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Romantic Horizon

 ――ブギーマンは、寝る前にクローゼットにチャック・ノリスがいないことを確認してから寝る。


 ネットサーフィン中に見つけたこの些細なジョークを、俺はなぜか脳裏に浮かべた。


 まだ電気をつけないと視認性を確保できないくらいの早朝。

 あと二時間は寝続けていたかった。だけど、クローゼットから物音がして目覚めた。


 それに負けないくらい舌を鳴らした後、クローゼットを開けたら、そいつが居た。


 あんな冒頭で始めて悪いが、いたのは化け物ではない。


 電気を消したら境界線がわからなくなるような紺色のスーツとケープを着て、目元をパレットのような色鮮やかな仮面で覆った少女だ。


 その仮面の穴二つから見える目を閉ざしたまま、俺があたかもマネキンを強引に押し込んだように、クローゼットの中に直立して固まっていた。


 防具として枕を持ちながら、俺は忍び足でクローゼットにより近づく。

 自分のベッドからでは死角になっていて見えなかったが、少女はそこにかかっていた上着を靴で踏んづけていた。なんで自分の部屋にこいつがいるんだという疑問が頭を占めていたので、そこにそれ以上ツッコむ余力はなかったけど。


 枕を全力でフルスイングすれば衝撃を与えられそうな距離まで近づいた。

 速攻を仕掛ける。もう少し様子をうかがう。武器変更。いくつかのコマンドを浮かべ、俺は七割くらいしかパフォーマンスが出ていない頭で判断しようとする。


 そして先に少女が動いた。

 少女は仮面の奥でもはっきり判別できるほど、カッと目を見開いた。

「転送完了だ」


 そうか、少女は転送されたのか。だから基本俺含めた四人しか上がることのない家の、それも俺のクローゼットにいるんだな。

 と、俺はありえない規模の納得をした。やはりまだ頭が起動しきっていないぞ、見浦ゼン。


「突然の訪問、失礼しました。用件はすぐに済ませる。どうかご容赦を」


「ああ、はい……」


 おかげさまで少女の謝罪と頼みも生返事で返してしまっているではないか。


「あいや待たぬかぁ!? お主、何奴ぅ!?」


 なぜ時代劇風になったのかは聞かないでほしい。なんとなくとしか答えようがないから。

 冷静さがあったらもっとまともな言葉遣いをするぞ俺は。サムスピとか無限の住人でも、枕を真面目に構えるサムライなんていないのもわかってるぞ。


 少女は俺を一瞥して横を通り過ぎ、五歩歩いて俺のデスクを前にする。

 デスクトップPCと、そのラック下に収納したキーボード、それから液晶タブレットが中央列に居座る俺の天守閣だ。

 少女はPCの電源を入れる。当然ながらパスワードの入力画面が出てきた。だから勝手に点けたことは指摘しなかったんだ。


 ここでようやく俺のターンになるだろう。いい加減謎を解消しないと寝覚めの悪さがかさ増しされてしまう。

「あの、君、ここに何をしに……」


 俺が質問を言い切る前に、少女はPCのUSBポートに1本のボールペンをかざした。

 モニターはベーシックなパスワード入力画面から、ミア・ロマネスク様の公式壁紙に遷移した。


「おいパスワード! テメェどこ行きやがった!?」


 はよ本調子に戻れよコイツ。

 キレる相手を間違えている俺をよそに、少女はPC内のフォルダを次々開いていく。やがてたどり着いたのは『完成済み作品』フォルダ。


「ビンゴ」


 少女のお目当てはそれだった……のか?


 ファイル名の通り、そこには俺が今まで描き上げ、ネットに公開したイラストデータが五十二枚ある。


 少女はそれらを一枚一枚画面に大きく表示してはボールペン(さっきUSBにかざしたのとは色が違った。なんでこんな差異は気付けるんだろ俺)をそこにかざした。

 その作業を繰り返すこと、イコール、俺が硬直していたこと約四分、少女はすべての作品を見きった。


 そして彼女は一言。

「おかしい、目標物の座標はここで間違いないはずなのに……」


 ナウ・オア・ネバー! もう俺は無駄なことを省いて叫んだ。

「お前こんなド早朝に人様のクローゼットに入った挙句勝手にパソコンつけて俺の絵を意味不明に斜め鑑賞してじゃねえよ!」

 無礼ながら早口で、句読点も捨て去って。


 すると少女はこちらへ振り返った。

 たったこれだけの動作なのに、やっと歩み寄ってくれたということだけで俺は涙が出そうになるかも。いや、やっぱ出なかった。


「すまない君、この記憶媒体以外に、絵を保管しているところを知らないか?」


 俺は一瞬口ごもる。

「し、るか! それよりもまずアンタは誰だ!? 勝手にあれこれしたんだからせめて自己紹介くらいしてくれよな!」


「マンセル。アルストリーノより派遣された、保管エージェントだ」

 少女は仮面を被っていてもわかるくらい、一切表情を変えず、悪びれもしていない。


「急に知らん用語三つも出さないでくれ」


「アルストリーノは無数に存在するマルチバースから美術品を集めた、究極の美術館。

 保管エージェントはそこに収蔵する美術品を集めるための特殊工作員。

 マンセルは私の名前ということにして欲しい」


 ご丁寧にご説明どうも。と、喉まででかかったが、『もう少し早くその利他性を見せてくれ』という怒りで相殺された。

 代わりに俺が言った台詞はこちら。


「で、ここにその最強美術品に収蔵するに相応しい作品が、ここにあるのか?」


「と、『本部』からの通達があり、私はここに来た。だから速やかに、この記憶媒体以外の絵の保管場所を教えてほしい」


 少女は俺に片手を差し出して助けを求めてきた。

 しかし俺は硬直を続ける。枕を前に持って、神殿前の盾持つ天使像みたいに。

 いや、これはナルシストみたいな表現だな。俺みたいなちんちくりんが天使を自称するのはキツすぎる。


「希望ならば相応の対価は用意する。それに、あくまで見せてもらうだけでいい。こちらは完全なコピーを複製できる技術があるから、君が持つオリジナルは君が持ったままで構わない」


 多分、俺がご自慢の絵を手放すことを躊躇していると判断して、少女……マンセルさんは安心のために言ったのだろう。


 だが俺が石化しているのはそういうことではない。

 まだこの人がブギーマンさながらに得体のしれない人だから。

 というのは、意外ながら俺の中では二番目の理由だ。

 一番目の理由がヤバいんだ。


 今の俺のイラストor漫画は、高校入学祝いに買って貰ったあのガジェットを駆使し、全てデジタルで描いている。俺の作品のほとんどは、マンセルさんのいう記憶媒体にしか入っていない。

 けれども、そのほとんど以外の、ある作品は、そこに『封印』されているんだ。


 特殊工作員なら読心術も使えるだろう。

 と、連想を行い、必死に像に徹しようとする俺。


 マンセルさんはそんな俺をじっと見つめる。だが一分ほど経って、彼女は、交渉材料でも探し出す気なのか、部屋のあちこちを見渡した。

 それで見つけた。凝視した。俺のデスクの、唯一鍵が付いている引き出しの存在を。


「やめろオオオオォォォォッ!」

 パソコンのパスワードを突破できるなら、アナログな鍵だってお茶の子さいさい。

 その爆速連想によって、俺は大声で答え合わせをしてしまった。


 俺はついに枕をぶん投げ、マンセルさんに攻撃をした。

 マンセルさんは胸ポケットからボールペンを取り出すついでに枕を弾き、その先端を鍵穴に刺す。


 三色目だ。あれば物理的な鍵を開ける用の奴なんだな。

 と、自分の初期装備の貧弱さを誤魔化すように着眼点と考察力を働かせつつ、俺は膝から崩れ落ちた。


「これか」

 マンセルさんは引き出しから、黒色の書類ケースを取り出した。

 あれにはロックは何もない。100円ショップで買った、封印の意を強めるためのものだ。


 だからマンセルさんはすんなり無情にそれを開けた。

 マンセルさんはそこから一枚のイラストを取り出し、それを拝見する。


「これ、か……」


 それは、銀髪の人間を模して描かれたイラスト。

 

 非常に屈辱的ながら、俺のメンタルが完全崩壊しないレベルの解像度で詳細に説明すると、俺が小学六年の時に流行っていたゲームの、俺が好きだった女性キャラのイラストだ。

 それが俺が初めてネットに公開したイラストだ。そして俺の、最大の黒歴史だ。


 マンセルさんの鑑賞する角度が幸いして、四割くらい隠れているがそれでも十分にわかる。


 身体のパーツが全て狂っていて歪。

 顔も書き込みが甘く不気味。特に絵師の最大の見せ場たる目が半殺し状態。

 塗りも色鉛筆特有の淡い色彩なせいで深みがない。

 そして極めつけは、使用した台紙がルーズリーフであること。本来の用途である青い線が、ただでさえ貧弱なイラストに引き込ませるのを阻害し、より貧相な作品に変える。

 おまけに、これは原画なのでマンセルさんにはわからないが、ネットにはこれがスマホカメラ撮影の写真として、無意味な陰陽が加わっていた。


 徳川家康のしかみ絵の逸話(実際には作り話らしいけど、適切な喩えがこれしかないので許して)さながらに、あえて捨てようとせず封印していたこの黒歴史を暴かれ、シーリングライトを見あげる他ないくらいの絶望感を味わった俺は、気力を振り絞って尋ねた。


「まさか、その絵が最強美術館に飾られるんじゃないでしょうね……」


 マンセルさんは、今の俺としてはありがたい、変わらずの無表情のまま、さっきイラストにかざしていたボールペンを胸ポケットにしまう。

「どうやらこれでもないようだ」


「でしょうねぇッ!」

 俺は安堵が余りまくって、本日暫定二位のボリュームを誇る大声を上げた。


 マンセルさんはジャケットの裏ポケットからスマホらしき四角い端末を取り出す。

 エージェントらしく覗き見対策のフィルターを貼り付けているため、俺には何が書かれているかわからない。ただマンセルさんはその画面を念入りに確認していた。


「座標についてはこの部屋で間違いない。となると、違うのは『時間』だろうか」


「じ、時間とは……?」


 謎ワードに対する脊髄反射的な質問を投げかけたその瞬間、ゆっくりと背後にあるドアが開く。


「どうしたんだゼン、こんな朝から大声出して……」

「片足こむら返りして、もう片足の小指をどっかにぶつけたの……」


 その隙間から、シボシボの目で俺の両親が覗いてきた。二度の絶叫で目覚めさせてしまったんだ。


「母さん! 父さん! 違う、これは誤解なんだ!」

 と、驚きのあまり不倫がバレたときみたいなリアクションを取ってしまう俺。

 そこから直ちに『なんかいつのまにかクローゼットにこの人が!』と正しい情報を伝えようと口を開く。


 しかしその前に、両親はゆったり崩れ落ちて、廊下で寝てしまった。

 壁にかけたデジタル時計は『〇五:〇三』と表示している。だからまだ眠たくウトウトしていて、ここで寝てしまったのだろう。と、俺は思いたかった。

 両親の首筋に刺さった極細の針と、それに気づいた俺の変に尖った観察眼が、徹底的にお花畑な考察を否定したんだ。


「最高三十分の麻酔効果と着弾から三十分前の記憶を健忘させる毒針だ。今後の生活に支障は一切ない」

 もちろんその針を撃ったのはマンセルさんだ。

 マンセルさんは両親の首筋があったところへ向けていたボールペン(またしても色が違う。これは毒針射出用なんだろう)を胸ポケットにしまった。


「……ああ、そうですか、はい」

 もはやこれくらいのことでツッコむ気力もなくなってきた。さっきの『時間』についても改めて聞く気も失せてしまった。


 マンセルさんは俺のしかみ絵を黒書類ケースにしまい、それを鍵付き引き出しに戻す。

「マルチバース間の時差幅が非常に激しい上、不安定である。この世界のように時間が一定でないのも多分にある……」

 けどマンセルさんは質問を忘れてなかった。

「ああ、相対性理論的なアレですか」

「……アルストリーノ側から目標物のある時間を正確に計測した上で転移したとしても、実際には数日単位でズレていることがある。

 今回の場合、君が目標物を作成する前に、私はこの世界に転移してしまったということだろう……」

「ああ、ご説明ありがとうございます」

「なので……」


 この『なので』の三文字を聞いた途端、俺はマンセルさんが今……いや、これから何をしようとするのかを大方確信した。

 ――目標物ができるまで、俺を監視するつもり。と。


「君が目標物を完成させるまで、君の動向を全て監視させていただく」


「うっしゃ、ほぼ正解やん」


「そのためにだ」

 マンセルさんは目元を覆うパレットのような仮面を取り外し、ジャケットの裏ポケットに仕舞う。

 その影に隠れていた薄明のようなオレンジとパープルの光が入り混じったような双眸を鮮明に見せる。

 そしてマンセルさんは、出会ってから数十分経ってようやく表情を変えた。


「しばらくの間、君と同棲させてもらう。よろしく頼む、見浦ゼン」

 これまでの行いからは裏がないとは思い難いマンセルさんの笑顔に、俺は目を背けてうろたえ、


「あの、俺の父さん母さんが寝違えたらマズイんで、二人の寝室に戻すの手伝ってくれません?」

 と、雑な着地点を見つけた。


「了解した。毒針を用いたのは私だ。二人とも私が対応しよう」

 そう言ってマンセルさんは両親を両脇に軽々と抱えてくれた。能力が過剰すぎるんだよこのエリートさん。


 俺はこの、マルチバースからやってきた、得体のしれないエージェントとしばらく暮らさないといけない。

 その不思議というアバウトな言葉で片付け、現実を受け止めるので精一杯だった。


 ……これについてはもっと後に知った話。

 驚くべきことに、この日の同日に、俺と似たような体験をした人が他に二人もいたんだ。

 だったら不思議という雑な表現を使ったほうがかえって適切なんじゃないか。と、俺は思った。


【完】


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