その1 メスガキの来訪
パキャッ!
第3のビールを開ける。
俺はこの、缶を開ける音が何より好きだ。
ようやく仕事が終わり、晩酌の時間を知らせる音。
ジョッキに黄金色の液体をトクトクと注ぐ。
しゅわぁぁ……と立つ泡。
俺はゴクリと生唾を飲み、ジョッキを持ち上げ…
ガチャッ!!
玄関扉が勢いよく開かれた。
「おじさ〜〜〜ん♡ 今日も、可愛いわたしが来てあげたよ〜〜〜♡」
ドンッ……
口を付ける前に、机に置いた。
「はぁ…お前、今日も来たのか…?」
「なぁに?おじさん期待してたの〜?
キッショ〜♡ ロリコンじゃ〜〜〜ん♡」
断じてロリコンではない。
俺がため息を付きながら振り向くと、小さな身体が目に入る。
『冬月 陽奈』それがコイツの名前だ。
確か、小学6年生だったと思う。
俺が住んでるアパートの大家の娘で、
なんだか知らんが俺に懐いているらしい。
「こんな男やもめのヤサに来ても、何も良いコトはないぞ」
俺の苦言に耳を貸すコトはなく、陽奈が聞いてくる。
「おじさん、今日は豚ロースなんだけど、生姜焼きでいいよね?」
「………ぁあ」
俺がコイツを追い出せない理由はコレだ。
作るツマミがめちゃくちゃ旨い。
陽奈は勝手知ったると言う風に、キッチンに向かう。
エプロンを付けている後ろ姿を眺めながら、俺は発泡酒に口を付けた。
自慢じゃないが、俺は酒に弱い。
毎晩のように呑んでいるのに、強くなる気配が微塵もない。
「お待たせ、できたよ♡」
陽奈がコトリ、と目の前に生姜焼きを置いた。
香ばしい匂いが食欲を刺激してくる。
「ぁあ……いただきます……」
俺は手を合わせてから、がっついて食べる。
「おいしい?」
「うめぇ、うめぇよおぉぉお……」
「ふふ、良かったー♡
おじさん涙腺ゆるゆる〜♡」
手料理の温かさに涙がこぼれ出る。
そんな俺の様子に陽奈は目を細めた。
そう、俺はとんでもない泣き上戸だ。
「あーあ、ぼろぼろ泣いちゃって♡
おじさん、子供みたーい♡」
「しょうがないだろぉぉ……こんな手料理なんか、実家以来なんだよぉおお……」
陽奈が俺の涙を拭い、耳元で囁く。
「ザーコ♡ よわよわ♡ 一人じゃ生きていけない♡おじさんなのに泣き虫♡」
「そんなコトいうなよぉぉお……
大人だってな、大人だってなぁ……
いつも寂しくて当たり前なんだよぉおお……」
俺はジョッキをぐいぐい傾けながら、泣き続ける。
「おかわりぃい……」
「もー♡ あんま飲みすぎちゃだめだよ?♡」
陽奈が冷蔵庫から缶を取り出す。
「ありがとぅ……」
「注いであげる♡
おじさん手先ぷるぷるで溢しちゃうでしょ♡」
トポトポトポ……と酒が注がれていく。
俺好みの泡2∶液8だ。
酒を注ぐのも最初は下手だったが、ドンドン上達していき、今じゃ俺自身より上手い気もする。
器用なモンだ。
グビグビと音を立てて、酒を呑む。
「うぅ……なんだって俺が尻拭いに回らにゃならねぇんだ……」
仕事の愚痴が涙と共に漏れ出す。
「お疲れ様♡頑張っててえらい♡
よしよし♡」
横から頭を撫でてくる陽奈。
「頑張って、頑張ってるはずなんだ…
どうしてこう……いつも……いつもぉぉ……」
「だいじょーぶ♡ だいじょーぶ♡
いーっぱい泣いていいんだよ♡」
「うおぉぉぉおおん……」
抱きしめてくる陽奈に縋りつきながら嗚咽を吐き出す。
「おじさん、もうねんねしよっか?
はみがきしようね♡」
「おぉん……」
陽奈に手を引かれて洗面所に向かう。
「はい♡ ぐちゅぐちゅぺーしようね♡」
差し出されたコップの水でうがいをする。
ガショガショガショ……と歯を磨く。
「お布団いこー♡」
最後に口の中を洗い流し、
千鳥足になりながら陽奈に引っ張られていく。
「おあぁ……」
ゴロリと寝っ転がると、陽奈がポンポンと背中を軽く叩く。
「ねんね……♡ ねんね……♡」
アセトアルデヒドで溶けた脳は、あっという間に意識を手放した。
おじさんがすぅすぅと寝息を立てる。
わたしはこの時間が何より好き。
なぜなら、おじさんは酔っ払って寝ちゃうと滅多なコトじゃ起きないからだ。
わたしもお布団に寝っ転がって、大の字に寝ているおじさんを横から抱きしめる。
「ふふ♡」
おじさんの身体はとっても大きくて、ひっつくとすごくドキドキもするし、心の底から安心もできる不思議な感覚になる。
「しあわせ♡」
わたしはおじさんのコトが好きだ。
それも親愛の情なんかじゃない。
LOVEだ。
恋してると言ってもいい。
「おじさん、好き♡」
「んぅう……」
寝苦しそうに唸るおじさん。
わたしはマーキングするみたいに、おじさんに身体を擦り付ける。
でも、キスはしない。
ハジメテは向こうからして欲しいもんね♡
甘い匂いが鼻につく。
窓から射し込む朝日が、俺の意識を引き上げた。
「朝か……」
ぼんやりとする頭で、おぼろげな記憶を手繰り寄せる。
確か昨日も陽奈が家に来て、酔っ払った俺はまたしても恥を晒した気がする。
ダメだ、酒のせいでまともに記憶が残っていない。
陽奈はどうやら俺が寝た後に帰ったらしい。
「……仕事行くか」
よっこいせ、と声をあげて、俺は仕事の支度を始めた。
ガチャリとドアを開ける。
朝の空気が俺の身体を包んだ。
「おじさん、おはよー♡」
カバンを背負い直した俺の耳に、甘ったるい声が届く。
「……あぁ、おはよう」
「なーに?朝から暗いなー♡
陰気なのは顔だけにしておいて♡」
厄介なのに捕まった。
「うるせ、この顔は生まれつきだ」
「きゃはは♡ 生まれつき暗いんだー♡」
このガキャ、ああ言えばこう言いやがる。
「あんまりくっちゃべってると遅刻すんぞ」
「むー、冷たいな〜。
折角カワイイ陽奈ちゃんが、こんな冴えないおじさんにかまってあげてるのに♡」
「頼んでねぇ……」
「じゃあわたしこっちだから。
今日は鶏もも買って帰るね♡
また後でね〜♡」
「おう、慌ててすっ転ぶんじゃねえぞ」
10分ほど一緒に歩いただろうか、
十字路で陽奈と別れ、駅に向かう。
「……よっし、向かうか」
俺の足取りは、昨日より幾分か軽かった。
ご拝読ありがとうございます。
のんびり続けて行こうかなと思っておりますので、気長にお付き合い頂ければ幸いです。
評価、ブックマーク、感想等も是非。