第6章 嘘と本音と決断
「クラリス様が王家の命令を拒んだそうだ」
「護衛騎士との恋愛? 冗談でしょ?」
「まさか爵位を手放してまで、平民と?」
――噂は、あっという間だった。
それまで“高嶺の花”と呼ばれていたクラリスは、今や「破天荒な令嬢」として、社交界の注目を一身に集めていた。
だがクラリスは、毅然としていた。
「……こうなることは分かっていたわ」
書庫で一人、クラリスは本を閉じ、静かに呟いた。
家の評判は落ち、縁談はすべて断られ、父の友人たちも口を閉ざした。
それでも、リアムが隣にいる限り、クラリスは立っていられる。――そう、思っていた。
「……でも、どうして、最近あの人は……」
あの決断の後から、リアムの様子が変わった。
傍にいる。けれど、何かを抑えているような、距離を感じるのだ。
まるで、彼自身が“自分はそばにいてはいけない人間だ”とでも思い込んでいるかのように――。
◆ ◆ ◆
「……リアム、最近避けてる?」
ある日の夕暮れ、クラリスは庭で彼に問いかけた。
「そんなこと、ありません」
「嘘」
リアムの足が止まった。
彼は、答えを出すまでに少し時間がかかった。
「……お嬢様の評判が落ちたのは、全部、僕のせいです」
「違うわ。あれは、私が“選んだ”ことよ」
「でも、僕がいなければ、こんな騒ぎには――」
「違うって言ってるの!」
クラリスは、感情を抑えきれず声を上げていた。
「あなたがいなければ、私は“誰かの飾り物”になっていた。愛のない結婚をして、心をすり減らして、それでも“貴族として正しく”あろうとしていた!」
リアムが息をのんだ。
「でも、あなたが現れて。私を“私”として見てくれて。私は初めて、誰かの隣で呼吸できるようになったのよ」
静かな沈黙が落ちた。
リアムは、まっすぐ彼女を見て、ようやく言葉をこぼした。
「……僕も、同じです」
「……え?」
「お嬢様のそばにいたい。でも、ただ“護衛として”じゃない。仮初めでもない。ちゃんと、本物として、あなたの隣にいたい」
その声は、迷いを手放した男の声だった。
「だから……」
リアムはそっと、彼女の手を取った。
「僕を、名前で呼んでください。――恋人として」
クラリスの瞳が、わずかに揺れる。
それは、彼にとって初めて見る彼女の“素”の色だった。
「……リアム。あなたが欲しいわ」
「――はい。僕も、クラリスを、誰よりも」
ふたりの間に、もう“仮初め”の名はなかった。
◆ ◆ ◆
その夜、屋敷の灯が落ちたあとも、クラリスは眠れなかった。
けれど、胸の奥にあった霧は晴れていた。
すれ違いも、葛藤も、全ては“本気”であるがゆえに生まれるもの。
明日からは、ふたりで生きていく。
騎士と令嬢ではなく、男と女として。




