第10章ー3
「皆、そのままでいい。身体を起こさなくて構わないから、耳だけはこちらへ向けてくれ」
結界の内側。淡い光に満たされた空間で、ソンジさんが静かに語り出した。
外では未だ氷の大地が静かに軋み、冷気の名残が微かに漂っている。完全に暖かいとは言えないが、彼女が張った魔力結界のおかげで、凍えるほどではなかった。
全員が限界に近い。
横になったまま壁にもたれる者、目を閉じて息を整える者。
それでも、彼女の声には誰もが自然と意識を向けていた。
「現状の確認と、これからの行動について話そう。動けるようになってから考えるより、今ここで方向を定めておいた方がいい」
疲労で思考が鈍っていても、先を見据える冷静さは失われていない。
さすがは迷宮経験者――その判断は的確だった。
「ざっと計算したところ、今いる地点は、落下地点からおよそ一キロ下層だ」
「よくそこまで把握できましたね」
「落下速度と着地までの時間を思い出して逆算しただけさ。正確とは言い難いけど、大きくは外れていないはずだよ」
「じゃあ、その距離を私が運べばいいってことですね?」
ミオが小さく手を挙げる。
まだ顔色は優れないが、瞳にははっきりとした意志が宿っていた。
「そうなる。ミオ君、魔力が全快した場合、どれくらい持ちそうかな?」
「正確な測定はしたことがないですけど……魔力が満タンなら、問題なく運べると思います」
「了解だ。ありがとう」
「では、ミオ殿の回復を待ち、出立するでござるな?」
「うん。その方向で考えてる。ただ――問題はその先なんだ」
空気がわずかに重くなる。
『……魔物、ですね』
自分が呟いた言葉に、ソンジさんが黙って頷いた。
「そう。上へ向かうには、あの群れをどう突破するかを考えなければならない」
「それなら拙者の出番でござる!」
マヒロが勢いよく立ち上がる。
「拙者にはまだ余力がある。未知を切り拓くのが剣士の務め! 魔物の十や百、斬り伏せてみせよう!!」
「いや、さすがに数が……」
「問題ござらん! 信じてくだされ!」
「いや、その……そういう意味じゃなくてね」
ソンジさんは困ったように笑いながらも、その目は真剣だった。
「君の実力を疑っているわけじゃない。だが、仲間の体力と魔力の消耗を考えると、無理な戦闘は避けたい。それが全体の生存率を最も高める」
その言葉に、マヒロは悔しそうに唇を噛む。
「……むぅ」
沈黙が流れる。
自分もまた、その会話を聞きながら内心で同じ不安を抱えていた。
魔物の群れ。
あの圧倒的な数。
今は冷気が消えているとはいえ、時間が経てば再び集結している可能性が高い。
そして――自分自身の身体。
ミオの治癒で致命傷は癒えている。
だが、腕にはまだ痺れが残り、剣を握ると違和感が走る。
無理に戦えば、再びあの死線に立てる保証はない。
「他の皆の消耗を考えると、戦闘は極力避ける。それが最善だ。……君もそう思うだろう? サダメ君」
不意に名前を呼ばれ、わずかに息を呑む。
「……そう、ですね」
否定できる理由はなかった。
「よし。それじゃ方針は決まりだ」
ソンジさんは指を立ててまとめる。
「第一に、ミオ君の魔力が回復するまでここで休憩。
第二に、その間に外部から救助が来る可能性にも期待する。
第三に、救助が来なければ、回復次第こちらから上へ向かう」
『下手に動くよりは、生存率が高い選択……ということですね』
「うん。騎士団が異変に気づいていれば、すでに調査隊が動いているはずだ。案外、早く辿り着いてくれるかもしれない。三番目の選択肢は最悪の場合、ってところだね」
確かに。
銀鏡の翼龍が消え、迷宮の冷気が収まった異変。
外がそれに気づかないはずがない。
――そうであってほしい。
わずかな希望に縋るしかない状況。
こうして結局、ミオの回復を待ちながら、救助の可能性にも賭けるという結論に落ち着いた。
動かないことは不安を増幅させる。
だが、無謀に動くよりは遥かに賢明だ。
結界の柔らかな光の中で、
自分たちはしばしの休息へと身を委ねる。
再び歩き出すその時まで――
生き延びるために。




