白磁の雄鶏は甘苦を選ばず
午前。
四時限の授業をやり過ごした。
昼休み。
持ってきたパン二つを自分の机で食べた後、残り時間で黙々と本を読んだ。
午後。
二時限の授業をやり過ごした。
放課後。
すぐに荷物をまとめて、学校の敷地外へ出た。
高校から僕の自宅まではドアtoドアで徒歩十五分の距離にある。
この立地の便利さを、自ら選んだわけでは決して無い。
自分の学力とぼんやりとした進路にちょうどいい高校がたまたま、父親が契約したあの部屋に近かっただけだ。
どうせなら十五分以内に家に帰りたいところだが、僕にはいつもの用事がある。
家までの最短距離から少し離れて、スーパーに寄る。
牛乳とグラノーラはまだ十分なストックがあったはずだから、今日は買わなくていいだろう。
僕は見飽きたこの店内をスタスタと歩き、パン二つ、カフェラテ、冷凍パスタを、その時その時、気分に合わせた種類を選んでカゴに入れた。
その勢いのまま、僕はセルフレジへと向かっていく。
セルフレジの入口を捉え、棚と棚の間を抜けかけた。その寸前、「おい待て、ミハル」ギルフォードが立ち塞がった。
「何? 欲しいお菓子でもあるの?」
「ガキかオレ様は。生活習慣是正の時間ってんだろ」
ギルフォードたち導霊は、派手に動かなければ不必要に人に視認できなくなる術を持っている。
だからこの人は学校にまで僕についてきていた。
そこでは特に何も言っていなかったので、落ち着いていたらまさかこんなところで生活指導を再開するなんて……僕はひどく長いため息をつかざるを得なかった。
「……で、今の僕のどこが気に食わなかった?」
「そのカゴの中身だよ」
僕はカゴを前に持って、一つ一つ指さしながら、
「カレーパン、メロンパン、カフェオレ、たらこソースパスタ。どれがお嫌いで?」
「全体だ。何だその栄養面でも労力的にもだらしない食べ物は」
「パン二つは明日の昼食。カフェオレは学校での水分補給用。パスタは今日の夕食」
「いっぺんに食うつもりじゃないことくらいわかってる。お前の華奢な体格じゃ入り切らないのは火を見るより明らかだ」
こんな通い慣れたスーパーで時間を費やしたくない。僕はしぶしぶ積極的な態度を見せることにした。
「では今回の指示をお願いします。ギルフォード」
「その言葉が出ただけ及第点は特別につけてやる。
今日はテメェに健康的な飯を食わせる。まず、肉売り場に行け」
僕は指示に従い、踵を返して肉売り場へ行く。
ここ数年間、僕はこのスーパーの半分の面積しか歩いていなかった。
肉売り場がどこにあるか見当がつかず、「時間稼ぎするな」と文句を言われてしまったのが中々恥ずかしかった。
「牛と鶏、どちらがいい?」
「チキンで。今日は重たいものを食べたい気分じゃないから」
機内のような返事をすると、ギルフォードは無言で鶏ひき肉のパックをカゴに入れた。
これは他人から見たらポルターガイスト現象になるのでは。と、疑問が生じたが、解消したところでメリットが薄いので、気にしないことにした。
それからギルフォードはラジコンのように僕の行き先を指定しては、豆腐、パン粉、片栗粉、「今日はこれで勘弁してやるか……」袋入りのレタスサラダなどの品物を入れた。
「ちなみに一応聞いておくが、これで何が出来上がると思う? 推理してみやがれ」
「断る。僕はエルキュール・ポアロでもミス・マープルでもないから」
そして僕は七分遅れでようやくセルフレジに行くことが許された。
通学用カバンに仕込んでいたマイバッグを予定外に膨らませて、デビットカードをタッチし、無事店を後にした。
帰宅後、僕がスマホ片手にソファに落ちるように座ろうとした瞬間、「部屋着に着替えろ」と語気を強めて叱ってきた。
すぐにそうするつもりだったのに。と、小声で呟きつつも、一人自室で着替えを済ませる。
食材を買わせたらさせることといえば料理しかない。
僕はいくら汚れてもいいよう、普段着の中でも最も位の低い、いつ買ったかわからない黒スウェット一式を着て、キッチンで待っていたギルフォードの元へ戻った。
「人間の雰囲気って、つくづく服装に依存するよな」
「馬鹿にしてるの?」
「テメェの性格にはこちらのほうが合ってると思っただけ」
「じゃあそうだね」
ギルフォードはキッチンの調理台に置いた鶏ひき肉と豆腐を指し示す。
「今からテメェに料理してもらうのは、豆腐ハンバーグだ。これを手でこねて、ムラなく混ぜろ」
僕は手をキチンと洗う。
「素直に偉いなミハル。生の食品を触る前に手を洗うことを怠らないとはな」
「素直って枕詞が素直に聞こえない」
それからボウルを探し出す。
家で料理するなんて……何時ぶりかも忘れてしまった。
だからシンク下に収納があって、そこにボウルがあることも忘れていて、結果『探し』出したんだ。
たかが調理器具一つを出すだけで五分くらい使ってしまった。
遅れを取り戻すため、僕はすみやかにボウルに挽き肉と豆腐を入れ、両手を突っ込む。
「いいっッ!?」
そして僕は我ながら情けない悲鳴を挙げて、挽き肉から両手を抜いた。
「おい、急にやめるな」
「ち、違う……この挽き肉、やたらと冷たくて……」
「はぁ、当たり前だろ。調理前の肉が温かくて良い訳ないだろうが」
言われてみればそうだ。雑菌や腐食があるに決まってる。
料理経験が久々ということを差し置いても、こんな食べ物の基本を忘れたとなると、顔から火が出そうだ。
その熱が両手に移ってくれるとありがたいが、そんな好都合な話もない。
「何ぼさっとしてんだ、早く混ぜろ。お前も自由時間が欲しいだろ?」
誰のせいでその自由時間が縮んでいるのだろうか……僕は無益な文句を悲鳴とともに口内で抑えて、豆腐を潰しつつ挽き肉を混ぜていく。
するとやがて、僕の手から冷たさが薄れていった。肉側が僕の体温に合わせてくれたのか、僕側が肉の冷たさを受け入れたのか、どっちでもいいけど。
「ヒーヒー言わなくなったな」
「まあね。なんとかなった」
「それはよかった。その感覚、大事にしろよ。世の中大体そういうもんだ」
豆腐が脂身と錯覚するほど、挽き肉と混ぜた後、僕は手の脂汚れを落としつつ、
「これで後は焼くだけだね」
「ハァ? お前、数十分前のこと忘れたか?」
と、ギルフォードは呆れつつ、ボウルの横にパン粉と片栗粉を置いた。
「……だって僕の意思で買ったわけじゃないから。それに、肉と豆腐と一緒に混ぜた方が効率的なはずだから、そのタイミングで出さないってことは、ここでは使わないと思ったんだけど」
「それは言えてる。俺も今朝、たまたまテーブルにあったレシピ本を思い出しながら指示出してるだけだから飛んだんだ」
「なら初めからレシピ本を見ながら指示だしなよ」
僕の指摘をギルフォードが圧し潰す。
「別に二度手間でもいいだろ分けたほうがまんべんなく行き渡るだろうしよ!
ほら、四の五の言わずに適量入れて混ぜろ!」
「その適量はなんなの!」
ギルフォードがレシピ本を再確認している間、僕は計量スプーンを探す。
適量が判明すると、僕はパン粉と片栗粉をボウルへ入れ、再びその中身を手で混ぜた。今度はもう冷たさはなかった。
そこからはトントン拍子。挽き肉を二つに分けて成形し、フライパンに置いて加熱するだけだ。
裏表焼くまで合計十分ほどかかるとのことなので、その間に僕はギルフォードの情報を調べてみる。
「それにしてもギルフォード。あなた、ここの世界の仕組みに詳しいよね。導霊とかいうファンタジーな存在のくせして、現代知識もあるなんてさ」
「俺は与えられた使命を徹底して勤め上げる主義だ。
テメェのプロフィール同様、事前に調べておいてんだよ」
「そう。スーパーの使い方とか細かいところまで予習済みとは恐れ入りますこと」
と、僕は軽い仕返しのつもりで、皮肉を込めて返した。
「……あと、しくじりたくないんでな」
僕はこの台詞の手前に、妙な間が空いたことに気づかずにはいられなかった。これまで見せてきた我の強さなら、こんな淀みは発生しなかったはずなのに。
「ほら、そろそろ五分経っただろ。早くひっくり返せ。焦げが好きならそうでもいいが」
「わかりました」
しくじりのことは良く覚えていこう。いつかギルフォードが僕を本気で不愉快にさせた時、銀の弾丸に使えるかもしれない。
と、思いつつ、僕は豆腐ハンバーグをひっくり返し、フライパンを蓋で閉じた。
*
「米は炊けてるな」
「それくらいは出来て当然。あまり僕を舐めないでくれる?」
豆腐ハンバーグと袋入りのレタスサラダが乗った丸皿、麦茶と味噌汁。これが二セット、ダイニングテーブルに置かれている。
そこにギルフォードが炊きたてのご飯を盛った茶碗二つを置く。
僕は読んでいた本にしおりを挟んで、テーブルの隅に避難させる。
ギルフォードが僕の対面に着席してすぐ、箸を……
「……いただきます」
「よく言えたじゃないか。いただきます」
ギルフォードさんが箸を取ったのをしかと見て、僕も箸を持った。
いの一番に箸をつけたのは僕の豆腐ハンバーグ。
タレに既製品の玉ねぎドレッシングを使うという保険をかけているが、果たして僕なんかが作った料理が食べられるものかどうか気になってしょうがないのだ。
一口大に箸で挟んで切り取り、恐る恐る口へ運ぶ。
始めに保険の爽やかな甘味と酸味。次に豆腐由来のほろほろ崩れる感触。それと素朴な香り。そして鶏肉の穏やかな旨味……
「初めてにしちゃあ美味く出来たじゃねえか」
「レシピを従順にこなしたからね。別に嬉しくないけど……」
正直、嬉しかった。
中一――僕がこの家に引っ越してきてから、ご飯は冷凍食品か惣菜などの既製品で済ませてきた。
けれどもそれには幅がある。僕の献立は固定化していった。飽きた。
だから、新しい世界を広げるためにも、僕はレシピ本を買った。ズボラでも出来るようなレシピが載ったヤツを。
けれどもいざ中身を見ていくと、『レパートリー増やし』よりも『面倒臭さ』が上回ってしまった。
そうしてこのレシピ本は、買った日から半年もことなく、家のどこかに行ってしまったのだった。
そんな情けない僕が、料理を作れた。
悲願――という言葉を使うのは重すぎるが、それくらいの大事を成し遂げたような気分だった。
「お前いいもの食ったときに美味いよりも嬉しいって感情が先にくるのか? 不思議な奴だな」
ギルフォードは味噌汁を一口飲んだ。
「貴方に言われたくないよ。導霊さん。
というより今更だけど、あなた、天使とか妖精みたいな存在なのに、ご飯食べられるんだね」
「そこまで突き抜けて崇高な存在じゃねえよ、導霊ってのは。特に俺みたいな人間出身はな」
ギルフォードは、ゆっくりと味噌汁の茶碗を置いて言った。
「待って、今さらりと重要なことを言わなかった? 人間出身とはどういう意味」
ギルフォードはレタスをつまみかけた箸を置いて、
「オレ様がそう言ったのか?」
「言った。聞いた。気になった」
ギルフォードは長い溜息とともに目元に手を置く。
手を取ると、その目には観念の意識が感じ取れた。
「……そうか。わかった。変にはぐらかしたらテメェ、絶対納得するまで付き纏うタイプだろうからな……特別に話してやる」
【完】




