第4章 過去と秘密
春の夜風が抜ける中庭で、クラリスは花壇の前に立っていた。
咲きかけの芍薬のつぼみが、まだ固く閉じたままで揺れている。
そこへ足音が近づいた。
「こんな時間に外に? 冷えますよ、お嬢様」
リアムの声だった。いつものように明るく、けれど今夜は少し控えめだった。
「少し、頭を冷やしたかっただけですわ。……あなたこそ、いつから見ていたの?」
「いや、見てたというか。……お嬢様がひとりの時は、つい気になっちゃって」
「護衛の仕事熱心ね」
皮肉めいた言葉の奥に、クラリスはわずかな安心感を覚えていた。
リアムは彼女の隣に立ち、視線を花壇へ落とす。
「花って、いいですね。咲く前も、咲いてからも、誰かに見られることを気にせず自分のペースで咲いてる」
「変な比喩を使うのね」
「はい、変ですよね。でも……お嬢様も、そういうふうに咲いてるなって」
クラリスは返答に困った。
その言葉は照れくさく、でもどこか真実だった。
「あなたは……どうして騎士になったの?」
ぽつりと出たその問いに、リアムの表情がほんの少し陰った。
「……僕には妹がいました。たった一人の家族でした。とても優しくて、病弱で、あっという間に亡くなってしまった」
「……」
「病のことも、治療費のことも、僕にはどうにもできなかった。だから思ったんです。“せめて、誰かを守れる人になりたい”って。あのときの無力を、もう味わいたくなかった」
クラリスは黙って、隣に立つリアムの横顔を見つめた。
彼の過去を聞くのは、これが初めてだった。
そして、ようやく理解した。
彼の軽さの奥には、背負いきれないものを笑顔で包み込む強さがあったのだ。
「それが、あなたの“陽気さ”の正体なのね」
「たぶん。陽気じゃなきゃ、やってられなかったんです」
リアムはふっと笑い、手を花壇の縁に置いた。
「でも、お嬢様の傍にいるようになって……ただの護衛じゃなくて、誰かの“支え”っていうのが、ほんとうにできることなんだって、少しだけ思えるようになったんです」
「……リアム」
思わず名前を呼んでいた。
気がつけば、クラリスの指先が、彼の手に触れていた。
「……ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのに」
「謝らないでください。僕は、嬉しいです」
ほんの一瞬、ふたりの手が重なった。
けれど、次の瞬間にはクラリスがその手を引いた。
「……これは仮初めの関係。忘れないで」
「……はい。でも、気持ちは嘘じゃありません」
リアムの声は穏やかで、まっすぐだった。
ふたりの間に流れる沈黙が、夜の庭に溶けていく。
◆ ◆ ◆
翌朝、クラリスは机の上に小さな紙片を見つけた。
そこには、リアムの字でこう書かれていた。
『今日の陽だまりが、あなたに似ていた。
名前で呼んでもいい日が、いつか来たらいいな。』
それを読み終えたクラリスは、そっと紙を引き出しにしまった。
まるで、胸の奥に鍵をかけるように。