白夜による夢ではない。
白夜の霊力や気配を感じないからだ。
ここは、どこだろう。
「……誰?」
背後からの声に、完全に油断していた撫子はびくっと体を震わせた。
あわてて立ち上がってふりかえると、そこには少女がいた。
「え……!?」
「な……!?」
双方ともに言葉を失った。
少女はひどく撫子に似ていた。
いや、撫子が少女に似ているのか。
かちりと記憶の欠片があてはまった。
思い出した。
彼女は夢で見た。
彼女は―――――――――
「カエデ、さん……?」
「っ!!」
少女、カエデは、はっきりと驚きの表情を浮かべた。
やはりそうだ。
カエデ。
撫子の、セナの、ナギの先祖。
全ての始まり。
様々な男を狂わせるほどの美貌を持った白銀の巫女姫。
夢の中で見るよりも、こうして近くで見る方がずっと壮絶なまでに美しい。
しかし、その藍の瞳には陰りが見えた。
夢で見た時よりもやつれているように見える。
なにかつらいことがあるのだろうか。
「あなたは……何者なの?」
カエデは警戒もあらわにこちらを見つめてくる。
そのたおやかな手はいつでも腰にはいた刀を抜けるようにそのつかにかかっている。
……見た目が超絶な美少女なのに、なんなのだこの熟練の侍のような殺気は。
「ま、待って!!
私、あなたの子孫なの!!」
「……はい??」
カエデはいぶかしそうな表情だ。
なにか証拠を示さねば。
「そうだ!!
私、言霊を『話せ』ます!!
それで、信じてくれますか?」
すっと息を吸い込んで霊力を練り上げる。
何を『話そ』うか。
やはり、得意な言ノ葉がいい。
そうだ。
カエデの腰にある刀と同じものを作ろう。
銀を操る言霊。
『精せ――――――』
「やめて!!」
鋭い声にびっくりして、撫子の言ノ葉は途中で止まった。
一方のカエデは複雑そうな表情を浮かべている。
「声を荒げてごめんなさい。
あなたを信じるわ。
言霊は……我が影水月一族の分家の者しか『話せ』ないもの」
撫子はほっと息を吐いた。
とりあえずは切り殺されないらしい。
「でもね、言霊は不用意に使ってはならない。
今の一族に掟はないの?」
「え、なにも……」
掟……?
なんの話だろう?
「……そう。
少しだけ、貴女がうらやましい。
でも、言霊を『話し』ていいのは……」
そこで、カエデは少し迷ったように口を一瞬閉じた。
「いいのは……大切な人を守るときだけ」
暗いものを背負っている目だった。
ぽつりとこぼされた言葉。
どうして、カエデはこんなに悲しそうなんだろう。
「言霊を使えば、自然の摂理をすべて捻じ曲げることとなる。
死すべきものを生かすこともでき、生きるべきものを殺すこともできる。
……だから、不用意に使わないで。
使っては、ならないの」
「……はい」
祖の言葉。
それが、ひどく重く自分の胸に刻まれる。
今まで、ほいほいと言霊を口にしてきた自分が恥ずかしくなる。
そうだった。
言霊は、人をも殺せる道具だった。
どうしてそれを忘れていたんだろう。
言葉に命を宿らせる者として、決して忘れてはならないことだったのに。
「まじめな話はここまで。
ねえ、お名前を教えてくれない?」
「撫子、です」
「なでしこ……」
カエデがゆっくりと撫子の名をなぞるようにしてつぶやいた。
「良き名だわ。
野に咲く可憐な花の名ね」
いえいえ。
あなたのほうこそ花のように美しいですよ、
と言う内容のことを口に出しそうになるほど愛らしい笑みをカエデは浮かべた。
それがやがてすっと消える。
「ねえ、あなたのお話が聞きたいわ。
……私の憂いを払ってくれる素敵な話」
カエデはひどく乾いた声でそう言った。
~数分後~
「そう……。
撫子も、言霊の力のせいで苦しんできたんだね……」
撫子はこれまであったことのほぼすべてをカエデに話した。
カエデは、御言葉使いである者の苦しみを理解できる数少ない人だからだ。
彼女はやはりどこか哀しそうだった。
だから撫子は、レイヤがあなたの騎士になるんだよ、
とだけはカエデに言えなかった。
「その、白夜という人、燈紗門一族の者だって、言っていたの……?」
「はい。
夢の記憶の欠片の中で……」
「そう……」
カエデはそのまま考え込むように顔をうつむけた。
燈紗門という一族が一体どうしたのだろうか。
それほどなにかひっかかるのだろうか。
「燈紗門一族はね、私の一族の神社の宮司を、代々務めている一族なの。
その中の一人、私の幼馴染であるホムラ兄様は、私の姉上の婚約者、なの」
「え……!?」
意外なところで、白夜と自分の先祖との関係がわかってきた。
白夜は、セナと全く関係がないから求婚してきたのではない。
むしろセナと遠い昔に関係があったからこそ、求婚してきたとしたら。
「でも、それだけで、あそこまでセナにこだわるかな……?」
「私は、ホムラ兄様を拒んだ……」
突然変わった話の内容と、そのずぅぅぅんっと沈んだ声のテンションの低さに
撫子はおもいっきりのけぞった後、カエデにつめよった。
「えええ!?
そのホムラさんって人、カエデさんのお姉さんという立派な婚約者がいるのに、
カエデさんにまで手を出そうとしたんですか!!??」
「ち、ちがうちがう!!
私は今、姉上の身代わりとして敵の神社に身を置いている。
……人質として」
なるほど。
カエデのいた時代では、人質とかそういう物騒なことが当たり前の世の中なのだ。
「それで、ホムラ兄様が、私を助けに来てくれたの。
でも、私は、ホムラ兄様を拒んだ」
「えええ!!??
なんで!!??」
理解できない。
故郷に帰ったら、家族にも会えるだろうに。
「……私は、決して恋をしてはいけない人に恋をしてしまったの。
その敵方の神社の……忍びの頭目に。
絶対に好きになってはいけない人を、好きになってしまった。
だから、ホムラ兄様を拒んだの。
私には……故郷に帰る資格など、もうないのだから……」
カエデはカゲアミトーンを背景に、そのままうつむいてしまった。
(なんつーネガティブな!!)
カエデは、少しあっけにとられてしまった。
なんだ。
こんなに絶世の美少女でも人間なんだ、と当たり前のことを思った。
話がどんどん暗い方に流れて行っているので、撫子は話を変えることにした。
「で、でも、そのことと、白夜さんがセナにこだわるのはどういう関係が?」
「ホムラ兄様は、私を助けられなかったこと、きっとすごく後悔している。
……とても、優しい人だから。
その後悔の記憶が、もし、その白夜という人に受け継がれているとしたら……?」
「……え?」
後悔?
記憶?
受け継がれる?
「ごくまれに、人間の霊力はその者の記憶や強い感情や想いと共に、子孫まで受け継がれることがある。
撫子が夢として見てきた私の子孫の物語もそう。
それは、夢幻の術なんかじゃない。
白夜という人は、撫子の奥深くに眠っている太古の記憶の封印を少し解いただけ。
おそらく……白夜という人も、撫子と同じように夢に囚われている。
だから、セナにひどく執着したんじゃないかな」
「……」
カエデを救えなかったホムラの後悔の記憶と罪悪感から逃れるために、
その子孫たるセナに執着した。
婚約者にもなった。
……だけど、何故、その子孫たる撫子にはそれほど執着を見せないのだろう。
どちらかというと、セナという存在に執着しているように見える。
それに、何故、彼はまだこの世に存在しているのか。
それは、今の時点ではまだわからなかった。
「あ、ねえ、せっかくだから、コイバナしましょうよ!!」
そうだ。
自分のご先祖様とお話ができるなんて機会、そうあるもんじゃない。
こんな暗い話ばかりしていないで、楽しい話もしたい。
「……こいばな。
鯉鼻……?」
「違います!!
恋の話です!!」
「こっ、こここここここここここここ恋っ!!??」
……この人は、さっき自分で、
好きとかそういう単語を連発していたんじゃなかっただろうか。
「そうだなあ……あ。
じゃあ、好きな人のどこを好きになったんですか?」
「ひ、ヒタギの!?」
カエデが悲鳴のような声をもらした。
ヒタギってカエデの旦那さんになる人の名前じゃなかったっけ。
そう思っていたら、カエデが猛然と話し出した。
「聞いて!!
ヒタギってばひどいの!!」
「は、はあ……」
恋バナのはずが愚痴大会になってしまうのだろうか。
「色気むんむんで、女の私よりもずっと綺麗なの!!」
……こんな絶世の美少女よりきれいって、なんなのだ。
なんつー男だ。
女の敵だ。
「そのくせ、武道は私よりも強いし……」
そりゃそうだろう。
忍びの頭目なのだから、巫女よりも強くて当然だ。
今、撫子の脳内では、ダヴィデ像のような肉体をもつエロス神がヒタギと定義されている。
「ベタベタ触ってくるし!!
すぐ抱きついてくるし、抱き上げるし!!」
撫子のヒタギの定義に、チカン、が追加された。
「私をおいてすぐ任務に行っちゃうし!!」
さらに、放置プレイ、が追加された。
「……よくそんな人好きになりましたね……」
「私もなんで好きになったのかよくわからない……」
げっそりとした表情でカエデがつぶやいた。
その表情はやはり暗い。
「でも、気づけば目で彼のことを探してしまう。
抱きしめらたら、ずっとこうしていてほしいって思うの。
かわいい、とか言われたら、もう私どうしようもなく舞い上がっちゃって……」
その瞳は完全に恋する乙女のものだった。
撫子はその美しく悲しい瞳に見入ってしまった。
恋をすると女は美しくなる、と言う言葉を体感した。
カエデは、美しい。
悲しくなるほどに。
「でも、それは……すべて、姉上のもの」
そうか。
姉の身代わりをしてカエデは敵方の、そのヒタギという人の元にいる。
予想外に大切にされて、ヒタギという人を深く知って、恋に落ちてしまったのだ。
それが決して許されないものだと知りながら、想いを止められなかったのだ。
きっと今、カエデはかなわぬ恋の苦しみに嫉妬と、罪悪感の板挟みになっている。
「姉上じゃなくて、私を見てほしいって思ってしまう。
私を愛してほしい、って思ってしまうの。
決して望んではいけないことなのに。
そんなこと、叶いはしないのに……!!」
悲痛な叫びだった。
撫子は、このような強く、悲しく、美しい先祖たちの想いに打ち勝って、
自我を保たなければならないのだ。
「ヒタギが私に微笑んでくれるたびに、姉上に醜く嫉妬する私がいるの。
私じゃなくて、姉上が来ていたらこんな表情も見せてたのかもしれないって。
そのたびに下劣な女に成り下がっていくみたいで……本当に、いやになる……」
だから、カエデはこんなにやつれているのか。
叶わぬ恋に苦しんでいるから。
どうして自分の先祖たちは、こんなにも哀しい恋物語ばかりを紡ぐのだろう。
「カエデさん」
座りこむカエデの前にしゃがむ。
カエデがうつむけていた顔を上げた。
美しい、美しい瞳だった。
その奥に、悲しみと、この世の理と、狂おしい想いを秘めた、愛に飢えた青い瞳。
「カエデさんは、綺麗」
撫子は、自分がとてもきれいだということを知らない少女にそう言った。
「とっても綺麗なの」
カエデは不思議そうに瞬きを繰り返す。
やがてその唇がわずかにほころんだ。
「―――ありがとう、撫子」
哀しみのぬぐえぬ、だけどとても綺麗なほほえみだった。
ピシッと音を立てて、空間が割れた。
「な、何!?」
そう叫んだ撫子の足もとに太くて黒い大きなひびが入った。
それは主に撫子が立っている空間に枝分かれしている。
「撫子の体が目覚めそうなんだね」
「目覚める??
私はここに……」
「気づかなかった?
ここに満ちている霊力は月のもの。
月の霊力が時空間をねじまげて、月光の元で眠る私たちの魂を合流させたんだと思う」
月に霊力があるなんて聞いたことがない。。
しかもこれはあれなのか。
リアル幽体離脱なのか!
どうりで、髪や衣が濡れていないわけだ。
「また、会えますか……?」
崩れゆく浅葱の空間の中で、撫子はカエデにきいた。
カエデは困ったように微笑んだ。
「たぶん……無理だと思う。
私たちが出会えたのは奇跡のような偶然がたくさん重なってからのこと」
なんてことだ。
カエデには、まだ聞きたいことがたくさんあるのに。
ピシッとひときわ大きい音を立てて、空間が割れた。
蜘蛛の巣状のひびが入った足元がぐらつく。
「残念だな。
こういう場合、過去の者はこの逢瀬は忘れてしまうの。
歴史を変えぬために」
「私は、忘れませんから!!」
撫子は叫んだ。
カエデが驚いたように目を見開く。
「カエデさんがたくさん傷ついても、くじけなかったこと、忘れません!!
あと恋バナも!!
私、ご先祖様の魂の記憶に負けませんから!!
だから、カエデさんも負けないで!!」
なんだこれ。
なんのエールだこれ。
言った後に猛烈に恥ずかしくなってしまったが、それと対照帝にカエデは微笑んだ。
その瞳が鮮烈な青に輝き、髪は銀糸となって風もないのに舞い踊った。
その滑らかな左頬に浮かぶのは鎖を模した青い証印。
言霊を扱う者の証であり、縛るもの。
そっと唇を開く彼女は今まで見てきたどんなカエデよりも美しく……哀しく見えた。
唐突に思い出す。
言霊は、大切な人を守るためだけにしか『話し』ちゃだめなはずだ!!
静止の声を上げる前にその言ノ葉は紡がれた。
『汝に祝福を』
圧倒的な霊力。
空間がそれに埋め尽くされていく。
撫子は声も出なかった。
言ノ葉が単語じゃない時点でかなりの霊力を消費するはずなのに、カエデはまた口を開いた。
『我が祝福は汝のたおやかなる手に絡みて青き星を抱き輝く』
撫子の左手首に何かがまとわりついた。
黒い組みひもに青玉をあしらった腕輪。
撫子は驚いてカエデを見た。
「撫子に、それを、私の祝福を贈るね。
きっと困ったときには撫子を救って、導いてくれるはず。
撫子が苦しんでいるのは、我ら一族の遠き昔より続く哀しき鎖が源。
私が代わりに謝罪と願いを込めて、祝福します。
われら一族の縛りをどうか断ち切ってほしい。
身勝手なお願いだってわかっているけど、お願い」
撫子は、カエデになにも返せない。
過去を変えるわけにはいかぬのだから。
だから。
「ありがとう……カエデさん」
撫子はまっすぐにカエデを見た。
「私、負けませんから」
貴女の、過去の哀しい記憶にも。
魂の記憶にも。
運命にも。
そして、その言葉が合図になったかのように、浅葱の空間が砕け、黒き闇が広がる穴があいた。
足元が崩壊する。
「撫子」
体のバランスを崩しながら、重力に従って体が落ちながらも、撫子はカエデを見た。
闇に落ちていく。
未来に、向かっていく。
「あなたに、会えてよかったよ」
ああ。
散っていく浅葱の欠片が花弁のようだ。
手を伸ばしても触れられない。
指の間をすり抜けていく。
「カエデさん。
……私もです」
あなたに、会えてよかった。
浅葱のか破片とともに闇に落ちながらそう呟いて、撫子は意識を闇に溶かした。