表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

涙のジレンマ

作者: げつと

 夕日の日差しが教室の中に差し込む。私は長くのびた自分の影を見て、もうすぐ冬かとため息をついた。


この時期は夜が長くて必要無いことまで思い出してしまう。あの日は初雪が振ったんだっけ、部屋の中でこたつに入り、外を見て、冬が好きな彼女は嬉しそうにそう言った。私はその時みかんに夢中だった。甘くても酸っぱくても一緒に居られる事が嬉しくて笑ってたっけ。私が見せた笑顔に彼女は釣られて笑う、その笑顔にまた笑って。とても幸せだった事なのに、私は思い返すたび、辛くなる。


一人きりだと意識させられるこの冬が私は嫌いだ。


たった一人で箒でゴミを集め、ちりとりにまとめていく、集められたゴミは消しゴムカスと長い髪の毛ばかりだった。クラスメイト同士で髪を梳かすのが流行っているのか、最近床には髪の毛が沢山落ちている。

開け放った窓から冷たい風が吹き込み、身震いした。閉めようと近づき外を見ると、葉が落ちきった木々達が目に入る。そんな格好をしていて寒くないのだろうか。窓を閉め、机に向き直った。


日直の仕事と言うのはどうしてこうも面倒なのか、教室の掃除を放課後に二名だけで行わせるのはどうかと思う。内容は簡単な掃き掃除と机の整列を整えることだけなんだけど。それでも、私はそのことを言葉にして文句は言わない。心に思った事はいつだって私は飲み込んできた。

今だってそう、本来二人でやるこの掃除を、一人でやっている。理由は簡単だ、片割れの子が用事があると言っていたから。何かお礼をすると言っていたが、そんなものは社交辞令だとわかりきっている。私は一人で黙々と机を元あるべき位置に戻していく。


多少のズレを修正し、教卓の前に立って確認する作業を繰り返す。何度か整頓を繰り返した後、満足できる状態になった。

本来あるべき姿、キチリと整列した乱れのない教室の机を眺める。

綺麗に整った席を見ると、なんだか私は悲しくなってきた。本来、あるべき場所に行っただけ、私がそう願ったからそうなっただけ。


そう思う理性を、私の感情が攻撃し続けていた。その時眺めていた机の中にひとつだけ乱れている机を見つけた。気付かなかった。まるで今の私みたい。その机に近づいていき撫でる。輪の中に入らず、ただいるだけ。それなのに綺麗に整頓された机の中ではとっても目立って……、気づかなければこんな気持ちになんてならないのに。


そんな私にも昔は何でも話せる友達がいた。幼いころから知った顔、いつも二人で遊んでいた。お互いの好きなこと、嫌いなことを話しあったり、秘密の共有なんて事もした。お互いの家に泊まったりして、同じベットで夜更かししながらお話をしてたっけ、あの時はいつの間にか眠りに落ちてて、何を話したのお互い忘れて笑ったよね。


でも、それは過去の思い出。


いつだっただろうか、私は彼女の容姿に惹かれるようになっていた。綺麗に整った顔、長い睫毛に、愛らしい唇。歩くたびに揺れる長くウェーブした髪の毛は黒のシルクのようにさえ見えた。

私はその美しさに渇望した、恋をしたと言ってもいいだろう。しかし、同性に恋をしても意味がない。私の理性は言う。しかし私の感情は止まらなかった。クラスメイトや、先生から愛され、誰にでも別け隔てなく接する彼女は、当然私にも同じように接した。いつの間にか私は彼女の中の大多数の一人になっていた。

その事実が私の小さな心には耐えられなかった。湧き上がる感情は私を押しつぶし、とうとう耐え切れなくなった私は逃げ出した。そして、彼女を正面から見ることをしなくなった。いくら私が見つめても、私に与えられるのは皆と同じ視線だけ。


私が渇望するほど恋い焦がれている相手は私なんて一切見ていなかったのだ。

そう気づいた時から、私は彼女から距離を取り始めた、可能な限り自然に、疑われず、消えるように離れていった。その過程で自然と目立たないように振る舞うようになり、今ではクラスで逆に浮いてしまっている。この机の様にだ。


だからと言って、いまさら自身を変えようなんて思うことなど出来なかった。

私は遠くから彼女を眺めているだけで満足なのだから。


可能な限り彼女とから距離を取り、決して気づかれないよう眺める事を既にどれだけの月日続けてきただろうか。歪んでしまった私は彼女と話す事は出来ない。もしも、話をしてしまったら、感情が溢れだしてしまうかもしれない、止められない情動に突き動かされ、胸に秘めた思いを口から溢してしまうかもしれない。


もしも、この気持を知られてしまったら、そう思うと私は吐き気を催した。歪んだ席に倒れかかる様に座る。顔を机の上に乗せ呼吸を整えていると、私の目に落書きが映った。

 信じられない物を見た気分だった、吐き気は既にどこかに行ってしまい、意識は机に描かれた落書きに奪われる。

 二人の女の子がブランコに乗っている絵だった。ただそれだけ、ただそれだけなのに、この絵の感じに見覚えがあったのだ。

歪んでいた机は彼女のものだった。

私は無意識的に見ないように避けていたのか、それともたまたま気づかなかったのか分からない、それでも近づいて行って、吐き気を催し、縋った場所が彼女の席という事実が私には耐えられなかった。どうして、どうしてなの。唇を噛み締め、席を正した。


窓際の席に着席する、そこが彼女の席から一番遠いからだ。日直日誌を開き記入していく。彼女は誰にだって優しい、優しい事がどれだけ私の心を穿ち削っているのかを、きっと理解することは無いだろう。優しく微笑むその表情が、気に掛けるその視線が、私の感情を動かし、心をかき乱す。

反対に大きく膨らみ続けるこの気持ちを私が発露することも決して無いだろう。日に日に募っていく想いは、卒業し完全に彼女と縁が切れない限り大きく私を侵略していくのだ。

特に当たり障りの無いことだけを書き連ね、私は日誌を閉じた。職員室に届けて早く帰ろう。帰り支度を早々に済ませ、私は帰宅した。


帰ってから私は着替えもせず、自室に閉じこもった。ベッドに倒れ込み、時計を横目に眺めていた。この時間がどれだけ続くのだろうか。一気に過ぎ去ってしまえばいいのに。こんなに苦しいのに、どうすることも出来ない。


本当は声を掛けたいのだ、本当は一緒に笑いたいのだ、本当は、本当は……。見ていた時計が歪んでいく、涙が頬をつたい枕に吸われていく。私は自分自身を責め続けた。こうなることを願った事を、どうして好きになってしまったのかを、自分自身を罵倒し続けた。


帰ってすぐ引きこもった私を心配したのか、部屋に母がやって来た。心配する母に私は怒鳴ってしまった。涙でぐちゃぐちゃになった顔だったのだろう、私の顔を見て、母は静かに部屋から出て行った。

心配してくれていたのに、私は自分を抑えること出来ず、感情をぶつけてしまった。また私は泣いた。少しして母が夕食だと呼びにきた時、私は寝たふりをした。母が出て行く直前、言葉を小さく溢した。ごめんなさいお母さん。


あまりにも小さく呟かれた言葉は届かなかっただろう、それでもいいのだ。部屋を出て行く母の背中を見ながら私の意識はまどろんでいった。



その日の夢は彼女とブランコに乗って遊んでいる夢を見た。姿は高校生のまま、制服を着て、お互いが交互に揺れる様に漕いでいた。足を振るたび速度が出て、私が勢い余ってブランコから放り出され、地面にぶつかる直前で目が覚めた。



飛び起きるように上半身を上げると、少し湿ったタオルが目の前に落ちた。鏡で顔を確認する、昨日あれだけ泣いたのにあまり目は腫れていなかった。このタオルのおかげだろう。母に昨日の謝罪とお礼を言うと笑って私を出送ってくれた。


その日気分よく授業を受けて居られたのだが、その気分は本日最後の授業によって打ち消された。

 体育でペアを作ることになったのだ、校庭に集まっているのに私一人で居る気分だった。友人と呼べる友人も居らず、どこのグループにも所属していなかった私は、必然的に一人ぼっちになる。もう慣れた、今日はどうなるのだろうか。やっぱり、今日も見学しておけばよかったと後悔する。


そんなことを考えていると、私に声を掛ける人が現れた。

「あいちゃん、一緒にやろ」

私をあいちゃんと呼ぶのは、私から距離を置いたはずの人物だった。突然の不意打ちに、言葉が詰まる。もう話すことも無いだろうと思っていた彼女から声を掛けられてしまったのだ。私はただ頷く事しか出来なかった。

私の同意に彼女は笑顔で答えた。その笑顔に私は見惚れ、立ち惚けてしまう。長くウェーブした髪はポニーテールに縛られており、流れるような黒色に私は見惚れていた。

「早く行こ」

そう言う彼女は私を置いて先に行ってしまう。置いて行かれてしまう、いかないで、待って。

「まって、さっ……」

私は思わず以前の呼び方で名前を呼んでしまいそうになった。彼女の名前はさくら。よく私はさっちゃんと呼んでいた。その勢いで私は呼んでしまいそうになったのだ。しかし、名前の部分は聞き取れなかったのだろう、彼女は振り返ることなく私の手を取り走りだした。

「早くやらないと、欠席扱いになっちゃうよ」

強く握られた手首、私は振りほどくことも出来ず、彼女に引かれるままついていった。なぜ私に声を掛けたのか分からなかった。しかし、そんな事どうだってよかった、私の心は軽く、嬉しい気持ちで膨らんでいった。


無事、体育の授業を終えると、私はすぐに更衣室の方へ歩いて行った。靴を履き替えていると後ろからさくらの声が聞こえた。

「次も出ないとダメだよ」

出席はちゃんとしている、と私は思い黙っていると彼女は言葉を続けた。

「出席すればいいってわけじゃないんだよ、ちゃんと体育は参加しなきゃ単位が貰えないのって知ってた」

靴を履き替えながらそう聞く彼女に、私は首を振った。

「やっぱり、結構見学していたもんね、まだ少しは大丈夫だと思うけど、余裕持ったほうがいいよ」

そう明るく笑顔で言った彼女は校舎へ入っていった。そうなのだ、彼女はそういう人なのだ。彼女は誰にだって優しい、私が見学をよくしていた事など見たら分かることであり、別に特別なことではない。そして、単位の事を知らずに居たら困るだろうという親切心からの発言だったのだろう。

私に声を掛けたのは、ただ一人で立っていたからというだけ。彼女を避けていた私にさえ、笑顔で接するような人だ、何も不思議ではない。そう分かっていても私は耐えられそうになかった。今にも溢れ出そうな涙を奥歯を無理やり噛み締め、拳を強く握った。



帰りのホームルームが終わり、全員が居なくなるまで私は耐え続けた。教室には誰も居なくなり、少しして私の涙腺は決壊した。

強く握った拳を広げると、つめが食い込んでいたのか血が出てきた。強く噛み締めすぎて顎も痛い。机に突っ伏し、私は声を押し殺して泣いた。泣き止んだら、私は泣かないと自分に言い聞かせながら、強く腕に額を押し付ける。なぜ期待を持ってしまったのだろうか。私を心配してくれた、それだけで満足ではないのだろうか。別に私だけに向けられなくてもいいではないか。そう思っても私の感情は納得しない、涙が邪魔をして感情に声が届かないのだ。


少しすると、涙が収まった。ハンカチをポケットから取り出し拭くと、すぐにべちゃべちゃになった。袖も大分濡れてしまっている。顔を上げ、帰り支度を始めていると、こちらに向かって進む足音が廊下から聞こえてきた。今は誰にも会いたくない。


私は急いで荷物をまとめ席から立ち上がった。立ち上がったのと同時に私はさくらと目があった。

「あれ、あいちゃんまだ帰ってなかったの」

そう言った彼女は掃除道具を持っていた。まっすぐ私の席に向かって歩いてくる。私はどうすることも出来ず、その場に立ちながら聞いた。

「ちょっとぼーっとしてただけ、今日日直だったのね」

ハンカチをポケットに仕舞い、彼女を見つめながらそう私は言った。彼女は一人だけのようだ。

「うん、残念ながら一人だけどね」

本来日直は二人一組だ。それなのに一人で掃除とはなにか理由があったのだろうか。

「どうして」

そう聞くと、彼女は笑顔でこういった。

「大会近いみたいだし、私一人でいいよって、先に帰しちゃった、暇なら手伝ってほしいなぁ、なんて」

そう言って私に視線を向ける。体育の時のお礼だ、そう自分に言い聞かせ頷いた。

「助かるよ、ありがとうね」

 箒を受け取り掃除を始めた。終始無言な私を気にせず彼女は話し続けた。話を聞いているのか確認するためか、こちらをチラチラと確認してくるので、頷いたりすると彼女は笑顔になった。


「あいちゃんって好きな人とかいるの」


唐突に私に質問を投げかけてきた。彼女にとっては何気ない会話なのだろうが、今の私には耐えられそうに無い話題だった。それでも答えなけれならない。そう、ただ首を横に振るだけ。嘘でもいいからこの場を乗り切ればいい。

「居るよ」

私は首を振るのでも、黙りこむのでもなく口を開いていた。嘘をつくことを拒否した。

私がそう言った瞬間、教室の時が一瞬止まったように感じた。そう感じたのは彼女の動きが止まったからだ。


「どんな人なの」


動き出した彼女はそう聞いてきた。さっき突然止まったのは何だったのか、気のせいだったのかもしれない、そう思えるほど彼女は自然だった。

「昔から知ってる人で、綺麗で優しくて、皆から好かれてる人かな」

そう言うと彼女は声を出して笑った。

「そんな人いないって、恋は人を盲目にするって本当なんだね」

私の目の前に立つ彼女を見る。

貴女ですとは言えなかった。

彼女はそのまま言葉を続ける。

「でも、応援するよ。競争率高そうだし、ガツガツアタックしてかなきゃ」

箒を振り回しながらそう言った。


「さくらさんは好きな人とか居ないの」

そう聞くと、彼女は膨れ面になった。何か聞いてはいけない話題だったのだろうか。

「昔みたいにさっちゃんって呼んでよ」

返ってきた返答にあっけに取られる。

「さん付けは悲しいな。えっとね、好きな人は居るよ」

振り返って彼女はそう言った。可愛らしい笑顔で私を見ていた。その笑顔を作った人は私ではない別の誰か。彼女の想い人が作ったものだ。そう思うと胸が苦しくなった。


「そうなんだ、さっちゃんなら余裕でしょう、可愛いし」

私は何を言っているんだ。何を応援しているんだ。それでも言葉は止まらなかった。

「私応援する」

「うん、今頑張ってるよ、近づくだけでドキドキしちゃって、不安で……」

掃除をしながらそう言う彼女はこちらに背を向けていて表情が見えない。少しの沈黙のあと彼女は呟いた。

「初恋って叶わないのかな」

私は、私の初恋の相手の背中を見つめる。

「そんな事無いと思うよ」

自分自身の願望を口から紡ぐ。この言葉が叶ったら、私の初恋は叶わないのに。それでもそう言うしか無かった。


それからお互いに沈黙の中掃除は進んでいった。既に終わりかけだったこともあり、すぐに掃除は終わった。

「よし、終わり。ありがとう、とっても助かったよ」

 そう言った彼女は私から箒を受け取ると、教室から飛び出していった。

 

 私も帰ろうと昇降口へ向かう、靴を履き替えていると遠くから呼ばれた。

「あいちゃん待ってよ。家近いんだし一緒に帰ろ」

全力で走ってきたのだろう肩を上下させ、私の前に立った彼女を見て私は可笑しくなって笑った。

「いいよ、帰ろっか」

声を出すのが辛いのだろう彼女は何度も縦に首を振った。靴を履き替えた頃になると息が落ち着いたのか話し始めた。

「中学の時以来じゃない、こうやって一緒に帰るのって」

高校に入った時には既に私は彼女を避けていた。

「高校生になってからは初めてね」

私は何を言っているんだろうか。それでも声は弾み、抑えられない感情と、抑えなければいけないと思う理性が凌ぎ合っていた。なんとか私の気持ちだけは隠し通し、お互い分かれ道の所まで来た。なんだかんだいってとても楽しかったのだ。帰り際、彼女は私の目を見て言った。


「泣くほど辛いことなら、いつでも私が相談に乗るよ、またね」


そういって駈け出して行った。私が泣いていたことがバレてしまっていた様だ。目が赤かったのだろうか、それとも見られていたのだろうか。しかし、足音が聞こえた時点で私は既に泣き止んでいたのだ。泣いていたことも忘れていた程私は楽しかったのだろう、言われてから思い出したように、先ほどまでの出来事を思い返した。


掃除中、私はなんと言っていたのだろうか。好きな人が居ると言ってしまった。私の感情の一部をさらけ出してしまった事に深い後悔と、なんとも言えない開放感の中私は帰宅した。


それからの私の日々は少しづつ変化していった。彼女と一緒に帰ったあの日から、私の心の防壁は弱くなってしまった。一度近づいた事によってその渇きを満たそうと彼女ばかり意識するようになっていた。その結果、私の注意力は散漫になり、いつの間にか彼女が近くに居る事を許してしまっている。今ままでは、気を配り、距離を取ろうとしてきたが、今の私には、それが出来なかった。


彼女の周りには人が集まり、気づくと逃げ出すに逃げ出せない状態を何度か経験した。初めは慣れず、黙っているだけだったのだが、彼女は私に気を使ってか話を振ってくれたお陰で、少しづつ馴染んでいった。いつの間にか、私からクラスメイトに話しかける様になっていたのだ。誰とも話さなかった私が、いつの間にかクラスで孤立した存在ではなくなっていた。


 孤独を失った私には彼女に対し想いを強くし隠し続けていく事は困難であった。孤独が彼女に対しての渇望を育てていたのだ。今は彼女の言葉や態度によって私の気持ちは育てられていた。

いっそ、また彼女から距離を起き、離れられればよかったがそれが出来なくなっていた。気づけば私は彼女に対しての想いというものを、いつの間にか自分自身の中に隠すようにしまい込む様になっていた。このまま埋もれさせてしまうのもいいかもしれない。自分で自分の気持ちに気づいていない振りをするくらいにだ。


さくらに対しての恋心を、彼女という存在をもって私は隠そうとしていた。私の今まで抱え続けてきた感情達は私の内側へ沈殿してゆき、表面に取り残された空っぽの私は、孤独ではないという感情によって支配されていった。彼女の笑顔が私の心に沈殿物を増やしていく。それでも、私は気づかない振りをし続けた。空っぽの私は、この感情に目をそむけ、ただ日々を生活していたのだ。

しかし私のこの沈殿物は浄化されることは無かった。それに気づいたのは期末テストが終わり、もうすぐ冬休みという話題を放課後に話していた時のことだ。特に予定の無かった私は、話を黙って聞いていた。どうやらクリスマスどうするかという話題だった。恋人とデートすると言ったそのクラスメイトの一人を皆でからかっていた時のことだ。


からかわれた彼女はそれに対して怒ることもなく、笑顔だった。その笑顔は恋人の事を思っていたのだろうか、とても優しく、屈託の無い笑顔だった。その笑顔が私の心の水面を激しく荒れさせた。沈殿していたはずの、感情は水面まで上がってきて、澄んでいたはずの水は沈殿物が混ざりあい、ひどく濁った。私は感情の荒波に逆らうことも出来ず、私の意識はかき乱されていく。耐え切れなくなり、私はお手洗いに行ってくると言って、席を立った。


個室に駆け込むと、私は吐いた。喉を抜ける異物感によって私の瞳から涙が溢れる。吐き出し終わってからも涙は止まらなかった。寧ろ先ほどよりも多く溢れ出してくる。私は必死で自分を落ち着かせようと呼吸を整えた。個室から出て、洗面台の前に立つと、ひどい顔の私がそこにあった。鏡に写った私は今にも泣き出しそうな顔をしている。蛇口を捻り、口を適当にすすいで居ると、さくらがお手洗いに入ってきた。大丈夫かと聞く彼女に頷き、私は水道水で顔を濡らした。

「ちょっと、ぼーっとしちゃってただけ、戻ろっか」

そう言って私達は教室に戻っていった。心配するクラスメイトに大丈夫だと言い、その日は解散となった。一度揺れ始めた水面を止めることは結局その日は出来なかった。



翌日、私は学校を休んだ。ベットに横たわり、起き上がれずに居たところ、母に体温を測ってみなさいと言われ私は、体温計を使った。測り終わった体温計を見た母に今日は休めと言われ私は大人しくベッドに横たわっている。


私の感情の水面は未だに濁っていた。沈殿していたものは完全に水と混ざり合い、水底は濁っていて一切見えない。昨日のクラスメイトの笑顔が、さくらの、あの笑顔を思い出させたのだ。誰かによって作られたあの優しい笑顔を私は直視してしまった。純粋な感情が込められたその笑顔は私には眩しすぎて、私はそれを必死に忘れようとした。私の歪んだ愛情。同性を好きになってしまったこと。それなのに、無理やりに思い出させられたのだ。さくらはあの時、確かに好きな人が居るといった。その好きな人を思って笑顔になったのだ。

 熱によって朦朧する意識のなか、私の思考は支配されていった。私に向けられることのない笑顔についてだ。ただ悔しく、ただ悲しく、この思いを見せる事も出来ず、ひた隠しにし続ける事を選んでおきながらも、結局彼女の傍に近寄り、もたれ掛かろうとしていた自分自身。彼女が私を壊したのだ。無茶苦茶だというのは分かっている、それでも今の私にはそう思うことでしか、自分自身を守ることが出来なかった。自分を無理やりにでも正当化させようと必死に考え続けながら、私は眠りに落ちた。


目が覚めると辺りは暗くなっていた。相当な時間を眠っていたらしい。少しは良くなったのではないかと体を起こしてみるものの、私の体を包む倦怠感はどこへも行っていなかった。私を覆い尽くした怠さに、ベットに倒れこむ。また目をとじると、私の意識はゆっくりと落ちていった。


翌日になっても、熱は完全には下がっていなかった。先日より、体の節々が痛くなり、午前中は母に連れられ病院に行くことになった。今日は終業式だったが、体調不良では仕方ない。検査の結果はただの風邪だった。自宅に戻り、私は薬を飲んでまた眠った。


部屋の扉が開く音で私は目が覚めた。寝る前よりは幾分良くなっていた私は体を起こした。母でも来たのだろう、そう思っていたが違った。さくらだったのだ。

「お見舞いにきちゃった、思ったより具合は良さそうね」

ベットに近寄り、私の頭に手を乗せる。私は夢でも見ているのだろうか。されるがままに彼女を見ていた。

「これ課題と、成績表ね。安心して、見てないから」

そう言って私のベットの上に置いた。私はそれを受け取り、お礼を言うと彼女はベットを背もたれにして床に腰掛けた。私の部屋を見渡している。

「変わってないね、あいちゃんの部屋」

私の部屋に彼女が上がったのはいつ以来だろうか。

「うん、さっちゃんのお部屋はどうなの」

そう聞くと、彼女は言った。

「変わってないよ、変わってない」

そう言うと沈黙が訪れた。私は何を話していいか分からず、ただ彼女の髪を見つめていた。決して視線が会うことのないこの状況は、遠くで彼女を眺めていた時の私を思い出させた。振り向かなければ、絶対に気づかない私の視線。彼女は振り向くことはないだろう。私の手は彼女の髪の毛をいつの間にか触っていた。

「どうしたの、梳かしてくれるのね」

嬉しそうに彼女は言う、私は近くに置かれたブラシを手に取り彼女の髪の毛を梳かし始めた。綺麗な長い髪、くせっ毛なのに枝毛一つ見つからない。その髪を私は優しくブラシで梳かし続ける。

「変なこと話してもいいかな」

彼女はそう言った、変なこととはなんだろうか。気になり私は話を促した。

「私ね、ずっとあいちゃんに嫌われちゃってたと思ってたの」

そう切り出し始めた彼女の言葉に、私の手は一瞬止まったが、すぐに意識を取り戻し梳かし始める。

「今までずっと一緒だったのに、中学の頃突然私を避けるようになった、最初はなにか用事でもあるんだろうなって思ってたの。でも、すぐに違うんじゃないかなって思ったの」

淡々とした口調で話す彼女の言葉を私は聞き続ける。

「私の視線を避けてるように感じたから、私ずっと辛かったんだよ。嫌われちゃったのかなって。それからの日々はすごく長い時間に感じてた気がする。どこかで本当の事を聞きたいって思ってたの、その時チャンスがやって来た」

いつの間にか手が止まっていたらしい、梳かしているつもりになっていたが、ブラシは手に握られていなかった。私は布団を握りしめていた。

「体育の時、私は話しかけることにした、我慢できなくなっちゃったの、拒絶されても、無視されてもいいから話しかけようって、そしたらあいちゃん普通に私に接してくれてさ」

顔をこちらに向けた彼女の瞳は涙で潤んでいた。私は何も言い出せず、視線も逸らすことができず、ただじっと彼女の目を見ていた。お願いだからそんな顔をしないで。傷つけていたのは自分自身だった。被害者面していた私は加害者だった。一番好きな人を苦しめていたのだ。

「それから、今までみたいに話しかけてくれるようになって嬉しかった。でも、あいちゃんはこの数年間の事を何も話してくれない、そんな事なんて無かったって思えたら良かったけど、そういうわけにもいかなかった。どうしてなの」

ベッドに顔を突っ伏し泣きだしてしまった。私には何も出来ない、どうしたらいいかわからない。それでも自然と私の手は彼女の頭に伸びていった。

「さっちゃんは何も悪くないよ」

そう言って彼女の頭を撫でる。そう、さっちゃんは何も悪くないのだ。悪いのは私、感情を抑えられず、どうしていいかわらなかった私は彼女から逃げ出したのだ。この涙を流させたのも私、この涙が私に与える苦しみも、私が原因。熱で浮かれた頭で、私は言葉を考えた、どう言えばいいだろうか。

「初恋の話したよね、覚えてるかな」

そう聞くと彼女は突っ伏したまま頷いた。そう切り出してしまった私は、もう抑えられそうになかった。

「私まだ初恋してるの、以前言った人に、それでね、臆病な私は逃げてしまったの」

私は覚悟を決めた。

「さっちゃん、あのね」

私は言葉が出てこなかった。これを言ってしまったら今の関係は確実に壊れる。やっと近づけたのに、今度は修復することなど絶対に出来ない溝が出来てしまうだろう。

「私の初恋の相手はさくら、貴女なの」

言ってしまった。私は彼女から手を離した。嗚咽をこぼしていた彼女の声が消える。沈黙が場を支配し、私は言ってしまったと心の中でため息をつく。沈黙を切り裂くように私は話し始めた。

「私が離れ始めたのは、私はこの感情をどうしていいか分からなかったから。傷つけてるなんて思いもしなかった……」

私の感情の濁流は止まらない。一度決壊した感情のダムは水がなくなるまで吐き出し続けるのだ。

「いつからか、私はさっちゃんを友達として見れなくなっていたの、私以外に向けられる笑顔に勝手に嫉妬をして、人気者の貴女を独り占めしたかった。でも私にはそれが出来なかった。なにより、拒絶されるのが怖かったから、嫌われたくなかったから」

気持ち悪がられ、嫌われる。そう思うと私は涙が出てきた。

「それでも好きなのが抑えられなくて、私はひどいことをした」

溢れる涙を拭けども拭けども収まる気配はなかった。パジャマの袖は既に涙でびちゃびちゃになっていた。

「私さっちゃんが好きなの、友達としてじゃなくて……好きになっちゃの」

私は言葉を続けることができなくなり、声を出して泣きだした。涙が止まらない、もう終わってしまった。これを聞いて彼女はどんな顔をするのか。視界が黙らず涙を拭いていると私は抱きしめられた。

「初恋って叶うのね」

そう言ったさくらの声は湿っぽかった。泣いているのだろうか。

「言っておくけど、あいちゃんより私の方が初恋ははやいのよ、ずるいわよね私」

何を言っているのか理解できず、私は彼女の背中に手を回した。私は嫌われてはいなかった。その事実がこの状況だと私にハッキリと理解させた。

「実はね二人っきりになる機会を何度も伺っていたの、告白しようって。まさかあいちゃんの方から先にされるなんて思わなかった」

首元に湿って温かい物が伝う。彼女も私と同じように泣いているのだろう。抱いていた状態を少し離し彼女は私の目をみて言った。

「私もあいちゃんの事が好き、ずっとずっと私はあいちゃんのことばかり見ていたんだよ、ごめんね、苦しめちゃったみたいで」

そう言って彼女はまた私を抱きしめた、今度はとても優しく。

「ごめんね、さっちゃんにつらい思いさせちゃって。ごめんなさい」

涙が止まらず、嗚咽混じりに私はそう言うと、優しく背中を叩いてくれた。

涙が止まるまで二人は抱き合っていた。ある程度落ち着きを取り戻し、二人は向かい会うように座った。

「本当に私でいいの」

そう言った私に彼女は笑った。あの時見た、優しい笑顔だった。その笑顔は私に向けられていたものだったのだ。彼女は私の手を取り、指を絡ませながら言った。

「あいちゃんじゃなきゃ嫌、言葉でだめなら行動するだけよ」

お互いの両手を絡ませ合わせながら、優しく握る。彼女は静かに私に顔を寄せた。私は突然の事に何もすることができなかった。

「私のファーストキス、あいちゃんにあげちゃった」

唇に柔らかい感触が広がった。

そういう彼女の笑顔はとても愛らしく、私は視線を逸らすことができなかった。気づいたら泣いていた。嬉し泣きだ、それを勘違いしてオドオドする彼女に私はキスを仕返した。

「お返しよ」

そう言うと、二人で声を出して笑った。嬉しい、とても幸せ。私の感情は彼女によって別の物になってしまったようだ。私の不安定だったな恋心はしっかりと根をおろし、今後も育っていくのだろう。水を与えてくれる人を見つめる。

「離さないからね、また勝手に離れていかれたら、もう耐えられそうにないもん」

強く握る手を、私は握り返した。その時、母が部屋をノックした。急いで二人は離れて、また笑った。その日はそのまま夜まで彼女は居てくれた、ちょっとぎこちなくて、それでも幸せな時間。今度一緒に出かけようと約束を交わし彼女は帰っていった。


 私はその日を楽しみに、日々を過ごした。約束の日が待ち遠しいくもあり、そわそわとして、何も手を付けられない状態のまま、その日を迎えた。


そして今日はクリスマスイヴ、待ち合わせの場所に私は立っていた。少し早く来すぎただろうか、時計を確認すると待ち合わせの一時間前だった。いくらなんでも早く出すぎた。そう思っていると彼女がやって来た。

「おまたせ、一時間も早く来るなんて気が早いのね」

私の手を取り彼女は歩き始めた。私は彼女の隣を歩く。

「そういうさっちゃんもでしょう」

そう言うと、そうね、と笑った。二人をつなぐこの手を私はもう離さない。今後のこととか不安な事も一杯あるけど、それでも二人ならきっと平気。今日はこの幸せに浸っていよう。隣に立つ貴女と、二人で。


あとがき。

楽しんで頂けたでしょうか。楽しんで頂けたなら幸いです。

楽しんで頂けなくてもここまで読んでくださった方ありがとうございます。


初めてエス物と言うものを書いてみまして、色々な方に読んで貰いたくて投稿してみました。揺れる想いというものはいいものですね。


それではごきげんよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ