天国のトイレ 2
今日行く店はY楽街の中にある。店の前で他の男3人と落ち合い店に入った。
広い店内にはピアノやウッドベース、ドラムセットも置いてあり、しばしばジャズの演奏も行われているとのこと。今夜はあいにく演奏はないのだが。
女たちは少し時間に遅れていた。「オセエナー」。ブラウンマッシュルームの長野が言い、ソフトモヒカンの川内は自分の携帯を出して時間を確かめ、春助は隣のテーブル席に座っている女たちの品定めをしていた。オレは昔読んだ本のことを考えていた。
「女性は男性との待ち合わせ時間に少し遅れて行った方が、男性側の期待感を高めることになるので結果的に男女相互に良い効果をもたらす」
その本にはそんなことが書かれてあった。今夜の女性たちはなかなか賢そうだ、期待が持てる。
結局女たちは20分遅れで来た。4人はみんなH市に隣接するI市から来ていた。車で40分くらいか。4人とも1980年生まれ。
「みんな1980年生まれ?ふーん、松田聖子がデビューした年と同じだね」
オレは言った。
「聖子ちゃん世代なんですか?」
オレの隣に座ったアサコ様が言った。たまたま先日見たテレビがそんな番組だったので覚えていたのだが、自分の発した不用意な質問で「この人は老けてる」という印象を必要以上に周りに持たせることに。「オレはX世代だ」というセリフはすっかり記憶の底から抜け落ちてしまって。
春助の隣に座ったサヤカ様は、昔あこがれていた女性と面影が少し似ていた。でもしばらく見ていると、どうしても昔のあこがれの女性の方が優ってしまう。オレがサヤカ様の方ばかり見ているのを察して、アサコ様が「席チェンジしたさそう」などと言う。
「君と話してると」「私と話してると?」「とても楽しいよ」「フッ、どうもありがとう」「でも今は少し眠いのかもしれな。『朝までSてれび』見てしまって」「政治に興味あるんですか?」「いや、全然。会話が苦手なんで、あんなふうにどんな話題にも楽しくおしゃべりできたらなと、その参考になるのかなって」「番組のセレクト間違ってると思うけど。昨日はどんな内容でした」「うーン、忘れた」「ハハハ、何それ?政治に関心がある人に女は弱いと思って出鱈目言ってない?」「あっ、思い出した。昨日医療問題やってた」「へー、そうなの。私たちみんな医療関係の仕事なんですけど」「ゲッ、そうなの?」「で、医療についてどんな感想持った?」「医療は大変だなあ、と」「はあ~、何それ?感想がチープ過ぎない?医療バカにしてんでしょ!」「いいえ、違います違います。尊敬してます、とても」「尊敬か、女は尊敬されちゃ終りなのよね。で、あなたはどんな仕事してるの?」「工場の中で毎日ものすごく単調な仕事で、毎日いつも眠くて。もし眠くなったら君のヌード思い浮かべてもいい?眠気覚ましに」「えっ?いきなり何言ってんの!変態!絶対許さん、死刑!」「じゃあ、君のそのよく動くかわいい唇でも」「皆さん、この人変態でーす!」「では、声だけでも」「しつこいなあ、あほでしょ。声ねえ~」
よく覚えてはいないが、オレはその日も犬も食わないようなうんちくや、安っぽい映画のようなセリフや、救いようのないダジャレを連発していたように思う。イケメンの池堀君からうんちくや下らないギャグやダジャレや、映画やドラマのような気障なセリフは、絶対引くから禁物だとアドバイスされていたにも拘らず。
最近、宮本武蔵のことをよく考える。巌流島で佐々木小次郎を倒したのは、武蔵29歳の時。その後女に恋をすることもなく、なぜか一生風呂にも入らず、「わが人生に悔いなし」と言って60代半ばで死んだとか。
軽薄な冗談を繰り返すたび、オレの中の武蔵も小次郎も切り刻まれていき、最後には石臼かロードローラーで挽かれ引き延ばされ、細かくなった自分の粉は風に吹かれて見る影もなく消えてなくなってしまうかのように思われた。
サヤカ様はスノーボードだか何か、明日予定があるそうなので早めに帰ることになった。
「帰る前に少し君の手相見せてくれない?」オレはお願いした。
「この人ゼッテー手相なんて見れないよ」とソフトモヒの川内。
「手、触りたいだけじゃん!」と春助。
アサコ様とミユキ様とスミコ様は少し興味を持ったみたいだったが……。
サヤカ様の前に席を移動して、オレは両方の手相を見せてもらう。
「うん、あなたは誰も傷つけたくないし、自分も誰からも傷つけられたくないと思っています。でも、世界にはあなたに傷つけられたい男の子が大勢います。なぜなら、”愛するとは傷つけるということ”だから」
「当たってるかも」とサヤカ様は目を細めて微笑みながら言う。
「キモい」とスミコ様。
「最高キショい」とミユキ様。
「ケツ割って死ね」とアサコ様。
「帰れ」「帰れ」「冥王星まで行け」春助と長野と川内。
こうして今日もオレは、大いに傷つき大いに愛された。
サヤカ様が帰った後、残りのメンバーは別の店で飲み直すことにした。
2件目は雰囲気のあるカクテルバーだった。ボトル棚の中央に大きめの液晶テレビが掛けてあり、なかなか趣味のいいミュージックDVDを流している。液晶テレビがまだ値が張って手が出しにくかった時のことだ。店員は春助の友人で、週末ここでバイトしてバーテン修行をしているとかいないとか。オレはその店員にドライマティーニをお願いした。ボギーの真似をしてみたかったのさ。
みんなにそれぞれ飲み物が行き渡ったところで、「何に乾杯する?」とミユキ様。「この素敵な夜と、世界中の女性たちの笑顔に乾杯しよう!」と長野が言う。「えっ、何?」スミコ様が聞く。「この素敵な夜と、世界中の女性たちの笑顔に乾杯!」長野がもう一度言う。「とにかくそれに乾杯!」「乾杯!」
みんないい感じだった。いい感じで酔っていた。
ケニー・G がソプラノサックスを吹いている映像を見ながら、オレはドライマティーニのグラスに入っているオリーブの実を、つまみ上げたり沈めて中で回したりしていた。すると、「サヤちゃんのことずっと見てなかった?」などとアサコ様が聞いてくる。
「あの人、胸の辺りでひもをクロスさせたような服着てたでしょ。ああいう服、男のわたしでも似合うのかしらと思って」
「ゼッテー似合わん!」みんなに声を揃えて言われる。
「でもああいう服、男の人にはセクシーに見えるものなんでしょ」
「ハハハ、まあ、ちょっとね」
うまくごまかせないものだな。
店内に Bee Gee's の ”How deep is your love”が流れ始めた。「一緒に踊ろう!」オレはアサコ様の手を取って踊り始める。狭い店内で大きなステップは踏めなかったが、それでも二人は映画『サタデーナイト・フィーバー』のペアのような華麗な踊りを披露する。
曲が終り、アサコ様はみんなのいるテーブル席の方へ戻る。オレはテーブル席を離れて一人カウンター席の方へ行き、バーテンに尋ねる。
「人の名前にちなんだカクテルってお願いできませんか?例えば、モーニンググローリーとかスノーウィーディとかバイオレットキディンとか」
バーテンは3人の女たちの方を見て微笑む。
「喜んでお作りいたします」
「ありがとう。じゃ、オレにはドライマティーニをもう一杯」
「かしこまりました」
店内にはダーツがあった。みんなでやることになる。まともにルールを知っているのはミユキ様だけだったが、計算は機械の方がやってくれるのでルールを知らなくても一向に構わない。
ソフトモヒカンの川内とブラウンマッシュルームの長野は、日頃の憂さでも晴らすかのように、バンバン、バンバン、ものすごい音を立てながら矢を的に投げつけていた。アサコ様は少し助走をつけて、しかもラインを思いっきり踏み越えて矢を投げつけていた。ミユキ様は絶えず的の中心を狙い続けて、結果的に30回連続で的の中心に命中させた。
スミコ様は川内と長野の頭を狙って投げ続けた。彼ら自慢のモヒとマッシュはハチの巣にされていき、最後に川内は「モヒー!」と叫び、長野はなぜか「ミ・アモーレ!」と叫びながら銃弾の下に倒れて、真っ黒焦げになったモヒとブラウンマッシュだけが、プスプスとした不完全燃焼となってその場に残される。最高にクールでセクシーな女たちだぜ、全く。
日付は変わっていた。サタデーナイトフィーバーもお開きというわけだ。長野が「ひげパパにシュークリームを買いに行こう」と言う。その辺は彼はルールをよくわきまえている。オレより3つも年下なのに大した奴だ、憎いね全く。彼の仕切り具合は大変よろしかった。シュークリームをお土産に持たせて、彼女たちを帰すことになった。
つづく