第3章 仮初めのふたり
春の風が舞う午後、クラリスとリアムは連れ立って街の広場に現れた。
ふだんなら、令嬢が護衛とともに歩くのは珍しくもない光景だ。だが――
今のふたりは、「恋人」として人前に出ている。
わざとらしいほどの近さ。手は取り合い、時おり目を合わせては笑い合う。
誰が見ても“そういう関係”に見えるように、演出は完璧だった。
「うわー、視線が痛い……」
リアムが小声で呟いた。
「貴族の娘が、平民の騎士と“恋仲”とあっては当然でしょうね」
「ですよねぇ……でも、なんかちょっと楽しくなってきました」
「……楽しい?」
「はい。だってお嬢様、僕の腕、ちゃんと掴んでくれてるじゃないですか。すっごく新鮮です」
「演技でしょう」
「でも嬉しいのは本音です」
そんな軽口を聞くのにも、もう慣れてきた自分がいる。
クラリスは視線を逸らして歩き続けた。
広場では、小規模ながらも市の催しが開かれていた。露店が並び、子どもたちが走り回り、楽師たちが笛や太鼓で陽気な音楽を奏でている。
とある花屋の前で、リアムがふと立ち止まった。
「お嬢様、この花、似合うかも」
彼が手に取ったのは、淡い青の小さな花束だった。クラリスのドレスの色と同じ、控えめな色合い。
「演出の一環としては、悪くないわね」
「じゃあ、どうぞ」
そう言って、リアムが彼女の手に花を乗せた。
触れる指先がほんの少し長くて、クラリスはわずかに息を呑んだ。
「……もう少し、距離を保ちなさい。演技でも、近すぎるのは品がない」
「え? でも恋人って、もっとベタベタするもんじゃ?」
「わたくしたちの演技は、“上品な恋人”のはずでしょう」
「あ、そっか。すみません、つい本気が……」
「……?」
何気ないその言葉に、クラリスの足が止まった。
だがリアムは気づかぬふりをして歩き出している。
その背を見つめながら、クラリスはふと、自分がこの状況を“楽だ”と感じていることに気づいた。
(誰かと並んで歩いているのに、重たくない)
それは、これまでの婚約者たちには一度も感じなかったことだった。
彼らの隣に立つ時、自分は「家柄」や「役割」としてそこにいただけだった。
でも今――リアムの隣にいる自分は、“ただのクラリス”として笑っていられる。
「……やっかいね」
「え、なんか言いました?」
「何も。早く歩きなさい。はぐれたら困ります」
「了解です、恋人様!」
その言い方が軽すぎて、思わず吹き出しそうになる。
こんなふうに笑うなんて、いつ以来だろう。
クラリスは自分でも驚くほど、柔らかい気持ちでいた。
◆ ◆ ◆
その夜、屋敷の庭でふたりきりの時間が訪れた。
広場から戻った後、珍しくリアムが黙っていたから、クラリスのほうから「庭に出ましょう」と声をかけたのだ。
「ねえ、今日の演技……どうだった?」
「……とても、“それらしく”見えたと思うわ」
「それって、うまくやれてたって意味でいいですか?」
「……ええ」
リアムは空を見上げる。
「でも、なんか不思議ですよね。“恋人のふり”してるうちに、ほんとにそうだったら……って考えちゃうこともあって」
「……」
「すみません、変なこと言って。でも、たぶん……お嬢様と一緒にいる時間が、演技より楽しいせいです」
クラリスは返す言葉を見つけられなかった。
月明かりに照らされたリアムの横顔は、いつになく大人びて見えた。
「仮初めでも、こうして過ごしてると、なんか……」
「……やめておきなさい」
クラリスはそっと遮る。
「今はまだ、“そういうこと”を言う時じゃないわ。私も、あなたも」
「……はい」
リアムは静かに頷いた。
それでも、言葉に出さなかった気持ちは、たしかにそこにあった。
ふたりの間には、仮初めでは済まない何かが、ゆっくりと芽吹いていた。