夢
*慧が吠える半刻ほど前に、撫子は過去の夢から覚めたところだった。
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私は不治の病におかされ、力なく布団に横たわっていた。
かたわらには、私の騎士、ハヤテが座っている。
長くつややかな藍髪を頭の上でたばね、
長い前髪の隙間から強い光を宿す瞳がのぞいている。
凛々しい面差しに、引き締まった体をした青年。
私が愛しく想う人。
だけど、決して想いを伝えてはならぬ人。
彼には――――既に想い人がいるようだから。
「……ねぇ、ハヤテ」
「……どうした」
「まだ…好きな人がいるの?」
これは幼い頃からそうだった。
「…ああ」
何度同じことを聞いても、ハヤテは同じことを答える。
「まだ…好きなの?」
「ああ」
「他の女性など考えられないほど?」
「ああ」
胸を切り裂かれるような痛みを、目を閉じてやりすごす。
「…君は?」
突然問い返され、私は重いまぶたをゆっくり開いた。
涼しげなまなざしが、ただこちらに向けられている。
彼の瞳に映っているのが自分だけ、という事実にじわりと胸が熱くなる。
かさかさにかわいた唇をそっと開く。
「……いるわ」
「……」
「他の男性なんて考えられないくらい、好きな人が。」
それは……あなたのことよ。
そう、言えたらどんなにいいだろう。
そして、おれもだ、って応えてくれたらどんなに……
だけど、自分の命はそう長くない。
だから、想いは告げない。
ハヤテは早く私のことなんて忘れて、楽になればいいのだ。
その好きな女性と結ばれて、幸せになって、騎士という役目から解放されて……
しかし、なんて己は醜いのだろう。
私を忘れないで、と叫んでいる自分がいる。
「……はや、て……」
全力でなんとか腕を動かして、愛しい彼の手にそっと添えた。
ハヤテの手を握る力すら残っていなかった。
だけどそれでもいい。
彼に、つたえないと。
「今まで……ありがとう……。
幸せに…なっ………て………」
愛しているわ。
さよなら。
言えない言葉をひきつれて、私は永久に意識を手放した。
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*おれの前には、愛しく想う娘、ナギが横たわっていた。
ナギは不治の病におかされていた。
伝染病がはこびる今の世、ナギは一人で村々を回って、
必死に村人たちを救っていた。
しかし、そのナギが伝染病にかかり……今は余命も残り少ない。
おれは、彼女に恋をしていた。
幼い頃より彼女の騎士として彼女の傍につかえ続けて、
いつのまにか彼女を愛しいと思うようになった。
他者のために危険もいとわない。
そんなところにはらはらさせたが、そんな彼女が好きだった。
姫巫女であり守るべき存在であるナギに
騎士であるおれが恋などしてはならないのに、
自分を制そうとすればするほど、彼女に惹かれた。
どうしようもなかった。
「……ねえ、ハヤテ」
「どうした」
「まだ…好きな女性がいるの?」
一瞬呼吸が止まった。
熱にうるんだナギの青い瞳がおれだけを映している。
「…ああ」
「まだ…好きなの?」
「ああ」
「他の女性なんて考えられないほど?」
「ああ」
他の娘なんか目に入らないくらい、幼い頃からずっと君が好きだ。
だが、言えない。
言ってはいけない。
騎士ごときのおれが。
「……君は?」
ナギが弱々しく目を開けた。
痩せ細った体が痛々しい。
抱きしめたら折れてしまいそうだ。
「……いるわ」
「……」
「他の男性なんて考えられないくらい」
ナギの青い瞳は閉ざされた。
今、彼女に思われているのが自分じゃないのがたまらなく悔しく腹ただしい。
こんなに傍にいるのに、彼女に想われていない。
ナギに想われている男が憎たらしくてならない。
ナギがこんなに苦しんでいるというのに、どうしてこういう時に傍にいないのか。
おれだったら……
「……はや……て……」
そっとナギの手がおれの手の上に重ねられた。
血管が青く浮いて見える程、白く透き通っている。
そのあまりの白さに、彼女が儚く消えてしまいそうな気がした。
泡沫のように。
「今まで、ありがとう……
幸せに……なっ…て……」
ナギの目がやけにゆっくり閉じられた。
とさり、とナギの手がおれの手からすべりおちた。
世界が止まった。
「……ナギ……?」
返事はない。
「ナギ」
彼女は応えない。
「ナギ、ナギっ!!」
考えるよりも先に、体が動いた。
彼女の肩を掴んで揺さぶった。
骨と皮だけの、痩せ細ったきゃしゃすぎる体。
ああ、どうして。
神よ。
どうして、ナギが病におかされ、おれは彼女の身代わりになれないのだ。
「うそだ……こんな…こんな……!!
まだなにも、伝えてない!!」
おまえが、好きだ、って。
おまえを愛している、って。
彼女は、目覚めない。
永久に。
「目を開けてくれ!!
ナギ!!」
病がおそったのはどうしておれではないのだろう。
「おまえのいない世界で、幸せになどなれるものか!!」
ナギのためなら、命など少しも惜しくないのに。
「別の男を愛していても構わない。
頼むから……目を……開けてくれ……!!」
臓腑よりしぼりだされた祈りと切望の入り混じった言葉は神には届かず。
「うわあああああああああああああああああああああああっ……!!!!!!」
おれはこの時、この世の誰よりも、神を恨み、この上なく力を欲した。
*撫子ははっと目を見開いた。
視界がぼやけている。
頬は涙でひどく濡れていた。
心臓がばくばくと脈打っている。
夢だ。
夢だった。
過去の記憶の欠片。
『私』という魂が、『ナギ』という少女の器に入っていた時の物語の断片。
あの夢。
どうやら、レイヤが誓っていた『騎士』という役割は
その子孫に受け継がれているようだ。
今回の夢は前までとは少し違った。
あのハヤテという青年。
彼も先祖と同じように、守るべき巫女の少女に恋をしていた。
前と違うのは、その少女、ナギも、ハヤテのことを
同じように愛していたということだ。
でも、気づけなかった。
2人は互いを想いあっていることに、気づけなかったのだ。
ズキンと頭が痛む。
何かを思い出そうとするように。
あのハヤテという青年。
誰かにひどく似ている。
それが誰なのか、無性に思い出したくなくて、撫子は心にふたをした。
撫子はゆっくりと身を起こすと、布団から出て用意していた着物に身を包んだ。
(挨拶…しに行かなくちゃ……村の人に……)
しばらくお世話になりますって。
私は、『撫子』ですって。
自分という存在を確かにするために。
慧はまだ隣の部屋で寝ているようだ。
彼の霊力を感じる。
書置きを残そうかと思ったが、
この世界の文字が現代日本語と同じかわからないから、
撫子は伝言メモ代わりに言霊を込めた球体を作り、
自分が寝ていた布団の上に置いた。