6章 寝不足です
*けぶるように降ってきた霧雨の中、
撫子は昼ごはんの一部となるイモの皮むきをしていた。
家の主、慧は和火の剣術修行に付き合っていて、今はいない。
撫子は、今日も寝不足だった。
目の下のクマは少しずつ濃くなっている。
過去の夢を見たくなくて、限界まで起きていたのだが、
一瞬の気の緩みによって寝てしまった。
これ以上過去の夢など見たくなかった。
夢の中の、先祖である少女とまるで一体化してしまったように、
彼女と心が共鳴しているからだ。
まるで、『撫子』という存在がなくなって、彼女そのものが本体であるかのような。
白夜は、長い夢だと言っていた。
今日の夢にはまだ続きがありそうだ。
「また……今晩もみるのかな……」
「何を?」
突然降ってきた声に驚いた撫子は、
危うく手にしていた小刀で自分を切り付けそうになった。
上を見上げると、黒髪をしっとりと濡らした和火が、
思っていたよりも近くで撫子を見下ろしていた。
「和火!
剣術の稽古は……?」
「雨が降ってきたから、中止」
「そっか……」
「おまえは?」
「私は、おイモの皮むき」
撫子は手の中のイモと小刀を見せた。
そういえば、和火は、星祭で剣舞を披露することになったらしい。
確かに、この雨では、稽古をすれば足元が滑って危ないだろう。
「……あいつに、なんか作ってるわけ?」
和火は、なぜか不愉快そうに顔をしかめた。
あいつ、というのは慧のことのようだ。
けげんに思いながらうなずくと、和火はますます嫌そうな顔をした。
「……じゃあ、おれも食べる」
……じゃあってなんだ、じゃあって。
「……そんな嫌そうな顔で言われても……」
「別に嫌じゃない」
「ただのイモの煮物だよ?
茜の料理はどうするの?」
「こっちに呼んできて一緒に食べたらいい」
「……たしかに」
大勢で食べた方がきっとおいしいだろう。
「じゃあ、おれ、呼んでくる」
「うん。
いってらっしゃい」
だが、和火は動かない。
じっと撫子の顔を見てくる。
「な、何?
行かないの?」
照れ隠しにつっけんどんに言ったら、和火の手がこっちに伸びてきた。
思わずびくっとしたら、和火の指は一瞬止まったが、またこっちに近づいてきた。
雨で少し湿った和火の親指が、撫子の右目の下をそっとさすった。
すごく丁寧で、どこか恭しさすら感じる手つき。
――――――騎士のような。
「……クマができてる。
さっき、なんか見るとか言ってたけど、悪い夢とか見てるのか?
それで、寝不足」
撫子は驚いて和火の顔を見た。
鋭すぎる。
「和火は、見ないの?」
おそるおそる聞いたら、和火はすっと目を細めた。
なんだか、その仕草が和火が男だ、ということをひどく強く撫子に意識させた。
そう思ったら、目の下に触れる親指の感触がひどく気になった。
なんて、甘い温度だろう。
「見ないけど。
……おれにそう聞くってことは、おれに関係してる夢を見――――――」
「―――いってらっしゃい」
撫子は、和火の言葉を強引にさえぎった。
撫子は和火の手を掴むと、触れてくる指から無理に逃れた。
このままだと、よくわからない甘ったるいものに、
自分じゃないものに囚われてしまうような気がした、
「撫子」
わずかに苛立ちを含んだ声。
ごまかすな、って、怒っている。
和火はずるい。
こういう時に、名前を呼ぶなんて。
「早く、茜、呼んできて」
やっとのことでそう言うと、撫子は和火の指を押しやった。
和火は眉を寄せた。
何かを言おうとして何も言わず、そのまま背を向けて和火は歩き去って行った。
「ねえ、和火」
―――本当に、夢、見ないの?
――――――――――――本当に??
白夜は、なにがしたいのだろう。
撫子に夢を見せて。
こんなにも悲しい撫子の先祖達の恋物語の数々を見せて。
こんなにも、撫子の存在意義を揺らがせて。
わからない。
なにも。
なにもかも。
すべて。