6章 寝不足です 続き
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~セナの記憶の欠片~
*頭が痛い。
右足首もじくじくと熱を持ったように痛む。
あまりの痛みに、地面に倒れたまま、体を動かせない。
ああ、崖から落ちたんだった。
おそらく、頭を強く打って、さらに右足首もくじいたんだろう。
タスク。
こんな時でも、頭に浮かぶのは彼だけだ。
いつだって、私を助けてくれた、支えてくれた騎士。
どうか、助けに来てほしい。
淡い願いが胸に灯る。
どれほど、地面に倒れたままでいただろうか。
ぼんやりとした視界の中、突然ふっと影が落ちた。
人の気配。
期待が心を埋め尽くす。
ああ、胸がどうしようもなく踊る。
「たす、く……?」
私の目の前にいる人が、ふわりと私の前にしゃがんだ。
ふわりと香る、しとやかな香の匂い。
「巫女姫。
私だ、白夜だ。
ああ、急には動かずに」
「……っ」
違った。
違った。
彼じゃない。
タスクじゃなかった。
タスクは、来てくれなかった。
白夜様が丁寧な手つきで、地面に倒れている私を抱き上げた。
「貴女の騎士殿は、私の妹を救いに行ってくださっている。
どうも、盗賊に襲われたらしく。
私は、貴女の姿が見あたらないと聞いて、急ぎ馳せ参じた。
遅くなって……すまない」
「いいえ…いいえ…。
……申し訳ございません、白夜様」
そうか、タスクは蝶姫を選んだのか。
当たり前のことだ。
婚約者を救いに行くのは。
なのに、その事実にうちのめされている自分がいる。
「申し訳ありません……」
白夜様が私を抱き上げたまま、歩き出した。
頭が痛くてうまく考えられない。
私がもう一度謝ったら、白夜様は苦笑なさった。
「いつか言われてみたいものだ。
謝罪の言葉でなく、助けに来てくれてありがとう、と」
「も、申し訳ございません……」
「私は、貴女の夫となる男だ。
だから、少しずつ慣れていってほしい。
貴女の騎士殿でなく、私が助けに行くことに」
「……はい」
いつか、来るだろうか。
白夜様が助けに来て下さることに慣れる日。
タスクが助けに来ないことに慣れる日。
来るといい。
そうすれば、こんなにも苦しくなることはないだろうから。
~タスクの記憶の欠片~
おれは、木の影に身を隠して立ったまま、動けなくなった。
少し向こうには、セナが見える。
彼女は地面に倒れていた。
顔から血の気が引いた。
やはり崖から落ちたのだ。
駆け寄ろうとした。
だが、おれよりも早く、彼女の元に駆け寄った者がいた。
あの白髪の美しい男。
白夜だ。
セナの、婚約者。
おれは、木の影から動けなくなった。
「……は」
唇から自嘲が漏れた。
そうだ。
あいつらも言っていたじゃないか。
おれは、もうセナの騎士じゃないって。
「何を……やっているのだろうな……おれは」
自分の婚約者をほって捨ててまで、主だった娘を救いに行ったらこのザマだ。
自分のまぬけさに反吐が出る。
おれは、それでも動けなかった。
ただ、白夜に抱き上げられて、運ばれていくセナを木の影から見送っていた。
「おれは……」
あの場所にいた。
彼女の傍、という場所にいた。
本来なら、彼女を抱き上げて運ぶのはおれの役目……だった。
だが、もう戻れない。
彼女を守っていいのは、あの男だけなのだ。
あの、白夜という男だけ。
セナの婚約者。
焼けつくほどの羨望が胸を焦がす。
ようやく、今になって父の言葉を理解した。
早く、セナを忘れろ、諦めろ、とはこういうことだったのだ。
でないと、今みたいに、滅茶苦茶に精神を打ちのめされるから。
「……は」
また、自嘲がもれた。
自分のあまりの女々しさに、嗤って(わらって)しまった。
自分に、こんなにも女々しい所があるだなんて、知らなかった。
こんなにもはっきりとおまえの居場所はセナの傍にもうないと示されたというのに
……おれはまだ、彼女をあきらめていない。
「――――――行かねば」
おれの、婚約者殿の元に。
彼女を救いに。
婚約者としての「義務」を果たしに。
おれはのろのろと動き出した。
体が鉛を詰め込まれたかのように重い。
わかっていた。
わかっていたんだ。
あなたには、相手がちゃんといるって。
それが自分じゃないって。
でも、期待してしまう。
望んでしまう。
どうか、自分を選んでほしいと。
おれは――――――――――――
ああ
私は―――――――――――――
それでも、あなたを――――――――――――――――――――――――――――
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『撫子!!』
水中から引きずり出されるようにして、夢が消えた。
「――――――っ」
目に月明かりが飛び込む。
いや、朝日なのかもしれない。
ほのかな光に照らされたのは、すぐ近くにある必死の表情の青年の顔。
美しい獣の瞳。
ダレ?
この人は、誰だっけ?
ここは、どこ?
私は、ナニ?
私って、なんなの?
セナ、セナ、って呼ぶ声が耳の奥でこだまする。
私は、誰だっけ?
私は、なんだっけ?
「撫子!!」
その鋭い声に頬を打たれるような気がした。
ぼんやりと青年の顔を見かえす。
精悍な顔つき。
少しかすれた声。
誰だっけ?
すごく、大切な人な気がする。
「おい、しっかりしろ!!
夢などに囚われるな!!」
夢?
先程のは、夢なのか。
違う。
あれは、過去。
事実、起こってしまったこと。
「……戻って、こい。
撫子」
強く、強く、抱きしめられた。
これ以上強く抱きしめられたら、
この人の体の中に溶けていなくなっちゃうんじゃないかってくらい。
強い獣の瞳。
こんなにも、強く呼んでくれる。
ああ、この人は――――――
「け、い……?」
金色の目が見開かれた。
ただその琥珀色を綺麗だなって思った。
頭が重い。
上手く考えられない。
「……私、誰?」
ぽつりとつぶやきがもれた。
私を抱きしめる手に力がこもったのを感じた。
「おまえは、撫子だ」
一語一語を噛みしめるように、慧は言った。
彼がひどく緊張しているのが伝わってきた。
コップいっぱいの水をこぼさないようにするみたいに、
ひどく慎重に言葉が紡がれる。
「撫子、だ」
「なでしこ……」
意識が少しずつ鮮明になる。
記憶が、戻る。
手足に力が灯る。
世界が色を取り戻す。
そうだ。
私は、撫子。
セナ、じゃない。
なでしこ。
私は、撫子。
撫子。
「…あ…」
意味もなく、声が出た。
ぷつりと何かが切れたかのように、涙が眼の端からじわりと滲んであふれた。
「あ、ああ……」
撫子は、慧にしがみついて声を上げて泣いた。
「わ、私、私は!!
私は、撫子なの!!」
「ああ……。
おまえは、撫子だ」
セナじゃない。
全然違う。
違う!!
「怖い!!
怖いの!!
私が、私でなくなっちゃう!!」
慧に必死にしがみついた。
夢におぼれてしまわぬように。
己を見失わないように。
「おまえは、撫子だ」
涙が止まらない。
助けて。
「撫子」が消えてしまう。
「セナ」に埋め尽くされてしまう。
でも、慧は変わらない。
夢の洪水の中の一本の揺らがぬ柱。
「……助けて、慧……!」
慧に迷惑をかけてしまうとか、そういった考えは全部とんでいっていた。
恐怖だとか、焦燥だとか、そういうもので頭がいっぱいだった。
撫子は、ひたすら慧にすがりついて泣いた。
慧は、その間、ただ撫子をだきしめていた。
*慧は撫子が落ち着くまでずっと待ってくれていた。
ようやく落ち着き、撫子は今まであった全て、夢の内容や、
和火の先祖が自分の先祖の騎士だったこととか、
そういうことをすべて慧に話して、彼から特大の雷を受けた。
「…んの、大うつけが!!
大事なことは、もっと早くに言え!!うつけ!!」
「ひ、は、はひい!!」
至近距離で、ヤバすぎる顔と声で舌打ち交じりに怒鳴られ、
撫子は心の底から震えあがった。
今まで見てきた中で、特大の怒りが慧を支配している。
怒鳴っても、まだ怒りがおさまらないらしく、
慧は二度も全力のデコピンをお見舞いしてきた。
「あ゛うっ!!」
額をおさえて、涙目で慧をの顔を見る。
すると、慧は顔を歪めた後、撫子をぎゅっと抱きしめた。
(や、ややや、ヤバいヤバいッッ!!
慧、私のこと絞め殺す気だ!!)
慧の腕の中で、命の危機を感じていたら、彼はぽつりとつぶやいた。
「なんで……おれを頼らねえ?」
「慧!!慧!!
命というのはですね、宇宙の神秘から始まり、そこに奇跡と奇跡が積み重なって、
ようやく生まれる尊い………え……?」
慧に命の重要性を説こうとした撫子は、きょとんとした。
……頼る?
「け、慧……?」
「最初に会ったとき、巻き込まれてやるから全て話せって言ったよな。
……なのに、何故、おまえはおれを頼らねえんだよ。
そんなに……おれは、頼りねえかよ」
「……」
どんな顔をして、言ってくれたんだろう。
慧は優しい人だ。
それに、今となっては、大切な人。
失えない人。
だからこそ、これ以上、巻き込みたくなかった。
それは、まぎれもなく事実だ。
「おまえが寝ちまった後、…その、礼を欠いているのは承知で、
おまえの寝ている部屋に入って、寝ずの番をするつもりだった。
……悪い夢でも見ているなら、起こしてやろうと」
撫子は慧の腕の中でうめいた。
寝顔を見られた。
女子としてあるまじきことだ。
「……そしたら、寝ているおまえから異質な霊力を感じて、
急いでおまえを起こしたが、おまえが死んだように眠っている。
……まったく、肝を冷やした」
「……」
撫子はこのまま塵になって消えてしまいたかった。
起こされても気づけない程爆睡していたのか。
…どうしよう。
軽く死ねそうだ。
「おまえは、夢幻の術にかけられていた」
むげんのじゅつ……?
「相手に夢を見せ、幻の囚われ人にし、相手の精神をおかす禁術だ。
おれも、詳しくはあまり知らねえが、高位の術者じゃねえとまず使えねえ……
白夜の野郎に目をつけられたおまえの不運を嘆くしかねえな……」
……どうやら、爆睡していたのは、術のせいのようだ。
沈黙が落ちる。
どうしたんだろう、と思って、慧の衣の端をひっぱった。
「……おまえを失うんじゃないかって、怖くてたまらなかった……」
かすれた声で慧が言った。
そうか。
そうだった。
慧は捨て子だった。
孤独と、一人になること、誰かを失うことを最も恐れる人だ。
「慧………ごめんね」
不安にさせた。
こんなに優しい人を。
夢のことを話さないことで、慧のことを傷つけた。
「慧のこと、信用してないんじゃない。
とても頼りにしてるし、私、迷惑もいっぱいかけてる。
でも、私にとって、慧は大切な人だから、夢のことを話して、
万が一怪我でもしたらどうしようって、怖くて、話せなかった」
「……そんなこと、おれは望んでねえ……」
慧は唸るようにして言った。
「うん。
ごめん。
だから、私も慧にこれからは、なんでも話すように努力する。
それで、時々私の相談に乗ってくれたりしたら、私は嬉しい。
……早速お願いしたい事があるんだけど……」
「……んだよ」
撫子は少し体を慧から離して、彼の目をまっすぐに覗き込んだ。
「私と、これから一緒に寝てくれないかな……?」
「……」
ピシャァッッ、と音が出そうなほど、慧の体がこわばった。
「へ、へへへ、変な意味で言ったんじゃないよ!!
ゆ、夢避けの術をかけて、傍にいてほしいなって……」
「っ!!??」
「そ、そそそ、傍にいてほしいっていうのは、
ゆゆゆ夢を見ないようにお守りみたいな感じで……!!
ほっ本当に、変な意味じゃないから!!」
夜明けの空気に撫子の悲鳴のような絶叫が響き渡った。