第9章ー89
下へ、下へ。
ただひたすら、闇の奥へと。
銀鏡の翼龍は、崩れかけた大地を砕きながら、地下へと降り続けた。
道中、人類の追撃が容赦なく降り注ぐ。結界越しの魔法、狙い澄ました術式、岩壁を穿つ攻撃。逃走の合間に何度もその身を打たれ、巨体はさらに傷を増していく。
通路は歪で、時には身体を捻じ込まなければ通れぬほど狭く、時には崩落寸前の岩盤が行く手を阻んだ。
それでも、止まることは許されない。
――逃げろ。
――生きるために。
だが、それでもなお、人類は追ってくる。
どれほど深く潜ろうと、決して諦めない。
まるでこちらの思考を読んでいるかのように、最短距離を選び、退路を潰し、逃げ場を削っていく。
――くそ……。
怒りよりも先に、焦燥が込み上げる。
――油断さえ、しなければ……。
逃げながら、彼は自らの慢心を噛み締める。
これまで相手にしてきた人類とは、明らかに違う。
故郷で蹂躙した者たちは、ただ恐怖に支配された群れだった。
だが、この国の人類は違う。
空気に満ちる魔力の質。
それに適応し、研ぎ澄まされた魔法技術。
彼らは、この地で生き抜くために、確実に“進化”していた。
――この国の魔法は……異常だ。
結界の完成度、連携の速さ、攻撃の精度。
どれを取っても、他の土地の人類とは比較にならない。
知らず知らずのうちに、彼は“狩られる側”へと追い込まれていた。
――……もう、ダメだ。
逃走を続ける中で、限界を悟る。
体内は、未だに火球の熱が残り、魔力の流れが乱れている。
百夜の咆哮は完全に封じられ、再使用は不可能。
そして――
とうとう、行き止まりへと辿り着いてしまった。
巨大な空洞の最奥。
これ以上、下へは進めない。
荒い呼吸を繰り返しながら、彼は真上を見上げる。
岩壁の向こうから、微かに人類の気配が伝わってくる。
――見つかるな……。
ほんの僅かな期待を抱く。
このまま気づかれず、やり過ごせれば――。
だが、その願いは、あまりにも脆かった。
すぐに、視線が集まる。
魔力の反応が、彼の存在を暴き出す。
――……ここまでか。
完全に追い詰められた。
もはや、逃げ場はない。
数人の人類が、止めを刺すべく、魔法を展開しながら降りてくるのが見える。
――……まだ、死にたく、ない。
喉の奥から、掠れた思考が零れる。
――こんなところで、終わってたまるものか……。
それは、誇りではなかった。
支配欲でもなかった。
ただの、生への執着。
最後の抵抗として、彼は残された力を振り絞る。
自らの吐息で、己の身体を――凍らせる。
氷の吐息が、彼自身を包み込み、周囲の空気を凍結させる。
さらに、その氷を足場として、上へ、上へと積み上げていく。
逃げてきた通路を塞ぐように。
誰も近づけぬように。
巨大な氷の塔が、瞬く間に築き上げられた。
それは、守りであり、檻であり、墓標でもあった。
銀鏡の翼龍は、洞穴の最奥で、己の作り出した氷に囚われながら、静かに身を横たえる。
深い闇の中で。
人類の世界から隔絶された場所で。
長い、長い眠りにつくために。
――いつか、再び目覚める日を、夢見ながら。




