風の噂④
「カイル殿下、早く席に行きましょう!」
ララスティの手を払いのけるように二人の間に入ったエミリアが、カイルの腕を引いて劇場の中に入って行く。
その様子に周囲の人々は茫然としたが、ララスティが小さく落胆したような姿にハッとし、すぐさま同情心が芽生えていく。
エミリアの暴挙は貴族だけではなく、商人から平民にも広まっているのだ。
「ララスティ、私たちも行こう。あの子たちは席がどこかもわからないだろうし、私がいないのに支配人は先に案内などしないさ」
「はい、ルドルフ様」
慰めるようにララスティに手を差し伸べたルドルフに、ララスティは寂しさを隠すように微笑み、自分の手を重ねて二人で歩き出す。
その姿はあまりにも自然で、この状況が初めてではないのだと思わせるに十分なものだった。
本人たちは何も言わないまま劇場の中に入り、見守っていた人々は憶測を膨らませていく。
その様子にララスティは内心で計画通りだと笑ってしまうが、なによりもエミリアの行動が予想通り過ぎて失笑してしまいそうだった。
常識的な速度で劇場の中を進んで行けば、上階に行くための階段前でエミリアが支配人と思われる男性に向かって文句を言っているのが聞こえる。
離れたところに居るララスティの耳にも届いているのだ。それよりも近くで待機している観客は当然エミリアの行動が確認できるだろう。
知らない振りをしながらも、意識がエミリアに向いているのがわかり、ララスティは誰にも気づかれないように心の中で笑い、表向きは困ったように眉を下げてエミリアたちに近づいていく。
「エミリアさん、そのように騒いではいけませんわ」
「……お姉さま」
ララスティが声をかけると、エミリアは恨めしそうにララスティを振り返った。
「この人が、あたしは正式な招待客じゃないから、カイル様だけじゃ席に案内できないって言うんです!」
そう言って支配人と思わしき男性を指さすエミリアに、ララスティは困ったように眉を下げながら近づき、そっとその手をおろさせる。
「エミリアさん、そのように人を指さしてはいけませんわ」
「そんなことどうでもいいじゃないですか! あたし、この人にひどいことをされてるんです! あたしはお姉様の妹で、カイル殿下の———」
「支配人」
エミリアが続けて何かを言おうとした瞬間、重ねるようにルドルフが声を発した。
大きいものではないが、エミリアの言葉を止めるのには十分な圧があった。
「シングウッド小公爵様。ようこそお越しくださいました」
支配人はルドルフの言葉にすぐさま反応し、深々と頭を下げる。
まるでエミリアに文句を言われていたことなど忘れたように対応する姿は、まさにプロフェッショナルといえるだろう。
「今回はこの国のみならず、帝国でも人気の劇団の演目だということで、期待しているよ」
ルドルフの言葉に支配人は笑みを浮かべて頷いた後、「席にご案内いたします」とルドルフを先導するように歩き出した。
その様子を見て、エミリアが「どうしてあたしの時はああしてくれないの?」と不満をこぼしたが、カイルが歩き出したことで慌てて後をついて行く。
そのまま階段をあがっていき、三階にあるロイヤルボックスに案内される。
形式的にルドルフの護衛が先に中に入り安全を確認してから、ルドルフを先頭に中に入る。
「え、ひろっ……」
エミリアが思わずと言うように声を漏らしたが、カイルやララスティからすれば、世話をする使用人、護衛、侍従や侍女も入ると考えればこの広さは驚くようなものではない。
キョロキョロとボックス席を見渡したエミリアは、前方に広がる窓に視線を向けた。
「……ガラス?」
エミリアは観劇で貴族用の席に座ったことはある。
それはボックス席だったこともあるが、それでも席の前方は解放された空間であり、ガラスなど張られていなかった。
「……これじゃあ、劇がよく見えないんじゃないですか?」
エミリアがガラスに近づいて叩きながら言うと、支配人は安心させるように笑みを浮かべた。
「ご安心ください。使用されているガラスは帝国から購入した最高の透明度を誇り、劇の音声は魔道具によってこの席の中に届けられます」
支配人の説明にエミリアは微妙な表情を浮かべる。
「……それでは私はこれで失礼いたします。何か御用がございましたら呼び出し用の鈴をお使いください。どうぞお楽しみください」
エミリアを気にせず支配人はそう言うと、深々と頭を下げて席を出て行った。
出て行った支配人に何か言いたそうなエミリアだったが、扉が閉まったところでムッとした顔をしながらも、中央に置かれたソファーに腰を下ろした。
「カイル殿下、どうぞ」
自分の隣に座れとでも言うようにエミリアが座面を叩く。
「……ああ、そうだね」
カイルはエミリアと一人分空けて中央に置かれたソファーの端に座った。
エミリアはなぜ離れて座るのかと眉をひそめたが、ララスティとルドルフが左側にあるソファーに無言で座ったのを確認し、クスリと笑った。
「ララスティ、なにか飲むかい?」
「そうですわね」
「あっ! あたしも喉が渇きました!」
エミリアがルドルフを見て言うが、ルドルフがチラリと視線を向けただけで、すぐに侍従に視線を向けた。
部屋の隅に用意された道具で侍従が飲み物を用意すると、ララスティとエミリアの前に置く。
「なんですか、これ……紅茶じゃないですよね」
エミリアは用意されたサイドテーブルに置かれたカップを覗き込む。
「最近こちらで販売を開始した蜂蜜とレモンの果汁を使用したものだ」
ルドルフがエミリアの質問に答えつつ、視線はララスティに向けている。
「熱いから気を付けて」
エミリアにではなくララスティに向けて言うと、ルドルフは視線をガラスの外側に向けた。
「なーんだ。王都じゃ珍しくもないものじゃないですか。やっぱり田舎だとこういうのもなかなか手に入らないんですか?」
エミリアがそう言ってカップを持って「ふーふー」と息をかけて冷ます。
子供っぽいその仕草に、貴族が尊重する気品はなく、誰もが見ない振りをした。
しばらく息をかけ続けてカップの中身を冷ますと、エミリアは口を付けて一気に飲み干した。
「……まあ、悪くないですね」
そう言いながら、ルトルフの侍従に「おかわりをください」とカップを揺らして命令した。
ララスティはそんなエミリアを目の端で確認したあと、カップに口を付け、一口飲む。
「……おいしいですわ」
ゆっくりと味わった後、小さくララスティが感想を言うと、ルドルフは優しく目を細めた。
帝国から仕入れた希少な蜂蜜と、シングウッド公爵領でのみ栽培可能なレモンを使用した蜂蜜レモンジュース。
貴族が財力を見せつけるために客人に提供したり、自身で飲んだりするものとは素材も手間も、もちろん値段もレベルが違う。
なによりも、ララスティに提供されたものは、エミリアの物と違いララスティの好みにさらに調整されたものだ。
些細なところにルドルフの気遣いを感じ取ることが出来、味わい以上にその行動自体がララスティの心を温かくする。
「へえ、お姉さまってばこんな普通のものが気に入ったんですか?」
エミリアが二杯目も飲み干して三杯目を要求しながらクスリと笑う。
「……エミリア嬢、そんなに飲んで大丈夫かい?」
「もちろんですよカイル殿下。慣れた味だからか飲みやすいし、ちょうど喉も乾いてたんです」
「…………そう」
カイルは淡く微笑むと、自分にも一杯だけ用意して欲しいとルドルフに頼む。
そうしている間に会場の明かりが落とされていき、演劇が始まる。
この日に行われる演目は真実の愛に出会った恋人たちの幸せをテーマにしたもの。
愛し合っているのに、家の都合で結ばれない恋人たちが、本人たちの努力と周囲の協力を得て結ばれる話。
まさにエミリアが好みそうな題材。恋人たちの邪魔をする少女の役もまた、エミリアに刺激をもたらすだろう。
幕が上がってララスティたちはすぐにオペラグラスを取り出して舞台を見るが、エミリアはそんなことをする三人に驚いたようにキョロキョロとしたあと、眉をひそめて「聞いてない」と小さく呟いた。
ちょっと審神者業が忙しかったので更新が遅れました!
エミリアはなんというか、どんどんダメになところが目立ってますね
もともとそういう傾向のある子ですが、前回はララスティがおまぬけさんだったのでうまく切り抜けられたのでしょう
今回はララスティが狡猾になってるので無理ですねw
ねむねむにゃんこだぷー(翻訳:ブクマや評価お待ちしております)




