3: モンスターと村
振り返ることなく、ソルは小枝が指し示す方向に歩き出した。彼の足取りは落ち着いていて確かなものだった。レイカはその場に立ち止まり、彼が今したことを処理しようとしていた。
「え…あの棒で、行く場所を決めたのか…?」
彼女の視線は、ワイヴァーンの焼け残った遺骸に移った。焦げた肉のかすかな匂いが空気に漂い、彼女は不安を感じた。周囲の森は不自然に静かで、再び別のモンスターが現れるのではないかという思いが背筋を走らせた。拳を握りしめ、レイカはソルに遅れを取らないように足早に歩を進めた。
森の中を進んでいくにつれて、周囲はますます暗くなった。上空の厚い樹冠が、わずかな日光しか差し込ませなかった。ここで見た木々は以前よりも高く、密集しており、巨大な幹が頭上に広がっていた。空気はひんやりと重く、湿った土の香りが漂っていた。足元の葉が軋む音以外、森は不気味に静まり返っていた。
森の奥深くから、虫の鳴き声や葉が揺れる音、遠くで鳴く音が空気を震わせていた。しかし、ソルはその音をまったく無視して前へ進んだ。彼の後ろで、レイカは迷いながらも足早に追いかけた。
ソルの後ろを追いながら、レイカは落ち着こうとした。今までの出来事が頭の中で繰り返され、一つ一つが前のものよりも滑稽に思えてきた。自分たちの状況は何一つ理解できなかったが、それでも彼女はここで、見知らぬ世界の深奥に足を踏み入れていた。
「モンスター、奇妙な生き物、魔法、そんなもの…これが言うところの異世界ってやつなのか?」
レイカは深い森を見渡した。すべてが地球で見たものと似ているように見えたが、出会ったモンスターや、モンスターの口から出た奇妙な炎が、この世界が常識を超えていることを明確に示していた。魔法や呪術、これまでファンタジーにしか存在しないと思っていたものが、ここでは現実となっていた。
私はこれがただのファンタジーだと思っていた—オタクや冒険物語のファンが楽しんでいるフィクションだと。まさか、こんなことが現実だなんて思いもしなかった…
彼女は拳を握りしめ。
もし、いつかこんな世界に迷い込むことになるってわかっていたら、もっとこういったマンガを読んでおけばよかったのに、こんなに無知なままでいるんじゃなかった。代わりに、私はスライス・オブ・ライフやロマンコメディばかり読んでいた!
彼女は、いつも通り落ち着いた表情で歩くソルにちらりと目をやった。
あんなに冷静なんだから、きっと学校の他の男子と同じように、そういったマンガを読んでいるに違いない。それに、こんな奇妙なことが彼にはあまり新しくないんだろうな…
歩き続ける中、突然レイカは背後で葉がざわめく音を聞いた。その音は次第に大きくなり、彼女の不安を募らせた。彼女はソルに近づこうとしたが、それができる前に、左側から巨大な影の塊が飛び掛かってきて、ソルに襲いかかった。
「きゃっ!」レイカはショックで息を呑んだ。
レイカは後ずさったが、足がもつれ、そのまま地面に倒れ込んだ。彼女の心臓は激しく鼓動し、奇妙な影が赤く光る目で自分を見つめているのを感じた。その瞬間、レイカはそれが何であるかに気づいた—先ほど見た狼のような生き物、ラビッドウルフだった。
「あ、あれは…さっきの狼!」
レイカの目は恐怖に見開かれた。ラビッドウルフがソルの上半身に牙を突き立てるのを目の当たりにし、彼女は息をのんで口を手で覆った。体がショックで固まって動けなかった。
しかし、その時、予想外のことが起こった。ラビッドウルフの下半身が突然地面に崩れ落ちた。上半身と完全に切り離されていたのだ。切断された上半身はソルの無傷の体から滑り落ち、そのまま鈍い音を立てて地面に転がった。
「な…に…?」
レイカは信じられない思いで瞬きをした。ソルは完全に無傷だった。血が飛び散るはずだった。肉が引き裂かれる嫌な音が響くはずだった。しかし、彼は何事もなかったかのように立っていた。まるで狼の鋭い牙が全く通じなかったかのように。彼の服も汚れ一つなく、裂け目も血痕も見当たらなかった。
動揺しながらも、レイカは慎重に立ち上がり、息絶えた生き物にゆっくりと近づいた。全身の感覚が研ぎ澄まされ、まだこの怪物が生きているのではないかという不安が拭えなかった。彼女は死体から目を離さず、何か動きがあればすぐに対応できるよう警戒していた。
彼女はラビッドウルフの傷口を観察し、それがまるで噛みつかれたかのような跡であることに気づいた。しかし、さらに不可解だったのは、そのような傷を負わせることができる怪物が近くに見当たらないことだった。このような傷をつけられるのは、通常、同じ犬科の生き物だけのはずだった。
レイカは狼の内臓が紫色の血とともに地面へとこぼれ落ちるのを見て、思わず身を引いた。鼻を突く悪臭が彼女を襲い、反射的に数歩後ずさった。
吐き気をこらえながら、彼女は視線をそらした。そして左手を見ると、ソルが制服の乱れを直しているのが目に入った。彼はまるで何事もなかったかのように、平然としていた。身だしなみを整えると、何の迷いもなく歩き始めた。
「どうしてこんなに平然としていられるの!? あんな危険な目に遭ったのに、全く動じてないなんて!」
レイカは頭をかきながらソルの後を追った。頭の中が混乱し、何とか納得のいく説明を見つけようと必死だった。
空から落ちたあの瞬間を思い出すと、ソルは終始冷静で、表情ひとつ変えなかったことに気づいた。無傷で地面に降り立った後も、彼はまるでその状況が当然であるかのように微動だにしなかった。
死んだ怪物を見つめる彼の目は、あまりにも冷静だった… あんな生き物、地球には存在しないのに… まるで何とも思っていないみたいだった…
彼女の思考は、ワイバーンに襲われた時のことへと飛んだ。焼き尽くされるはずだった炎は恐ろしかった。しかし、焼け死んだのはワイバーンの方だった。それでも、ソルはなぜ自分たちが助かったのか、一度たりとも疑問に思わなかった。彼の表情は微塵も揺らぐことがなかった。
彼は…すべてを予測していたの? あの狼のような生き物に噛み裂かれるはずだった瞬間でさえ… 結局死んだのは狼の方だった… まるで、見えない牙に引き裂かれたように…!
レイカはソルを見つめた。その瞳には、疑念と困惑が渦巻いていた。
「シンくん… まさか、何か知っているの?」
レイカの視線は、ラビッドウルフとよく似た複数の生き物へと移った。それらは皆、地面に横たわり、動かなくなっていた。先ほどのものと同じく、胴体を噛み裂かれ、その場で絶命していた。
彼の奇妙な行動を見る限り、何かを知っていて、それを隠しているような気がする。でも、証拠もないのに決めつけるのはよくないし…
レイカは歩く速度を上げ、ソルに追いつこうとした。
もう、直接聞いたほうが早い!
「シン―― いたっ!」
レイカは言葉を最後まで言えなかった。ソルの肩に頭をぶつけたのだ。
ちょっと! なんで急に立ち止まるのよ!?
「着いたぞ。」
ソルの言葉に、レイカは首をかしげた。まだ額を押さえながら、彼の隣に立ち、視界を確保しようとした。長い間暗闇に包まれていたせいで、目の前の光景は眩しすぎた。反射的に右手をかざし、強烈な光を遮った。
しばらくして、レイカの目はようやく光に慣れた。視界がはっきりすると、目の前に広がる美しい光景に息をのんだ。彼女は魅了され、ゆっくりと手を下ろした。
目の前には、黄金色の小麦畑が広がる広大な平原があった。
空は淡い青色で、ところどころに雲が浮かんでいる。細い道がまっすぐ伸び、その先には門が見えた。高く頑丈な木の柵の向こうから、煙が立ち上っているのが見える。それは、広大な畑の中にひっそりと佇む村だった。
レイカはその美しい景色に心を奪われたまま立ち尽くしていたが、その間にソルは静かに村へ向かって歩き出していた。
歩きながら、ソルは辺りを観察した。自分がいる奇妙な新世界に興味をそそられ、小麦の熟した穂を指でなぞりながら、その感触を確かめた。レイカもまた、静かな雰囲気に包まれながら、頬をなでる優しい風を楽しんでいた。しかし、その瞬間までソルが隣にいないことに気づかなかった。
「シンくん…?」
レイカはきょろきょろと辺りを見回し、ソルを探した。黄金色の小麦畑の方へ目を向けると、細い道を歩いて行く彼の姿が見えた。
あのバカ、もう置いていったの!?
「ねぇ、待ってよおおお~!」
レイカはソルを追いかけた。ソルは彼女の足音を聞いたが、振り返ることなく静かに村の入り口へと続く道を歩き続けた。
小麦畑を駆け抜けながら、レイカはふと後ろの森を振り返った。その広大さに驚き、思わず息をのんだ。
なんて大きな森なの…! 幸運にも、私たちはすんなりと抜け出せた。でも、もし迷っていたら、食べ物も寝る場所もないまま一晩を過ごすことになっていたかもしれない…
村の入り口へ視線を戻すと、ソルが誰かと話しているのが見えた。
偶然この村を見つけたけど…少しここで休ませてもらえるかもしれない…
遠くから、ソルは村の入り口近くに立つ人物に気づいた。ためらうことなく、彼は静かにその人物のもとへと歩み寄った。その男はどうやら村の入口を守る門番のようだった。
見知らぬ服装と顔立ちのソルを確認すると、門番は警戒し、素早く立ちふさがった。
ソルは、相手が何かを伝えようとしていると察し、立ち止まって彼をじっと見つめた。そして、門番が身元を確かめようとしているのだと考え、簡潔に自己紹介をした。
「ワ - タ - シ - ハ 、 ソ - ル - ク - ン - デ - ス 。」
ソルの言葉を聞いた門番は、困惑した表情を浮かべ、眉をひそめた。
「@#$&@#, @&#-*?」
ソルは門番の言葉を理解できず、再び話そうとした。一方で、遠くから様子を見ていたレイカは、失望した表情を浮かべた。
なんて間抜けなの… ここは異世界なのに。まさか、同じ言語を話しているとでも思ったの?日本語なんて通じるわけがないでしょう!
門番は手斧を握りしめ、その構えをさらに警戒したものにした。
「@$&$*&@_$!!」
その時、ソルは肩を軽く叩かれた。振り向くと、レイカが隣に立っていた。
「私に任せて。」
レイカは一歩前に出て、自信に満ちた態度で門番と向き合った。鋭く向けられた刃先にもひるむことなく、まっすぐに立つ。ソルは一歩後ろに下がり、レイカに場を譲った。彼女は門番との意思疎通を試みようとした。
レイカは両手を上げ、空中で手を振り始めた。
「何をしているんだ?」とソウルは彼女の奇妙な動作を見ながら尋ねた。
「しーっ。警備員とジェスチャーでコミュニケーションを取ろうとしているのよ。」
レイカは奇妙なジェスチャーを続けた。両手を空中に上げ、指をいじったり、森の方向を指さしたりした。警備員はますます混乱していった。
「私たち、迷子。深い森から来た。」
警備員の混乱は深まるばかりで、彼は手斧を彼女に向けて指さした。レイカは素早く両手を上げて降伏のポーズをとり、刃を避けるために後ろに一歩下がった。
「無駄だよ。」とソウルはレイカに言った。
レイカはため息をつき、手を下ろして背を向けようとしたとき、はっきりと理解できる言葉で低い声が聞こえた。
「おお、君も日本語が話せるのか…」
レイカは凍りついた。日本語を話す声を聞いて衝撃を受けた。
「ど、どうしてあなたが——」
彼女は警備員の後ろにいる老人に気がついた。彼は背が低く、両手を背中に組んでいた。つるりとした頭は、白い眉毛と口ひげによって際立っていた。
警備員は驚いて振り向いたが、すぐに老人に対して恭しく頭を下げた。
「@#-$*&@$_@...」
老人は警備員に微笑み、うなずいた。
「@#&#。」
彼はレイカを一瞥し、それから警戒する警備員に再び目を向けた。
「@#&@%。」
警備員はうなずき、持ち場を離れた。その後、老人はレイカの前に立った。
「遠方からの客人よ、ようこそ。このささやかな村の長を務めている。」
レイカはそこに立ち尽くし、驚きながら、異世界の老人がどうして日本語をこんなに流暢に話せるのか考えていた。老人は彼女の驚きを察して、クスクスと笑った。
「ははは... 日本語をこんなにうまく話せることに驚いたか?」
レイカはその言葉で現実に引き戻された。
「ど、どうして日本語が話せるんですか?この世界に日本語は存在するんですか?」と彼女は尋ねた。
老人は顎ひげを撫でながら考え込み、答えた。
「その方言はこの世界には存在しないと思う。あの言葉を知っていて、それを習得した者は少数だ。」
「それで、どこでその言葉を覚えたんですか?」
「息子の教えで覚えたんだ。」
レイカはその答えに混乱し、さらに質問を重ねた。
「息子から教わったというのはどういう意味ですか?」
老人は彼女の横を通り過ぎ、目の前の小麦畑を見渡した。
「見てごらん、私の息子はごく普通に生まれてきたんだが、母親と私は彼が特別だと感じていた。彼は活発な赤ん坊だったけど、驚くべきことに、決して泣かなかった。ほとんどの赤ん坊とは違って、静かで、私たちが食事を与えるときもただ私たちをじっと見ているだけだったんだ。」
「三歳になった時、彼は初めて言葉を発したんだけど、それは私たちには理解できない言葉だった。私たちは彼に読み書きを教えたけれど、よく彼が独り言を言っているのを聞いて、その奇妙な言葉を何度も繰り返していたんだ。」
「ある晩、私たちは彼に近づこうとした。彼の異常な行動を理解しようとして。結局、彼は私たちに日本語という言葉を話せると言ったんだ。私たちが一度も聞いたことのない言語だった。さらに、彼は私たちには理解できないビジョンを見ることができるとも言った。」
老人はしばらく黙った後、話を続けた。
「好奇心から、私は彼にその言語を教えてくれと頼んだ。私の奇妙なお願いを聞いた彼は、優しく微笑み、私に日本語を話す方法、さらには書く方法を教えてくれると言ったんだ。」
「それを学ぶのにどれくらいの時間がかかりましたか?」とレイカは尋ねた。
その質問を聞いた老人はクスクスと笑った。
「月?おおおお!それには二、いや、三年かかったよ。最初は大変だったけど、基礎を覚えてしまえば、後は楽になる。息子ほど上手ではないが、まだ十分に理解できるよ。」
レイカはソウルをちらりと見た。彼は表情を変えることなく老人を見つめていた。彼女は再び老人に向き直り、尋ねた。「あなたの息子は今どこにいますか?ここにいるんですか?」
老人は頭を下げ、振り返って、稲田の方へ歩き出した。
「フメイロ... 彼は王国の首都にいます。用事があるんだ。」
レイカは老人の答えを聞いて黙り込んだ。老人は再び頭を下げて振り返り、稲田の方へ歩いて行った。その顔には、切なさと寂しさがにじみ出ていた。
しばらくして、沈黙を破るように誰かが話し始めた。
「今夜、ここに泊まることはできますか?」
レイカは驚き、すぐにその声を認識した。それはソウルが老人に尋ねた声だった。
「あなた...」
この馬鹿、全く空気が読めていない!
老人はソウルの声を聞いて振り返り、少し微笑んでから村へ向かって歩き始めた。
「おおお!もちろんだ!ついてきなさい。」