キス・オブ・アラスカ
オレはいつものバーで飲んでいた。バーの名前は”北極圏”。いつものカウンター席。いつものように客はオレ一人。
「マスター、ドライマティーニ」
「お客さん、冗談はよして下さいよ」
これはオレのいつもの冷やかし。ここのマスターは水割りしか作れない。オレはウィスキーの水割りをゆっくりと口に運ぶ。店にはジャズの淡い音色が流れている。
「カラン、コロン、カラン」
珍しい。こんなしけた店に客が入ってきた。しかも女。服は全身が真っ赤、まるで女サンタクロース。年もどう見ても十代にしか見えない。女は黙ってオレの右隣に座ってこう言った。
「この人と同じものをひとつ」
どうやら今夜のオレはついているらしい。
「メリー・クリスマス、サンタさん」
「メリー・クリスマス、ミスター」
オレは女の横顔を見て驚いてしまった。確かに前にどこかで見たことのある顔なのだ。一体どこで?
「外は寒かっただろう。どこから来たの?」
「蜃気楼の国から」
「・・・」
店内にはジョン・コルトレーンの”ナイーマ”が流れている。
「君のこと確かにどこかで見たような気がするんだけど、どこでだったかなあ。前にも会ったかな?」
「思い出せない?」
女はオレの方をまっすぐに向いて、ニッコリほほ笑む。やっぱり見たことのある顔だ。でも思い出せない。
「もう少しで思い出せそうなんだけど…。教えてくれない?どこで会った?」
彼女はグラスを揺すって中の氷を回しながら話し始めた。
「あなたとは夢の中で会ったわ。あの時あなた、私の唇を強引に奪ったわね。でもとても素敵なキスだったわ」
「・・・・・・」
三日前にそんな夢を見たことを覚えていた。まるで現実に起こったことのように、記憶にはっきりと残る夢。
「もう12時、行かなくちゃ。きっと外でトナカイさんが待ってるから」
「もう少し飲んできなよ、シンデレラじゃあるまいし。よかったらトナカイさんにも一本持っていきなよ、クリスマスプレゼントにさ。マスター、オレのボトル取って」
マスターがオレのジョニーウォーカーさんを出してきてくれた。
「一杯だけ頂くわ」
彼女は自分でグラスに入れ、ストレートで一気に飲み干してしまった。
「おいしかったわ、ありがとう。それじゃ、良いクリスマスを」
「待って、君の名前は?」
「私はアラスカ」
「えっ、アラスカ?」
彼女はニッコリと笑って出て行ってしまった。
「マスター、あの子よく来るの?」
「ええ、まあ」
「あの子、いくつなの?」
「自分では20歳だと言ってましたが」
「見えないな」
「そうですね」
「オレはふられちまったのかなぁ」
「さあ、どうですか」
「今年の冬も寒くなりそうだ」
「”北極圏”だけに」
「タハァー」
外に出ると、雪は降っていない。月も出ていない。ましてや星は・・・。冷たいビル風が唇を突き刺して通り過ぎて行った。
” 夜の女たちはますますきれいになってく ”
” 選挙ポスターには仮名文字が増えてく ”
” 便所の落書きはますます卑猥になってく ”
ストリートミュージシャンがそんな歌を歌っていた。
(オレも来年は30か・・・)
曲が終わった。オレは若者のギターケースに3000円を入れた。
「ギター見せてくれない?」
オレは若者に尋ねた。
「えっ、どうぞ」
若者は快くギターを貸してくれた。ギターはマーチンのけっこう年季の入ったフォークギター。オレはFとCとGとAmの音を出してみる。いい感じだ。
オレは歌い始める。曲はミーシャの" Snow Song "。オレは歌い続ける。1000回も2000回も歌い続ける。世界中が凍りつくまで歌い続ける。