天国のトイレ 5
帰りの車の中、川内は今日出会った女たちがいかに美しかったか、彼女たちがクールでセクシーで自分がいかに癒されたかについて、のべつ幕なしにしゃべり続けた。川内は彼女たちのスピリチャリティの普遍性と不滅性と永遠性と永続性と、それらの形而上学的な結び付きとについて語った。春助と長野が時々適当に突っ込みを入れた。その度に川内は彼の立てるロジックのさらなる強化に挑み続けた。ジンテーゼ、アンチテーゼ、アウフヘーベン。一般の女性に対してのメタフィジカルな言及に話が移っていき、様々なありとあらゆるメタファーやレトリックを駆使しつつ彼は熱く熱く論じ続けて、その帰納法的な証明の帰結までの長い長い道のりは、遥かな宇宙的広がりのその沖合までも、よどみなき永遠性を伴うかの如き軌道線を描きつつ、土星の輪を巡る白きマッコウクジラの巨背に乗る、アウストラロピテクスたちの眼窩がベルヌーイの法則とポアンカレ予想とで・・・。
彼の弁が熱を帯びれば帯びるほど、オレは自分の酔いが急速に醒めていくのが分かった。
一人きりの部屋に帰りついてすぐに布団を被って横になった。が、頭がずきずきしてなかなか寝付けない。水を一杯飲んだ。TV雑誌を見たが、見たい番組はなかった。頭痛がひどく、TVを見たりCDを聴いたり本を読みたいという気分では全くなかった。水をさらに何杯か飲んで再び床に就く。眠りを迎えるのに今度はあまり時間はかからなかった。
日曜の朝は8時半くらいに目が覚めた。TVをつけて政治討論番組や経済情報番組を見る。そう言えば昨日の女たちはみんな、医療関係の仕事をしていると言っていたな。女性に人気の水虫薬はどのメーカーのものかを聞いておけばよかった。最近の女性は足の蒸れやすい靴を履く。女性の間に水虫が流行る。水虫薬が売れる。夏にその製薬会社の株が上がる。
お昼少し前に春助から電話があり、昼飯にM町の777福神で半塩と半醤油を食べた。その後、Mスポーツへサーフボードを見にいくことにした。30回目の誕生日イブに新しい板を買うために。何かの記念日に板を買えば自分の魂を板に注入できる、そんな気がしていた。去年使っていたでは、どうしても波に乗り遅れてしまう。腕が未熟ということもあるが、とにかく新しい板でなければ何も始まらないような気がしていた。
店内にはたくさんの板が置いてある。選択肢は様々で、自分にぴったりの板をその中から1つ選びとるのには相当の覚悟がいる。値段がもちろん一番のネックだが、それ以外にもメーカーはアルメリックかサンタクルーズか、サイズは6”2か6”3か。
「高い買い物なんだから、もう少し考えてからでもいいんじゃないの?」
いつもの春助には珍しく、今日は慎重な意見だ。店員もいい奴だった。そいつが言う。
「待ってますから」
ああ、確かにそうだな。何が待っているかは、言わなくてもオレにも分かるよ。耳の奥の方で波音が段々大きくなっていくような気がしていた。
その日の夜、風呂上りに体重計に乗ると、2日前よりも3キロ体重が増えていた。グレートにヘビーだぜ、全く。こんなんじゃ、波に置いてけ堀を食らっちまう。泣けるぜ。
月曜、30回目の誕生日の朝、いつものように仕事が始まり、いつものように時間は過ぎていく。単調な作業の連続の中、頭の中ではなぜかミーシャの”It's just love”が回っていた。女の裸も女の声も、思い浮かべることはなかった。
仕事が終わって部屋で一人、帰りのコンビニで買ったハーゲンダッツのアップルパイ入りのを食べた。その後コーヒーを淹れ、この前買ったCDを聴いた。ジョン・コルトレーンのテナーサックスが、絶えず自分の殻を打ち破り、目指すべき至上の到達点に向かって高く高く高く高く昇ろうとしているかのようなそんな彼のテナーサックスが、彼の哲学がビビッドに伝わってくるそんな彼のテナーとソプラノサックスが、40年で死んだ。
ふと、遠い国や遠い昔のことを思った。一旦争いに巻き込まれれば、こんな些細な時間の過ごし方が最高のぜいたく品へと変わってしまう。
2杯目のコーヒーを淹れ、チャールズ・ブコウスキーの小説を読みながら音楽に浸り続けた。
明日からは月が替わり3月になる。3月と言えばもう春だ。だがオレには相変わらず、愛すべきものも守るべきものもなかった。誰かに愛されるような要素もなく、誰かに与えられるような何ものかも、持ち合わせてはいなかった。だが、今はまだそれでいい。今はな。
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