False Hard-to-Starboard
俺は、マンセルさんの行ったことを、当然再確認する。
「世界が、滅ぶんですか?」
マンセルさんは首を縦に振る。
「本当に、最悪中の最悪の場合は」
あまりにもあり得なさ過ぎる。現実味がなさ過ぎる。
こんなダメな陰キャのいち行動が世界を救う鍵となるとか……使い古されたセカイ系ストーリーじゃあるまいしさぁ……
というのを熱帯魚さながらの口パクでのたまっている間、マンセルさんは話を続けた。
「重ねて言う。あくまでこれは本当に、最悪中の最悪の場合だ。
マルチバースの中には、ごく少数の権力者が一つの世界を丸ごと支配したり、他の世界に自在に移動できる者がいたりする。
その二つが合わさった、境界線など意識しない超権力者の中には、他の世界にしかない超貴重なアイテムを欲する蒐集家もいるのだ。
そうした者は時に、自分のコレクションのためなら何だってする者もいた。その結果、世界が滅ぼされた事例を、我々アルストリーノは観測している」
「ななななな何でそれさっさと教えてくれなかったんですか!?」
「すまない、改めて伝える。あくまでこれは本当に、最悪中の最悪、あまりにも希少な結果だ。必要外にゼン氏を焦らせたくなかったので、あえてここまで伏せていたんだ。
安心したまえ、アルストリーノはそうした破壊的行為を防ぐために成り立ったのだ。
そうした規格外の美術愛好家に無駄な手間を掛けさせないように、多くの美術品を一挙に集めた場所を提供して、満足していただく。
万が一、コレクション関連で滅ぼされそうな世界があれば、館内の特殊部隊が介入し、防衛と交渉を行う。
これらの対策により、我々はいくつもの世界を守ってきた実績がある」
そしてマンセルさんは、俺の椅子を回し、俺の両手を取って、なだめるように訴える。
「いくらなんでも重大な事実を伝え過ぎて恐れ慄いているのはわかるが、とにかく心配しないでくれ。私たちは、ゼン氏とこの世界に危害を大小問わず加えさせない。絶対にだ」
「わ、わかりました……」
そして俺は、抜けかけた腰をどうにか安定を保ち、部屋から出ていこうとする。
「どちらへ行くのだ。ゼン氏」
「寝る前の歯磨き……今日は疲れましたんで……特にこの三時間でダバーっと……」
「では私は布団の支度をしておくよ」
「何から何までありがとうございます……」
最悪中の最悪の場合、俺のイラストが世界を救うことになる。
だとすると、さっき『俺は絵師人生最大の壁にぶち当たりつつあります』と軽く言ってたのは、四キロ長距離狙撃めいたドンピシャだったかもしれねぇ……
*
翌日の昼休み。
俺は六日ぶりに陽キャグループの一兵に呼ばれて、あの集会所に連れて行かれた。
近づくにつれて元気なやかましさが鼓膜をブチ叩いてくるが、今日はどことなくおとなしい気がする。
その直感はいい線をいっていた。
最奥にいる上流オウマさん、高城トラジさん、貴崎イカルガさん、いつものトリオが、いつも通り俺を待っていた。のだが、今日は暴力団の三幹部みたいな険しい顔をしていた。
開口一番に、真ん中のトラジさんがぶっきらぼうに言った。
「お前、俺たちとのこれまでのこと、先生にチクったりしないよな?」
これは質問の形をした、拘束力を強めた約定締結だ。
けれどもこの台詞は『はいかいいえの質問』として扱う。
「何かあったんですか?」と質問で返せばこの人は、「質問に質問で返すな」とかキレ返してくるに違いない。
「はい、わかってますとも」
俺は、この要求を素直に受け入れる。
「わかればいいんだよ、わかればよ」トラジさんは納得した様子で、手元にあるペットボトル茶を一飲みする。
同時に、その左隣に座るイカルガさんが、まくしたてて、
「いい? 別にアタシたちはお前のことをイジメてやろうとか考えてないから。アタシたちはこういうスタイルでやったほうが円滑にコミュニケーションが進むからってだけで、悪意とかは決してないから!
お前は変にヒステリック起こしてアタシたちを困らせないでね! わかった!?」
「わかってます。わかってますよ」
別な意味でもわかった。
三大将は俺の知らない間にトラブって、大目玉を食らったみたいだ。
俺はネット上の有名人のは言わずもがな、学校内の人間関係のゴシップにも興味は持たないから、具体的な内容は知らない。
だけど、六日というまあまあの間隔と、御三方の本気具合から……
「おいゼン! テメェ本気で聞いてるのか!?」
トラジさんはペットボトルの底を思い切り机に叩きつけ、周りで騒いでいる陽キャモブを黙らせるほどの轟音を鳴らした。
「……はい、聞いています」
「ならいい。ったく、本当に裏切ったらテメェのこと死ぬまで追い詰めてやるからな……
おい、オウマ。お前からも釘刺してやれ。同じクラスなんだからもっとはっきりやってやれ」
「はい」
どことなくしおれたような返事だった。前者二人の覇気に気圧されて急にしょんぼりしだしたのか。
「……ゼン先生。その、なんか、ごめんな。ひょっとしたら、いや、絶対だな、何回かはお前のことを傷つけただろうよ。
けど、マジごめん。俺たちみたいな奴らってキツめのイジりもコミュニケーションの基本テクみたいに捉えてるからさ。
それが一番スムーズに事が回るんだよ。落ち度をイジったりするのをベースに話を進めていくのがさぁ。
お前があんま抵抗してこないもんだからって、これくらいならいいか。ってエスカレートしてた部分があった。
だから……ああマジ俺、語彙力ねえな……ごめん、ゼン先生。今度からはもっと節度もって接するわ」
ものすごくたどたどしく長文を言ってから、オウマさんは俺へ軽く会釈した。
「大丈夫ですよ。別に……俺は実際あんま気にしてませんから……」
俺もお返しに会釈する。
やはり大目玉を食らった線で間違いない。
オウマさんは、左の二人と違って重たすぎるストレスは自分でモロに受け止めちまうタイプだったんだな。
「……というか、今更だけど、ゼン先生って呼び方も嫌だったりするか?」
「それも別にどうでもいいですよ」
ゼン先生。
高校入ってから間もない頃、俺が暇さえあれば絵を描いていることを、クラスメートとしてずっと見てたオウマさんだけが使ってる謎敬称付けだ。
画伯とは呼ばず、上げて落とすタイプの皮肉を使うのが、マイナス的な言葉へのウィットに富む陽キャらしい表現だと思った。ホントにたった今。
マジでどうでもよかったから。中学の頃なんかもっとひどい渾名つけられてたもの。その当時世間を騒がせた犯罪者の名前とかよぉ……
「そうか。じゃあ、俺からもなるべく波立たないようにお願いしまっス。ゼン先生」
「了解っス。こちらこそ今後ともよしなに……」
そして俺とオウマさんは、五回ほど、シーソーみたいに片方頭上げて、もう片方は下げるみたいなやり取りをした。
この時、オウマさんは溶解度限界まで砂糖を入れたお茶を飲んでいるように顔の中心へシワを寄せていた。
イカルガさんはショート動画のスワイプ中に長くてウザい広告を引いたときみたいにしかめた顔を、どうにか自分のスマホに向けてごまかしていた。
この二人の姿を、俺は見逃さずにはいられなかった。
だからといってどうってことないけど。こいつらはこういう奴らだってことにしとけばいいし。
*
その後、俺は五、六時限目の授業を切り抜けて、美術部に行った。
今日もそこでの成果は何もなく。スケッチブックを汚さず、マンセルさんと電車に揺られて帰った。
いつも通り、母さんこだわりの料理が出来上がるまで、マイデスクに向かいながら、俺はこれまでのことを振り返る。
リュック返し。兄との遭遇。ワンチャン世界滅亡の危機のカミングアウト。三大将の詰問……ここ最近、インスピレーションには事欠かないイベントが起こりまくっていたな。
でも、これを俺の作品に使えるかというと……微妙だった。
強いていうと、兄さんが昨日カッコつけて言ってた『根本、原点、基礎の部分は決して忘れるなよ』という言葉は、なかなか刺さっている。
俺の今の絵師活動の根本……ミア・ロマネスク様の素敵さを界隈に周知させる。
だったらミア様の凛とした御姿を最も表現できる……いや、それは散々やった。こないだのイラストもそういうコンセプトで描いていた。
もっと、もっとミア様の魅力を脳内で掘り下げていく。すると俺は途端に、ラファエロ作の絵画『アテナイの学堂』を思い浮かべた。
これはアレだ、魅力発掘もやり尽くした。だからこれ以上やると哲学の域に達してしまう。という俺の頭なりのシグナルだ。
絵画パロみたいなことも考えてみたが、陳腐だからすぐに却下した。
背後から、マンセルさんが尋ねてきた。
「今日も行き詰まり果てているようだな。ゼン氏」
「ええ、いよいよ頭の過労が極まってる気がしました」
「深刻だな……そうだ、こういうのはいかがだろうか」
「こういうのってどういうの?」
マンセルさんは腰脇にあるポーチから四本ほどボールペンを引き抜き、指の間でそれぞれ二本挟む。それを自分の体の周りでそれを走らせる。
するとマンセルさんに、本当に色形が『描き足されて』ていく。
そしてついには、マンセルさんの姿は、ミア・ロマネスク様そのものになった。
「な、なんちゅうこった……ッ!」
ちょんとそこらのコスプレとは格が違う。もしも現実にミア様がいたらという夢幻が、ここに完全に顕現して仰せられた。
俺は脊髄反射さえも出し抜く、無意識の領域による判断で、椅子から滑るように床へ座り直し、両手をミア様の御顔の角度へと合わせ挙げる。
「これは変装用のホログラムだ。かれこれミア・ロマネスクというキャラクターの絵を観察しておいて、パターンの生成を出来るようにしておいた。
どうだ、これで元気になっただろうか?」
「それどころではございません……!」
俺は『尊みが絶大過ぎるがために、私の元気ゲージの天井が突き破られ、一周回って何も出来ません』という台詞の代替として、こういったつもりだった。
今のうちに保険をかけておこう。
俺はこの後すぐ、オタクの悪い部分の一端を平然とやってしまうことになった。
「そうか、ではもう少し踏み込んでみようか」
ミア様……に変身したマンセルさんは、自分の服の首元に手をかけ、ボタン二つを素早く外した。
「……!? な、何をするのです!?」
「もう少し美少女キャラらしい魅力を魅せて、ゼン氏の気力を高めてやろうとしたのだ。
ご安心を、私は対人術の一環として誘惑にも長けて……」
「ふざけるなあああッ!!」
俺はラスボスにトドメを刺すときの気迫で、全身全霊のアッパーをマンセルに放った。
マンセルさんはそれを右前腕でそれをいなす。間髪を入れず、左手のひらをおでこに押し付けられ、俺は正座に戻された。
そして俺は、普段なら決して使うことのない、気炎を纏う力強い声で、ハキハキと雄弁に語った。
「ただ胸デカいとか露出度多いというだけで持て囃し、コンテンツ内の人気中心人物に押し上げ、性的消費にのみキャラクターを利用する輩が! 俺は何よりも許せんのだ!
ミア・ロマネスク様の周辺もそうだ! 何やらクリバテの中ではBサイズに優れるキャラとのことなので、雑に破廉恥な服を着せたイラストばかりが未だなおしばしば投稿されている!
それをタグ検索結果で目撃する度に俺は常に思う。なぜ誰もミア・ロマネスク様の素晴らしき内面に興味を持たぬのだという義憤を、ひしひしと感じているのだ!
だからマンセルさん、貴方のような聡明な方まで、そういう浅ましい輩と同様になってはいけないでしょうがァッ!」
ほら、こういうのを厄介オタクって言うんだよ。自分個人の解釈を主語デカくして押し付けるとか、お前のほうがどうかしてんぞ見浦ゼンさんよ。
しかもこういう長ゼリって、相手を殴り倒した後に言うもんじゃん。こいつ今、相手に身動きできない状態で言ってるんだぜ。やばいよなマジで。
おおよそ三十秒遅れて、俺はとんでもないことをして言ったことに気づいた。
「……す、すみません……こんなことにえげつないくらいキレてしまって……」
するとマンセルさんは、俺のデコから手を離し、さっきのペン四本をもっかい振って、元の姿に戻った。
俺と同様に床に両膝をおいて、目線を合わせて言った。
「私こそ申し訳ない。作品を拝領する先の絵師の美学を侮辱するなどアルストリーノのエージェントとしてあるまじき行為をしてしまった。本当に申し訳ない」
「いえいえ。俺も寛容性があまりにも足りなすぎたということ……」
昼間のオウマさんとの、終わりの見えない謝罪合戦を繰り返さんとしたのだろうか。いや偶然だな。
ここで俺のスマホが、母さんからのメッセージ通知を鳴らした。カニの絵文字が一つだけ送られてきていた。
急ぎ下のリビングへ降りると、カニクリームコロッケメインの夕食が並んでいた。
食事中、マンセルさんはここでもエージェントらしい手並みを発揮した。
俺も父さん母さんも気づかぬ間に、自分のコロッケを一個、こちらに移してきたのだ。
「ここまでしなくてもいいんですよ」
と、ものすごく小声で言って、俺はありがたくそれを召し上がった。
*
夕食を食べ、風呂にも入った後、俺はマイデスクで寝る前まで、もう一度アイデア出しのための脳内格闘を行った。
その果てに俺は、ゴッドファーザーのことを思い浮かべた。それも『III』について。
この『III』は『II』から十六年の歳月を経て制作された映画らしい。
コッポラ監督は元々ゴッドファーザーは二作で描くべき話を描ききったとして、続編にはあまり乗り気ではなかった。
俺は「『II』も見たから、ついでに見ようかな」と行く前にネットで評判を知って、鑑賞を止めた身だから、詳しいことはわからないと前もって言っておく。
ああいうメンタルで企画が進んだせいか、後付臭の凄まじい続編だからか知らないが、『III』は世間から思うような評価を得られなかった。クソ映画ってほどでもないけど、偉大な前作に見合う続編ではなかったという。
一応、さらに三十年経って監督自身による再編集版が公開されたことで、ある程度は持ち直したらしいけど。
こんなエピソードを思い浮かべて、俺の頭に一つの選択肢が浮かんだ。
もう、ミア・ロマネスク様の絵を描かないほうがいいんじゃないか。と。
昨日の兄さんはこうも言っていた。『……ゼン、お前最近楽しんでるか?』。
あの時は質問の意図を読み間違えたフリをしてしらばっくれていたが、本当ならこう答えたかった。
――楽しくない。
どれだけ頑張っても報われない。もしかしてまだ頑張りが足りないのかもしれないけど、それもわからないから次に進めない。だから、ちっとも絵を描くのが楽しくない。
俺はスマホを取り出し、よく使ってるイラスト投稿サイトのアナリティクスを確認する。
自分の作品の中で一番伸びたイラストは、ミア・ロマネスク様とは違って、順当にクリバテファンの中で大人気のキャラクターのものだ。
そのPV数は平均の三倍くらいで、俺としては大台の四桁。
一日で万単位のPVを叩き出す一線級の絵師にはまだまだかないっこないが、こうした路線を続けていけば、注目されて数字にブーストがかかるかもしれない。
他のキャラを描いたら、二度と推しキャラを描いてはならないという法律や不文律はどこにもない。
一度、人気キャラの知名度も借りて、俺の絵師の技術を広めてからまたミア様のイラストを描けば、数字を引っ張ることで多くの人に見て貰えるだろう。
これならやりがいを持って取り組める。
まさしく名案……だな。決まりだ。
俺は先週あたりのライブで見損ねた、新キャラたちの基礎情報――特にデザインと設定――を調べるため、パソコンのスリープを解除し、ブラウザを立ち上げる。
「ついに壁の凹凸を掴めたか、ゼン氏」
俺は振り返り、パジャマ姿のマンセルさんがちょうど部屋に入ってくるのを見た。
「はい。ようやく絵が描けます。やっとアイデアが出ました」
「そうか。それはよかった。次はどういう作品を仕上げるつもりだ?」
「それは見てからのお楽しみってことにしといてください」
俺はクリバテの公式サイトを開き、新キャラ紹介のページを開く。
その瞬間、マンセルさんは俺の横で膝立ちして言った。
「次はミア・ロマネスク殿が題材ではないんだな」
ものの数秒で見てからのお楽しみが終わったことを隠すべく、照れ笑いをする。
「はい。次は新機軸で、話題のキャラを描いてみようかなぁ。って計画してるんですよ。だからその取材を今からしようと思って……」
「ゼン氏、あなたはそんな画家ではないだろう」
重くて、冷たい。一個前の台詞とはあからさまにトーンを変えて、マンセルさんは言った。
【完】




