あっそれおばあさまもよく言ってましたよ!
「あっそれおばあさまもよく言ってました!」
イングリット・ロンサールはにっこりした。
「お懐かしい。やっぱり親子ですねえ。言い方も表情も、とてもよく似ておいでですよ、お父様」
ゼノン・アルテマリアの手の中でカップが砕けた。
「まあ怖い」
とイングリットはお茶のカップを傾ける。
場の空気は凍った。
つまりはこういう話だった。
ロンサール公爵家は王家の盾。莫大な魔力でもって国防を担う魔法戦士の一族。
そこに生まれてしまった、魔力なしのゼノン。
彼は父母をはじめとする一族からの虐待まがいの躾に耐えきれず失踪。
しかしそこは魔法のあるなしの決定的な差、すぐさま探査魔法によって居場所を特定され捕縛される。そのときゼノンは平民の少女と一緒にいた。どちらも十八歳だった。
ゼノンの父、つまりイングリットの祖父エウリファルと祖母ルニドラは息子ゼノンを寝台に文字通り縛り付け、遠縁の少女ウルリカと強制的に性交させた。
そして生まれたイングリット。魔力あり。むしろ多い方で質も高い。おまけに祖父譲りの緑の目と祖母譲りの金髪に、母ウルリカ譲りの古代魔法刻印が生まれつき身体に刻まれていた。
祖父母は欣喜雀躍し、息子ゼノンはいないものとされた。
監視員の隙を突いてゼノンは逃走。ロンサール公爵邸の地下牢に囚われていた平民の恋人ミミンを連れて。
ミミンの腹にはイングリットと同い年の異母姉、ラランがいた。
そして時代はさらに十八年後。
十八歳のイングリットはロンサール公爵家の当主として立ち、安心した祖父母は相次いで他界。ちなみに母ウルリカはふさわしい爵位の男と再婚済み。イングリットとの仲はそれなりに良好。異父弟妹もたくさん。
元より金銭と引き換えに胎だけを貸す契約であった。
そしてロンサール公爵家の事情とはまったく関係ないところで、このセリオン帝国と隣国ナスカリア王国の戦争が勃発。
ロンサール公爵家は王家の盾。国王の剣。国の守り神。
万が一の事態――たとえばナスカリアの蛮族どもにゼノンやミミンやラランが人質にとられ、もちろんイングリットにそんな馬鹿げた交渉に乗るという選択肢はないわけだが、それでも家を捨て逃げ出した恥知らずの【魔力なし】ごときに煩わされるなど、他の貴族家の方々に笑われてしまう。
不確定要素は一つ残らず潰しておくべきだ。だってこれから始まるのは、戦争なのだから。
というわけ、なのだった。
「領地の東に別邸を建てさせておりますわ」
イングリットは優雅に目を伏せた。
「使用人もご用意いたしましてよ。親子三人、何不自由なくお暮らしなさいませ。戦争が終わるまではいていただきますが勝利の暁には出ていただいて構いません。もちろんいつまでもいてくださっていいのよ。だって――」
うふ、と嘲笑がチェリーの色に塗った唇から転げ落ちる。
「あなた様はわたくしのお父様なのですもの」
「……我が子に、妻に手を出すな」
低い声でゼノンは唸る。【魔力なし】が魔法使いにかなわないことを、彼は人生の最初の十八年で思い知らされている。正直、大したものだとイングリットは思う。
(震えるほど怖いでしょうに。キャンキャンとよくもまあ吠えて。【魔力なし】にしてはなんと根性あること)
「『お前など生まれなければよかったのだ』でしたわね」
クスクス笑いながらイングリットは先ほどのゼノンの言葉を繰り返した。
「お気の毒なおばあさまも何度も何度も繰り返しておいででしたわ。『ゼノンなんて産んだのは人生の汚点だった』、『魔力がないならお腹の中で死んでほしかったのに』と。ああ本当に、そのお悔しそうなお顔! おばあさまにそっくりですわあ」
愉快そうな声音と表情だったし、事実、イングリットは愉快だった。
「こうして無理やり連れ戻されてなお、虚勢を張れる度胸は褒めて差し上げましてよ。さ――お父様はお帰りです。ご案内なさい」
と手を叩いて使用人を呼び、憎しみのあまり白くなった顔色の父親が退室するのを見守っている間も。
本当に、愉快だった。
ロンサール公爵家の恥は、もしかしたらこの戦争によって雪がれるのかもしれない。
そのようにして戦争は始まり、イングリットは出征し、戦った。
ロンサールの魔法は死体の兵士。
かつてロンサールに忠誠を誓った戦士をこの世に呼び戻し、戦わせることができる。
彼女が望めば地下から棺が轟音と共にまろび出て、扉が開き、死者の骨が現れる。土が肉となり祈りと呪いが魂となって、彼らは戦う。
美しい女公爵は不死身の兵士と、彼らの持つ歴史ともに戦った。
セリオン帝国のため。忌まわしいナスカリア王国の蛮族どもをついに殲滅するために。
残念ながらナスカリアを滅ぼすことはできないまま、休戦協定が結ばれた。イングリットは悔しさを胸にロンサール領へ戻った。
彼女を待ち受けていたのは平民の反乱軍だった。
「ロンサール公爵家を許すなー! 魔力がなんだっていうんだ! あたしたちを虐げる悪の女公爵を殺せー!」
と陣頭指揮を取っているのは異母姉ラランである。
「あっはっはっはははははは!!」
久しぶりに、出征のときぶりに、イングリットは大声で笑った。
キリッ、とラランは異母妹を睨みつけ、
「何がおかしいッ。あたしたちが平民だからって、貴族だからって重税を課していいわけがあるかー! 申し開きがあるんならあたしが聞いてやるぞ、悪女め!」
イングリットはけらけら笑いながら手を叩く。
ロンサール公爵領に葬られたすべての死者が目を覚まし、起き上がった。
「いつか、こういうことになるとおばあさまは懸念しておられた。まさか本当にこうなるとは思わなかったけれど。ふふっ。――さ、お行き」
そうして死者たちは、黒く変色した腐りかけの骨に土の肉を纏わせ、四肢のあるものは四肢で、ないものは胴で這いずってラランに襲い掛かる。それはさながら死と滅びの雪崩のようだった。
「うわ!? うわあああああ」
「ひいいいっ、勝てるわけあるか、あんなのに!」
反乱軍はちりぢりに。
だが一人も逃がさず、死者は追いすがる。
ただの一人も。ロンサール公爵家に逆らう者は逃がしはせぬ。許さない、決して。
だってそうするとずっと前に決めたのだもの。
ロンサール家に従い、その見返りとして守ってもらうと。
お優しい旦那様に、お美しい奥様に、誓ったのだもの。
死者の大群が元通り土の下に眠りに戻ると、そこには数多の歯や爪や殴打にズタズタにされたラランの死体が転がっている。
イングリットはそれを避けて、邸宅へ戻った。
そして父ゼノンとその妻ミミンが彼女の前に引き摺り出された。
「うおーーーーー! イングリット! 許さねえ、許さねえぞおおおお、よくも俺たちのラランをォ!」
「んぎゃあああああああ、人殺しィーーーーー! ひっとごっろしぃーーーーーー!!」
と、夫婦揃って姦しい。
イングリットは扇を耳の横にかざした。【魔力なし】のクソ度胸鑑賞にもいい加減飽きた。
「さて、お前たち。好きにしていいわよ」
と使用人に頷く。
正確には、邸宅を囲む柵の外に慎ましく控えた数え切れないほどの領民たちに。
使用人たちは女公爵の耳を守るため、大罪人の父母を簀巻きにしてロンサール邸の外へ運んだ。
二つの身体が門から放り出されると、ワアっと地響きのようなひとつの轟音が鳴り響き、それは領民たちの鬨の声だった。
彼らは口々にロンサール公爵家の名を叫び、反逆者への憎悪を叫び、次々にゼノンとミミンに掴みかかる。
大罪人どもは肉をちぎり取られ、目をえぐられ歯を折られ耳の穴に熱した油を流し込まれた。口と膣と尻の穴に鉄の棒を差し込まれ、手足は折れて取れた。火あぶりにされ、水責めにされ、首を括られ、高所から突き落とされ、土に埋められ、殺された。
いつまでもいつまでもあらゆる職業の老若男女に殴られ続けた。
彼らが死ぬと、イングリットは彼らを再び目覚めさせる。
不死身となった大罪人どもは、再び殺される。その繰り返し。
人々は叫ぶ。
「ロンサール公爵家があるおかげで、この領地からは一人も兵隊を出さないですんだんだ!」
「お前らの娘は若い者を惑わしてあんな馬鹿げた反乱に巻き込んだァー」
「守ってくださる公爵家に歯向かうとは罰当たりめええええ」
「出来損ないが! 出来損ないが!」
彼らはロンサール公爵家に仕える平民たち。精神的にはほとんど貴族の奴隷状態にある。だがそれの何が悪い?
守られ、搾り取られ、屈辱とともに安住があり。いざ戦争となればもっとも手柄を立てる勇ましい公爵の直属の領民であるという自負まで芽生える。
その、誇り! 安堵。憧憬。
「お前たちにはわからないでしょうね……」
とイングリットは呟く。
魔力さえ持たずに生まれ、いけしゃあしゃあと虐げられる運命に甘んじた。その裏で父母が、親族がどれほど辛酸を舐めたか知ろうともしないで。
「生まれてきてはいけない存在だというのに生き続けた罪を償え、ゼノン。永劫に続く死によって」
そして打ち捨てられた死体が三つ。
蘇っては、誰かに殺され。塵になっても土を集めて勝手に再生してしまう、身体。
犬に食われることさえなく、馬と馬車に踏み砕かれ、墓はなく、ただ痛みだけがある。兵士としての義務さえ果たさない、まったく無用の長物ども。
「わたくしが思い出したら魔法を解いてあげてもよい。だがお前たちは逆らったらこうなるという見せしめだから――そうね、わたくしの孫の孫の代くらいかしら? 思い出すのは」
イングリットはお茶のカップの裏側にそう呟き、クスクス笑うのだった。




