浅黄の餓狼は孤城を開けず
「……あの、それ」
僕のリュックを持ってきてくれたのは、マッシュとロン毛の中間にして悪いところ取りのようななんとも言えない髪型をした、僕の仲間と思しき男子だった。
その人は僕の存在に気づくなり、ボクシングのピーカブー・スタイルをして、全開の両目を向けたまま、硬直した。
多分、僕の素の力でも今手押ししたら、彼はフィギュアのようにコテンと倒れるだろう。
もちろん恩人にそんなことはしない。代わりに僕は、力を込めて尋ねた。
「……僕の、リュックです、それ……」
回線の不調でも起こったような、数秒間の間を置いて、
「ああ、すみません。はい、どうぞ」
その男子はリュックを差し出した。
決して悪気はないのだが、僕は一時はどうなるかと思ったリュックの所在に安堵し、クリスマスプレゼントに食いつく子供さながらの勢いで、素早く取った。
即座に僕は、中を覗き、ファスナーバックを取り出す。
その中にある三冊の本に被せたブックカバーの裏側を一つ一つ覗く。ある。あの小説もちゃんとある。
「よかった無事だ……」
僕はファスナーバッグを戻し、これを背負って踵を返して歩いた。
途中、ギルフォードが僕に注意した
「……おい、ミハル。アイツには礼を言ってやれよ」
そうだ、それが普通なんだ。棚ぼたながらも僕のリュックを持ってきた人だから。
僕は再度踵を返して、腰を勢いよく曲げて叫んだ。
「ありがとうございます!」
「ど、どういたしまして……」
男子は照れくささ半分、タイミング遅れの礼への戸惑い半分で、ニヤけながら返した。
*
帰宅後、僕はすぐに弁当箱を洗う。
取り返してすぐ開けると、中身が空になっていた。場所のことから察するに、リュックを隠した犯人が流して捨てたに違いない。
時刻は午後四時頃。遅めの昼食を取る気にもなれないので、僕は夕食まで、またソファで本でも読んで過ごすことにした。
「全く、ひどいことしやがって……ミハルが張り切って作った弁当に手を出すとは」
と、隣のスペースに座ったギルフォードはぼやく。
「張り切ってはいないけどね……」
このツッコミは無視し、ギルフォードは続けた。
「一体誰がやったんだろうな、こんな嫌がらせ。ミハルのためにもシメてやらないと……」
僕は手につけた自己啓発本をローテーブルに置き戻して、一言。
「高城トラジ」
「トラジ? ああ、タチの悪そうな輩二人が言ってた奴か」
「それと、僕の1−Dクラスにいる、あの坊主頭の背丈と肩幅が平均より一回りデカい男子」
「いたな、そいつ。ずっとお前の側で透明化して見てたが、オレ様から見ても傲慢な奴だと思ってた。授業中に先生まで嫌なふざけ方かましてたよな」
「自分も傲慢だって自覚あるんだ」
これもギルフォードは無視する。
「……で、奴が何故お前のリュックを取った犯人だってわかるんだ」
「逆算。アイツがこんな悪質性の高いいじめをできるのは、僕くらいしかいないから。
見てたでしょう。特に今日の体育の時のあの有様」
「先生があれだけミハルにも参加してもらおうと工面してたってのに、蚊帳の外に追いやられてたな」
「このクラスの中では、僕はその程度の位なんだ。だから僕をいじめても誰も罪悪感も感じないんだよ。加害者当人も、取り巻きも、傍観者も」
「……」
ギルフォードは横から僕の顔を覗き込んで、
「ミハル、こんな時に相当キツイことを言わせてもらうが、お前にだって少なからず責任があるはずだが」
「……何が」
「お前、誰とも関わろうとしないよな。かれこれ一週間近くお前の様子を見てきた。それでわかった。
オレ様と、店員とか教師みたいな、必要がある奴を除くと、誰とも喋ってないぞ。
こんな奴、格好の的だろうよ。大多数を束ねているアイツからしたらよ」
「貴方はたった一人の人間として、導霊の特訓をやりぬいたのでしょう。導霊ギルフォードさん」
「よく俺の過去を覚えているな。
ああそうだ、オレ様は孤独のままでやり抜いた。けれどもオレ様には周りの罵詈雑言に耐え抜くだけの強さがあったから成し得たものだ。
それがないのは自分でもわかっているだろう。リュックの在り処を聞くのはおろか、紙切れ一枚貰うだけでもあれだけ足踏みするような精神力だっていうのに……
だからこれまでお前は、殻に閉じこもるように、外界からの接触を絶って、自分の身を守っていたんだろう」
「御名答。僕みたいな弱い人間がこんな弱肉強食の世界を、生き延びるにはそうするしか……」
「けど、長くは持たないぞ。
こんな生き方、殻が壊れたら全てがダメになる。
わかるだろ? 弁当を盗られた後、あれだけ怯えてまごついてたんだからよ」
特に昼休み中の時、思い返すと、僕は何故あんなに時間を無駄にしたのだろうと後悔した。
あそこに味方になってくれるクラスメートがいれば、空腹のまま体育の授業で置き物にならずにすんでいた。それでも……
「……わかってる。けど僕はもう、誰とも関わりたくないんだ……」
「あんな親どものくだらない過去を延々と引きずってか?」
僕は反射的に問いかけた。
「まさか、知っているのギルフォード!?」
ギルフォードは意地悪く口角を上げる。
「当たり前だろ。使命のために粗方調べてある。特に、『テメェを幸せにする』ために、ここは一番把握しておいている」
そしてギルフォードは、神妙な面持ちに戻り、尋ねてくる。
「こないだ、オレ様は自らあんな過去をわざわざ自分の口から教えてやったんだ」
「だから、僕にも自分で話せって言いたいの?」
「事前に渡された情報と事実に相違ないか確かめるためにもよ。というわけで教えやがれ、ミハル」
言っとくが、拒否権はない。というギルフォードの声の幻聴が、頭に響いてきた。
「わかったよ……」
僕はしぶしぶ、ギルフォードに、自分の呪いとも言えるトラウマを伝える。
*
さかのぼること約四年前。
僕が小学六年生だった時の話だ。
その頃の僕の一番の悩みは、両親が連日喧嘩をしていることだった。
子供だった上、二人ともいつ喉が壊れてもおかしくない怒鳴り声で言い争っていたのでその理由は、明確にわからない。
当時、かろうじてつまめた文言と、今からでも知れる状況から、僕なりに考察するとこうなった。
僕の父親は、日本人ならみんなが知ってるファストファッションブランドの社員だった。
浪費癖のある母親は、そんな父親のことを金のなる木という側面だけ見て結婚した。
ところがいざ結婚生活を始めてみると、父親は上場企業のわりには稼ぎが少なかった。
父親は、その仕事を大卒特有の安定したレールとしか考えておらず、昇給や出世などに努力をしなかったからだ。
母親はその怠慢さを、僕の将来のことを武器に使い、辛辣に責めた。父親は就職までの苦難を元に、それ以上の反撃を行った。
売り言葉に買い言葉。目には目を、歯には歯を。
この域を二人は激昂のままに平然と飛び越え、夫婦喧嘩は日に日にエスカレートしていった。
僕は寝る時、ヘッドホンが必須だった。
それでも、当時の家に来たパトカーのサイレンで起きた。ということもあった。
そして、僕の今の性格を作った大事件が起こった。
とある授業参観の日。
恐らく親権確保の根拠づくりのためだろう。
父親は僕に、敵にこの日のことを伝えないように約束をこぎつけ、器用に僕を土曜日の学校に送り出し、一人で教室の後ろにやってきた。
授業が始まって十分ほど経った時、破裂音のような大音を立てて、突然引き戸が開いた。
そこにいたのは、言わずもがな鬼の形相をした母親。
母親は平然といた敵を見つけるやいなや、その胸ぐらを掴み、ありったけの罵声を浴びせた。
最初は場所を考えろとなだめていたが、父親も堪忍袋の緒が切れて、不相応の暴言を叫びまくった。
こうなればもはや授業ではない。自分のクラスの先生、学年主任、そこにいた他の親御さんたちが仲裁を試みた。
その最中、切った張ったの空気に見境が無くなった母親が、父親から自分を引き剥がそうとした他所の保護者を突き飛ばした。
運が悪かった。突き飛ばされた先には掃除用具を入れる金属製のロッカーがあり、その人は辺に頭をぶつけて、血を流してしまったのだ。
後に軽症で済んだとわかったが、怪我は怪我。
周りにとってはもう、何が何でも止めるしか無かった。
僕の両親は揃って警備員に押さえつけられ、そのまま誰かが呼んでいた警察に身柄を引き渡された。
この後の数カ月間、僕はどうしていたかよく覚えていない。
かろうじて記憶にあるのは三つ。
頻繁に裁判所に連れて行かれたこと(離婚裁判だろうか)。
周りから『殺人犯の子供』と事実無根の揶揄をされたこと。
つらい現実のはけ口として、あの小説にであったこと。
その後、僕は父親とともに暮らすことが決まった。同時に、母親とは二度と会えなくなった。
この騒動で父親の心境も変わってきたのか、日を見るより明らかなほど、仕事に対する熱意が変わり、トントン拍子で出世していった。
今、父親は会社の海外支社で、外部との折衝役をしているらしい。
もちろんその職務の重大性に似合う額の給料が入っている。
このマンションの一室と僕の生活費は、そこから捻出されている。
きっとこれは父親なりの謝罪なのだろう。
だけど、もう手遅れだった。
一連の騒動により、僕は、人に対する恐怖心が芽生え、満開に狂い咲いているのだから。
*
「なるほど、聞いてた話と相違ないな」
「これで改めてわかったでしょう。僕が、誰とも関わりたくなくなって当然だって」
「……ああ、お前の孤立には相応の理由があるのだろう……」
「わかってくれて嬉し……」
「だが、それでもこのままではいけないんだよテメェは!
さっき言った通り、殻が壊されたらどうしようもないというのもあるが……テメェ自身がこんな望んでないだろうがよ!」
急な話の飛躍に、僕は引いた。
「どうしてそれ言い切れるの、ギルフォード」
「本当に一人ぼっちになりたいやつが読む訳ねえだろうが、この本も、あの辺に置いてある本も!」
ギルフォードは僕の手前にある本と、テレビ台の収納に仮置きしている本――コミュニケーションに関する自己啓発本――を全て指さした。
「何ていう洞察力しているんだよ、ギルフォード……」
「お前だって危機感を感じているんだろ。こんな生き方じゃ、殻を破る攻撃とか、その他諸々の衝撃かなんかに対応しきれなくなるってことくらい……」
「もう言わなくていいよそんなこと!」
僕はソファから立ち上がり……両親の二の舞にならないように、握り締めた両拳を脇に固定する。
そこから僕は、嗚咽混じりに言った。
「……僕だって、欲しいよ。友達が、仲間が、味方が……けど、どうしても、できないよ……まるで誰かが見えない糸で引っ張ってるみたいに、いざ誰かと関わろうとすると、足も口も動かなくなるんだ……あの親どもの過去がフラッシュバックするんだ……どんなに意識をそらそうとしても……だから、できることなら、僕はずっと、殻の中に閉じこもっていたい。もし破られたのなら、それはそれでいいんだ、もう……!」
「それが、ミハルの本心なんだな」
「じゃなかったら何だって話なんだよ……!」
「それもそうだよな」
ギルフォードは真っ赤になった僕の顔から視線を反らし、ひどく長いため息をついた。
立ち上がり、僕と目線を多少は合わせて、口ごもりながら言った。
「だがそんなんじゃあ……は、悪くないだろ。何もしてないのに、もったいないだろうが……」
「……え」
ギルフォードは両こめかみを曲げた人差し指でグリグリした後、目を見開いて、
「あの学校じゃあ、ある程度の人間関係が出来上がってるから、今のトラジってやつのように友達いっぱいにはなれないと思う。これは紛れもない事実だと思う。
けど、お前がこのまま誰にも相手されないってことはないだろ。四年前に暴力を振るったのはお前じゃないんだから。誰かと接する道理はある。
あの馬鹿親どもの話が、高校の連中にも知れ渡ってるわけじゃなあ……ないんだろ?」
「……うん、全員には知られてない、はず……」
「じゃあ、手を差し伸べてくれることもあるはずだろう。男子トイレから出てきたアイツみたいな。
ならせめて、そういう奴を受け入れるための『空気穴』くらいは、殻に開けとこうぜ、な」
ここで僕の悪い性格が発動した。
一度否定の体勢に入ったら、何でも否定する極端な迎撃方法だ。
「けど、また、そこを突いてトラジみたいな悪いやつが攻撃したらどうするのさ」
「その時はその時で考えりゃあいいだろ。オレ様といっしょによ」
ギルフォードは、自信満々に自分を親指でさしながら言った。
「『真行寺ミハルを幸せにする』その使命の元、導霊ギルフォードはここにいるんだからよ」
そして僕は、ギルフォードに倒れ込んで、その胸板あたりを盛大に汚した。
「ごめんなさい、ギルフォード。ここまであんなに拒んで、困らせて、時々怒鳴りつけて……」
やはり僕の呪いは重すぎる。人とのふれあいが多く、まともな人間性を持つ人なら、『つけて』の後に言うべき締めの言葉がすぐ出るはずなのに、僕は涙しか出せなかった。
「……よかった……いいんだよ、これで……」
ギルフォードは、そんな情けない僕の背中に、そっと手を置いた。
時間が経って、感情が落ち着いた後、ソファに座り直した僕に、ギルフォードは尋ねた。
「そういえば、トラジってヤツはどうして今日に限って、お前のリュックを隠したんだろうな?」
「……今日に限って?」
「話を聞くに、アイツはお前のことを前々から見下しているんだろ? けど、俺が一週間近く一緒にいたが、アイツがミハルに嫌がらせをしたのは今日初めて見たんだが」
言われてみればそうだ。
トラジが僕に悪事を働いたのは、前回がいつ何をしたか思い出せないくらい久しぶりのことだ。
しかも、これくらい明確なことをしたのは、今までになかった。
僕は考える。
「単なる気まぐれじゃないの。ああいう無法者は無軌道に無責任なことをするから」
「だといいよな。明日、今度こそ弁当にありつくためにもよ」
「そうだね。明日もトラジに中身を捨てられないといいけど……」
「……確証が、ないよな」
「そもそもトラジが盗ったっていうことも確定してないけど」
「……というわけで、明日の昼飯はどうする?」
ここで僕は、考えた。
「購買でパンでも買うよ。ただし、お弁当は持っていく」
このままギルフォードに甘えっぱなしではいられない。僕も、少しでも、僕自身から幸せになるんだ……
【完】




