5章 帰宅しました
*こんなにも近くにいるのに
こんなにも傍にいるのに
届かない
あなたに触れたい
けど触れられない
胸が苦しい
愛おしくて
もどかしくて
*…慧の家に着いた瞬間、慧は問答無用で撫子を風呂に押し込んだ。
半泣きで撫子の安否を確認しようとした茜を振り切ってだ。
それに納得がいかないらしく、茜は慧に風呂場の外で猛然と抗議していた。
「ケチ!
慧お兄ちゃんのどケチ!!」
「うっせ」
2人とも声がよく通るので、扉越しでも会話の内容がよく聞こえる。
撫子は、湯船に使ったまま、そっと耳をすませてみた。
「いーじゃん少し撫子と話しても!!」
「だから、あいつは無事だって言ってんだろうが」
「なにが、だから、よ!!
私が、撫子が集合場所に帰ってこない~!、って言ったら、長老様との話し合いほって捨てて、
血相変えて、撫子を探しにいったくせに!!」
「なっ!?
おまっ!?」
「長老様、慧もようやく女の尻を追い回すようになったか…、って涙ぐんでたよ!!」
「なんかちがーーーうっ!!!!」
「で、撫子とどこまでいったの?
口づけぐらいはした?」
「どこもいってねーし、なんもしてねーっ!!!!」
「……」
「おれを、虫けら見るような目で見んなっ!!!
ったく…。
ほら。
…さっさとこれ持って帰って、薬作ってやれ」
「え!?
慧お兄ちゃん、この薬草、どこでみつけたの!?
私が撫子に探してきてね、って言った薬草だよこれ!!」
「帰る途中。
これを煎じて飲ませりゃ、あの男もいい加減、起きんだろ」
「ありがとう!!
慧おにいちゃんもたまには役にたつんだね!!」
「……”たまには”が余計だ」
「とにかく、薬作ってくる!!
なでしこぉーーーーーーっ!!!
お兄ちゃんに裸とか見られたら、遠慮なく半殺しにしていいからねーーーっ!!」
「さっさと帰れ――――――っっ!!!!!!」
それからしばらく騒音が聞こえたが、やがてあたりは静かになった。
*「……ねえ、慧」
不意に撫子はつぶやいた。
お風呂からあがったあと、撫子はまたもや問答無用で慧に担がれて、
部屋につれていかれた。
そして、慧は何も言わず、撫子の足首に、
包帯状のの湿布のようなものを巻き付け始めた。
本来なら言霊で簡単に治せるけど、そうしたくはなかった。
あまり自分のためだけに言霊は『話し』たくはない。
無言の圧力に、自分でやるからいい、と言えなかったのだが、ようやく声が出た。
「長老様とのお話、ほって捨てた、って聞いたんだけど……」
「……それがどうした」
「大丈夫なの?
大事な話、してたんでしょう?」
聞いてから、後悔した。
大丈夫なわけがない。
「……別に、問題なんかねえよ」
「……目を泳がせまくりながら言わないでください」
撫子はため息をついた。
「……それに、話なんかより、命の方が大事だ」
「……うん。
助けに来てくれて、ありがとう……慧」
「別に……」
また眉間にしわ。
だがようやく撫子にもわかってきた。
慧の眉間にしわがよるのは、くせのようだし、
ぶっきらぼうな言い方はきっと照れているだけだ。
表に出しにくいだけで、本当はすごく優しい人なんだ、と撫子は微笑んだ。
「ねえ……慧。
もうひとつ、聞きたいことがあるの」
慧に出会ってから、ずっと彼に聞きたかったことだ。
「どうして、私たちを助けてくれたの?」
普通、見ず知らずの人間を助けたりなどしない。
見返りも求めずに、ヒトは危険もかえりみずに初対面の他人を助けたりなどしない。
「……」
慧は今度こそ手を止めて、撫子の顔を見た。
まっすぐに慧の獣のように瞳孔が縦にさけた瞳を見つめ返す。
「……おれは、捨て子だ」
突然ぽつりと慧はつぶやいた。
「赤ん坊の頃、森に捨てられていたのを茜の母さんに拾ってもらった。
だから誰よりも、他人に助けられることのありがたみをわかっている。
おまえらが白夜の野郎に襲われているとき、なんか自分の姿と重なって、ほっておけなかった。
……それだけだ」
慧の目が撫子からそらされた。
もとのように彼の手が包帯状の湿布を撫子の足首に巻き始める。
「村の連中は違う一族であるおれを、家族のように扱ってくれた。
おれは、もらった恩を返したい。
返さなきゃなんねえんだ。
異族であるおれを受け入れてくれた村のみんなに……」
「慧……」
のろのろと慧が顔をあげた。
「……んだよ」
「うまく言えないけど、その……慧は、慧だよ」
「……あ゛?」
「みんなは、異族を受け入れたんじゃなくって、慧を受け入れたんだと思うよ」
慧は、背負っていた。
恩を返す、という『義務』を。
「慧だから、受け入れたんだよ」
「……おまえに…何がわかんだよ……」
「何もわからない。
けど、私はそう思うよ」
この数日で、少しだけ慧のことを知ったから。
「恩を返したい、って気持ちは大事だと思う。
でもね、背負いすぎはよくないと私は思うよ」
「………」
慧は何も言わない。
言いたいことは言えて、撫子はほうっと息を吐いた。
「………寝ろよ」
「…え?う、うん」
慧は無言で撫子を抱き上げると、すでに敷いてあった布団に撫子を下した。
そして、首元まで掛け布団を引き上げ、ぐいぐいと撫子の首に押し付けた。
「け、慧……くるし…」
「あ゛?
こんぐらいしねえと体が冷えんだろうが」
めちゃくちゃ顔が怖いが、心配してくれているのだ。
慧は立ち上がると、足早に部屋の戸口に向かった。
「あ、慧……」
「……とう」
「え?」
「……ありがとう、撫子」
それだけ言い残すと、慧は部屋を出た。
慧の足音が遠ざかっていく。
撫子は慧に向かって伸ばしかけた手を力なく下した。
過去の夢にまた囚われてしまいそうだから、傍にいてほしい、などという言葉は、
慧のありがとうの一言でのどの奥から出なくなってしまっていた。
朝起きたら、青い光の玉が、撫子のふとんの上を浮いていた。
当然のごとく、そこには本人の姿はない。
慧が起きるよりも早く撫子は目覚めたらしい。
しげしげと青い球体を眺める。
この感じからすると、霊力の塊だ。
おそらく撫子の言霊によって生成されたものだ。
言霊は物も形成できるのか…と感心していると、突然青い球体が輝きだした。
『慧』
撫子の声で名を呼ばれ、思わずびくっとした。
辺りを見渡しても本人の姿はない。
そういえば撫子はどこに行ったのだろう。
『私、まだ、村の皆さんに挨拶もなにもしてないから、少し出かけてきます』
「………」
『なるべく早めに戻ってくるようにするから、探さないでね。
私、大丈夫だから』
「……………………………………………」
声はそこでとだえ、青い球体は霧散した。
しばらく声も出なかった。
数秒の間その場に立ち尽くしていたが、考えるよりも先に体が玄関にかけた。
「あんの、うつけええええええええええええええ!!!!!!」
慧は朝日に向かって吠えた。