第10章ー10
「はあっ!!」
鋭い裂帛の気合と共に、空気が震えた。
次の瞬間――視界を焼き尽くさんと迫っていた赤い矢が、横合いから奔った蒼白の閃光によって真っ二つに断ち切られる。
水。
それは刃の形を成した高密度の水流だった。極限まで圧縮された水の刃が、魔力の矢を真正面から叩き斬ったのだ。
「ッ!?」
破裂音にも似た衝撃が耳を打ち、霧散した魔力が細かな光となって宙に散る。
――助かった。
理解したのは、赤い光が完全に消え去ってからだった。
気が付けば、マヒロが自分の前に立っている。
いつの間に抜いたのか、魔剣・魔妖の刀身が淡く輝いていた。
ほんの一瞬でも彼女の判断が遅れていれば――
(……間違いなく、死んでた)
背筋を冷たい汗が伝う。
膝が笑いそうになるのを必死に堪えた。
「間一髪のところでござったな」
振り返らず、マヒロが静かに言う。
その声には焦りがない。
だが、普段より低く、鋼のように引き締まっていた。
完全に戦闘の声だ。
「……わりぃ、マヒロ」
絞り出すように礼を告げる。
しかし彼女は小さく頷くだけで、それ以上は応じない。
意識のすべてを、目の前の男へ向けている。
刀を構える姿勢に無駄がない。
一歩踏み込めば斬れる距離を保ちながらも、決して前には出ない。
――強い。
改めてそう思う。
だが同時に、その彼女がこれほど警戒している相手の異常さを、嫌でも思い知らされる。
「ほお?」
感嘆の声を漏らしたのは、攻撃を放った男だった。
「その刀……魔剣か」
赤い瞳が、魔妖を舐めるように観察する。
「なるほどな。あやつが敗北を喫したのも、少しは納得がいく」
あやつ――おそらく銀鏡の翼龍のことだろう。
「……お主、何者でござるか?」
マヒロが低く問いかける。
視線は一瞬たりとも逸らさない。
刀の切っ先も、微動だにしない。
先程の一撃で、彼女は完全に理解したのだろう。
この男が、交渉の余地すら怪しい危険存在であると。
だが――
男はその敵意を気にした様子すらなかった。
むしろ、どこか愉快そうに口元を歪める。
「ふむ」
顎に手を当て、値踏みするようにマヒロを見た。
「先程の見事な剣裁き……称賛に値する」
まるで主君が臣下を褒めるような口調だった。
「褒美として、名乗っておこう。光栄に思うがいい」
(……なんだこいつ)
偉そう、などという次元ではない。
もっと根本的な何かが違う。
対等に会話している感覚が、まるでないのだ。
その瞬間。
男の背後で、魔力がゆらりと揺れた。
血のように濃い赤。
だが禍々しさ一辺倒ではない。
どこか気品すら漂わせる、異様に洗練された魔力。
空気が重く沈み、呼吸が浅くなる。
本能が警鐘を鳴らす。
――格が違う。
生物としての位階が、明確に上だ。
そして男は、芝居がかった動作で片手を広げた。
「我が名は――ブラッディ・ブラム」
一拍。
まるで世界にその名を刻み込むかのように、ゆっくりと言葉を落とす。
「誇り高き吸血鬼族である!」




