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露草の蛇は正道を通らず

 翌日。

 三時限目(現代文)と四時限目(化学)の休み時間が始まった途端、僕は1−D教室を出て、財布とスマホ、それと筆記用具も持って、女子トイレに行った。

 そして、休み時間が終了するギリギリに僕は教室に戻ってきた。この時、机には僕のリュックが消えていた。


 僕は小声で、そこに待ち伏せていたギルフォードに聞いた(ただ透明化して立っていただけなので、待ち伏せと言い難いが)。

「見てた?」

「バッチリ見てたぞ、ミハル……やはり犯人はトラジ……」

「授業が始まるから、詳しい話は五十分後に」

「……スマン」


 四時限目が終わった後、ギルフォードの目撃情報を聞いた上で、再びトイレへ行く。

 あの男子がいる奇跡は二度と起きないだろう。また男子トイレに隠されてもいいように、今度はギルフォードも連れているが……


「ちょっとばかしここで課題を出す。奴の一味じゃない、気の良さそうな男子に声かけて、取って貰え」


「これは厳しいね……」


 僕はギルフォードに従い、トイレ付近にたまたま通りかかった、青緑色の髪を持つ、身に纏う制服のブレザーとスラックスがハイブランドと見紛うほど、スタイルのいい人に声をかけた。

「すみません……変な相談ですけど、この男子トイレに入って、個室からリュックを取ってもらえませんか……?」


 するとその人は頭を抱えて、

「ご、ごめんなさい……俺、こんな見た目ですけど……貴方と一緒で、女なんですよ……」


「え、ああ……す、すみません……」


「い、いえ……俺からも誤解させてすみません……」

 その男装女子は、物凄いスピードで離れていった。


 その後姿を見て、ギルフォードは一言。

「……この学校、男装女子は珍しくないんだな」


「らしいね。余計トラジの悪質性が高まった」


 結局、当初の予定通り、ギルフォードがこっそりと僕のリュックを回収した。

 屈辱ながら、一階にある購買まで行って、スーパーよりも六十円多くお金を払って、パン二つとカフェラテを買ってきた後、教室に戻る。

 ようやく昼食とする前に、リュックに入れていた弁当箱の中身を確認する。案の定、今朝、全枠に詰めた白ご飯は全てなくなっていた。


「アイツ、嫌がらせのセンスがないな」


「もし食べなかったら、僕にパンをおかずにご飯を食べさせられたのに」


 パン二つを完食した後、ギルフォードは僕に、『トラジを追求する』か『教師に報告する』ことを提案した。

 昨日の話を経ても、どちらも怖いのは変わらない。だけど、意味のない時間は過ごしたくない。僕は勇気を振り絞り、教室を出た。


 トラジ……というより、陽キャ一軍勢の昼休みの居場所は、僕みたいなはぐれ者でも見当がつく。

 まず僕は第一候補……廊下の途中にある丸テーブルが並ぶスペースに行った……ビンゴ。


 そこには大勢の陽キャどもが集っていた。

 トラジがいるのはスペースの最奥。

 右にチャラい男子、左にモデルっぽい女子に挟まれて、座っていた。

 アイツら自分たちの前に座らせた誰かに説教しているようだが、周りの人たちの頭とか身体が重なって、安全地帯からではよく見えない。


「この手勢の追求は無理だな」


「本丸を攻めるようなものだね」


「じゃあ、先生に言いに行こうぜ?」


「……いや、それは待って欲しい」


「ここにきてまた弱腰か?」


「違う。社会全体の常識として、『チクリ』は伝家の宝刀にして諸刃の剣なんだよ。

 仮にそれでトラジを一時反省させたとしても、その後下っ端を使って反撃される恐れがある。だからまだ、そうするには早いと思う……」


「いいのかそれで?」


「……もっと事実を集めるんだ。そうすればチクリされても文句も言えなくなる」


 昼休みの後は、普通に授業を過ごし、普通に帰り、普通に家で過ごした。


 さらに翌日。

 偽装にしても白米を詰めるのがもったいなくなってきたので、今日はお弁当箱すら持っていかず、登校した。


 すると僕の机に、コンビニの唐揚げ弁当がホカホカのまま置かれていた。しかも蓋がない状態で。

 横にはルーズリーフをちぎって使った書き置きがあった。


「何だこれ? 文字がカクカクしてるし、改行するところがおかしくないか?

 なになに、『きのうは昼食がく えなくて苦 ろうしてたようですね。 ゴ迷惑おかけしたようです ミません』……」


「定規使って書いたんでしょう。おまけに雑な縦読みまで用意するなんて……!」


 今朝、しっかりと塩むすび二つに味噌汁をいただいて来たので、入りそうにない。

 奴と同じような真似をすることは癪だったが、人目を避けてトイレまで行き、便器の中に流して捨てるしかなかった。

 こんなことのために、コンビニ弁当代を払うまでになったとは。

 いじめの規模がグレードアップし、僕は一昨日以上に焦燥し始めた。


 昼休み。僕は何も食べず、机に座り、どうしようか迷った。


 本来ならば、一回やられた時点ですぐ対処するべき……という前提は一旦忘れておく。

 トラジの尻尾を掴む作戦を始めてから、たったの二日だが、自分はもう許容できなかった。

 このいじめに心が耐えきれなくなったのとは少し違う、この後、ヤツはどんなことをして僕を追い詰めるのか。そういう不安が膨らみ続け、爆発しそうなのだ。


 ギルフォードは「すぐに職員室に行け!」と催促しているが、やはりチクリの代償がどうなるかが怖い。

 ここ数日で、自分の弱点が具体的にわかってきた。

 ――僕は二つのマイナスのどちらかを取るジレンマに弱い。


 どちらを選ぼうか迷い、机の木目模様を分析する僕に、ギルフォードは言った。

「ミハル、とりあえず購買に行け。また飯抜きで午後過ごすのはよくない」


「わかった……」


 こうして保留にする理由を見つけた僕は、席を立ち、購買へ向かう。

 不安を抱え込み過ぎたせいだろうか、空腹のせいだろうか、心なしか僕の足取りは、斬首台に向かう罪人のように重くなっていた。

 

 すると、その途中の廊下で、

「ねえ貴方、大丈夫? なんか具合悪そうだけど……?」

 僕よりもうんと背の高い、バスケでもしてそうな見知らぬ女子が心配してきた。


「……いや……なんでもない……」

 僕が通り過ぎようと、その女子は完璧に軌道を読んで遮った……この足取り、やはりバスケ部だ。


「何でもない人の声色じゃないよこれ。速攻保健室とか行きなよ。大事になったら、みんなに迷惑かかるからさ……」


 僕は普段の悪い癖で、後ろのギルフォードのことを除外して返す。

「いいよ、僕、一人ぼっちだから……誰も迷惑……」


 するとそのバスケ部女子は、僕を無理くりピンと立たせて訴える。

「いいや、絶対迷惑かかる! 実際、今アタシが迷惑してるから! ほら、これ以上ダラダラ言ってないで、早く行くとこ行ってよ、ね!」


「わ、わかった……!」


 僕はバスケ部女子の熱い説得に折れて、彼女が指さす方向……階段へと降りていった。


「やっぱり、悪い奴だらけじゃないだろ?」


「……どれにしろ、この階段は通るつもりだったけどね」


 うちの学校は上から見ると、カタカナの『コ』の、半端なところに縦線をもう一本引いたような形状をしている。

 購買も職員室も、教室が集まる棟の反対側の一階にある。

 そのどちらへ寄るかを考える最後の機会――中庭を渡る道を歩いている最中、奴がいた。


 この中庭で、うちの高校に何故かいる天才マジシャンが、不定期のショーを開催していた。

 奇遇にも、それをトラジが後方に立って見物していたのだ。


 パッと見て、奴の取り巻きは昨日の休憩スペースよりも少ない。

 僕はこのチャンスを逃したくない一心で、飢えたライオンがシマウマを見つけた勢いで、

「高城さん! 貴方に話があります!」

 僕は声をかけることに成功した。

「よくぞ言ったな、ミハル!」


「チッ……このKYが……急に大声だしてくん……ああ、何だ、コレか」


 トラジが至極煩わしそうに僕へ振り向く。開幕、ここまで人を見下してくるとは性根の腐り具合がよくわかる。


「コレってどういうことですか」


「こういう場を弁えない頭の悪い奴がいきなり話しかけてくるシチュエーションに対して言った。俺が人をコレ呼ばわりする最低な奴だと思ってんのか? 被害妄想するなボケが」


「それ相応のことは今も言ったぞ、テメェ」

 と、ギルフォードは傍でつぶやく。全くもってそうだ。


「……で、要件は何? 俺今忙しいんだけど」


(マジック鑑賞する人間が忙しいわけがあるか)

「貴方、昨日と一昨日、僕のカバンをトイレに隠しませんでしたか? それで昼食とか授業で困ったのですが……」


 トラジは両手を上へ向けるジェスチャーまでして、わかりやすくとぼける。

「は? 急にどうしたんだお前? 何で俺がお前のリュックを男子トイレに隠す必要があるんだ?」

 しかも、ベタな刑事ドラマの犯人めいたボロまで出している。


「同じクラスの人から、トラジが持っていったと聞きました」


「誰がだ?」


 いざという時には、あのルーズリーフをくれた女子を出すことも考えておき、僕はこう返してみる。

「どうせ嘘だって決めつけるか、その人を恐喝して事実をもみ消すつもりでしょ」


「じゃあお前の妄想話ってことで解決でいいか」


「そう。そんなに強気なら、中立で厳密な聞き取りも行って貰っても構わないですね」

 と、僕は左手人差し指で、職員室がある方向を示しつつ言った。


 するとトラジはその左手を掴み、粉々に砕け散るかと思うほどの力で握り締めて、

「調子に乗ってんじゃねぇぞクズがァッ!」

 中庭一帯に反響するほどの怒号を放ってきた。


 マジックショーを見ていた人たちの注目が一斉にこちらへ移る。

「な、なんじゃあ!? お楽しみはこれからって時に……!」

 人混みの向こうにいたマジシャンも、仕掛けと思しき一リットルペットボトルを机に戻して、ショーを止めた。


 僕は歯を食いしばって、左手をトラジの握りから外そうとする。

 陽キャ特有の暴力的な含蓄だろう。トラジは自分がこれ以上動かそうものなら関節にダメージの入る方向へ曲げて止める。


 純粋な手首の痛みと、周りからコソコソ聞こえる「いいぞ、もっとやれ」というニュアンスの声が、僕を苦しめた。


「俺はお前みたいな後ろ盾に守られて生きてる奴らが嫌いなんだよ!

 何でもかんでも他人に用意してもらって、甘ったるい生活を送ってる社会のゴミ風情が!」


 ラップバトルの一バースが終わった後のように、歓声がこだまする。

 トラジも徹底的に叩き潰すつもりなのか、単に呼吸を整えるためか、一時口を塞いだ。

 僕は痛みと怒りによって、反論をせざるを得なくなる。

「そう思ったとしてもこうして表に出すのは反社会的だと思いますが!?」


 トラジは一段階、手を握る力を強めつつ、アンサーをかます。

「谷久保ジュンスケ選手のことは知ってるよな。毎日ニュースでメジャーリーグでの活躍を報道されている、日本を代表する野球選手だ!

 ジュンスケがどうしてあそこまで強いかわかるか!? 生まれながら才能があったから? 違う。いいスポーツ校に通ったから? 違う。

 どんなに嫌なことがあっても我慢して戦い続けたからだ。

 プロ選手に必要な厳しい練習の日々はもちろん、本試合での勝ち負けとか敵味方双方からの激しい暴言罵倒、渡米した後の基準の違いや人種差別……それ全部にいちいち泣いたり歯向かったりしないでいたから、野球大国でも史上最高の選手と呼ばれるくらい強いんだよあの人は!

 対するお前は真逆の位置にいる史上最低の人間未満のカスだ!

 達観ぶって一人でいるくせに、いざ困ったら喚き散らす……最近じゃあ意味不明に男物の服なんか着て、ポリコレ使って武装しやがっ……!?」


 ここで僕とギルフォードは我慢できなくなった。

 厳密に言うと、先に怒りが天井に達したのはギルフォードの方。彼は、僕の肩に手を置いて、力を半分貸し与えた。

 僕はそれに後押しされて、怒りを解き放った。 力づくで左手のトラジの拘束を外す。刹那、解放されたばかりの左手を握りしめ、大きく振りかぶって、奴の顔面に重たい一撃を食らわせてしまった。


 感覚も研ぎ澄まされているはずなのに、まるで鼓膜が破れたように、辺りが静まり返った。

 振った拳を見つめる僕。

 悔しさと痛み、あるいは僕にこれほどのダメージを食らうという屈辱に顔をしかめるトラジ。

 静寂を破ったのはこのどちらでもなく、観客の集まりから出てきた女子――昨日、あの休憩スペースで見かけたモデルっぽい女子だった。


 彼女はトラジの元に寄り添って、

「さっさと反撃して潰してやりなよ! これ以上落ちこぼれどもに好き勝手させんな!」


 トラジは彼女の首元に肘を叩きつけて尻もちをつかせた。

「うるせぇこのぶりっ子! 事の発端はお前が持ち込んだんだろうが!」


 直後、トラジは僕を睨み直して、

「さっきはよくもやってくれたな……! 親同士だけじゃなくて子同士でも痛い目に合わされてよ……!」

 思い切り足を振り上げる。


 その瞬間、突如中庭に雨が降り始めた。

 僕とトラジ、周りの人たちは思わず腕を上にかざす。


 しかし、ここにいる誰も、その雨粒を一滴も浴びることはなかった。

 正確に言うと、この雨は放り投げられた一リットルペットボトルから漏れ出した水なのだが、それにしても異常な光景が、僕たちを黙らせた。

 全ての水滴が、空中で止まっていたのだ。


「今日はとっておきのヤツを持ってきたのじゃ! 喧嘩してないでこっちにも興味持つのじゃあ!」

 と、天才マジシャンらしい女子は、斜め上に手をかざして叫んだ。


「すげぇ! マジで止まってる!」

「時間停止してるのかこれ!」

「ガチであれじゃん! グレイテスト・ショーマンの奴じゃん!」

「それを言うならグランド・イリュージョンだろうが、イカルガ……」

 周りの人たちは否が応でもマジシャンへ向いてくれた。

「……って、こんなことツッコんでる場合じゃない」

 しかしトラジは本題を思い出し、

「このヒステリー女の娘がァァァ!」

 意識を現実に戻し、僕に殴りかかった。


 けれども僕はもう、そこにはいない。


「あ、危なかった……何かあの後から中庭が騒がしくてつけてみたら……まさかこんなことになってたなんて……」


 さっき僕を心配していたバスケ女子が、突然背後から羽交い締めにして、引っ張って避難させたのだ。


 バスケ部女子は僕を自力で立つようにしてから、中腰で僕の前に移る。

「しっかしあのトラジに一発パンチ食らわすとは、勇気あるよね……」


 僕は脇にある窓から、中庭の様子を伺う。

 あの騒がしさがマジックショーの歓声とは明確に違うと察したのだろう。名前は忘れたが三年生の堅物な担任教師が駆けつけていた。


 トラジは周りから騒動の中心人物として指され、その先生に詰問されていた。


 手荒な方法だったが、これで事が丸く収束する……と、思えるほど僕は楽観的ではいられなかった。

 殴るという確固たる暴力を先に振ったのは、僕の方だ。

 リュックと弁当にまつわる嫌がらせ。大物野球選手を後ろ盾にした暴言。

 どんな理由があっても暴力はいけない。というのは百も承知だが、それで片付けられてはこちらも困るような真似を、僕は受けた。


 だが、奴はそれを全て伏せた上で僕の名前を出すだろう。

 アイツが主犯だと言った良識ある人もあそこにはいると思うが、「いいぞ、もっとやれ」と囃し立てる人もいた。

 トラジにも多少の罰は下るだろう。けれども、最低でも、奴は権力なり人脈なりを使って、僕の足首を掴んで道連れにするだろう。


「……ねえ、今からでもいいからやっぱり保健室行こうよ」


『そうでありますよ。人間がしていい顔色ではございませんよ貴方』


「……大丈夫……大丈夫ですから……」


 ギルフォードにまだ力を借りているままのはずなのに、僕の身体は、少しでも気が緩めば崩れ落ちそうだった。

 勇気を出したところまではよかった。だが、それではまだ足りなかった。

 ――代償。僕はいずれ来るそれを、受け入れられそうにない……


【完】

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