第9章ー84
「……スゥゥゥゥゥ、ハァァァァ」
ゆっくりと深呼吸を重ねる。
右手はとっくに限界を迎え、痺れと緊張で小刻みに震えていた。まるで武者震いのようだ。だが、その手を背後からマヒロがしっかりと支えてくれているおかげで、かろうじて制御できている。
――不思議だ。
極限の戦場にいるはずなのに、彼女が側にいるだけで、胸の奥が静かに落ち着いていく。
恐怖が消えるわけではない。それでも、「大丈夫だ」と思えてしまう。
「爆ぜる焔よ」
再び深く息を吸い、意識を集中させる。
そして、静かに、しかし確かな意志を込めて魔法の詠唱を始めた。
無論、狙うのは最大火力の火球。
だが、ただ力を込めればいいわけではない。そのまま全力で形成すれば、巨大な火球が出来上がり、完成する前にこの空洞そのものを崩しかねない。
――それでは意味がない。
イメージするのは、サイズを極限まで圧縮した火球。
自分の手より一回り大きい程度。それでいて、威力は限界まで高める。
「火の球として聚合し」
詠唱と同時に、右手の前方に焔が集束していく。
暴れがちな魔力を慎重に制御し、余計な膨張を抑え込む。
――できた。
狙い通りのサイズ。視界を妨げることもなく、魔力密度は極めて高い。
下手に触れれば、こちらが先に吹き飛びかねないほどの圧を秘めている。
だが、問題はそこではない。
このまま撃っても、銀鏡の翼龍の硬質な鱗に直撃させただけでは、確実に仕留められるかは怪しい。
だからこそ、待つ必要があった。
「眼前に現れし標的に、猛る一投を撃ちかけん」
詠唱が、終盤へと差しかかる。
意識はすでに、目の前の巨大な敵の動きだけに集中していた。
――狙いどころは、必ず来る。
その瞬間を見逃さないために、あえて火球のサイズを抑え、発射までの猶予を残した。
――――――――――!!!
自分の準備が整った、その瞬間だった。
銀鏡の翼龍が、大きく動き出す。
巨体を軋ませながらこちらに向き直り、口を大きく開いた。
「……来たな」
翼龍の口元に、白く冷たい気配が渦巻く。
あのときのような光の攻撃ではない。
――氷結。
昔話で語られていた、空洞全体を凍てつかせるあの力だ。
この場を氷で封じ、再び空洞に閉じこもり、時間をかけて傷を癒すつもりなのだろう。
――させるか。
そんな余裕を与えれば、次に待つのは確実な全滅だ。
準備を続けながら、ふと、過去に聞いた昔話が脳裏をよぎる。
たしか――銀鏡の翼龍は、勇者の放った特大火球によって、口腔に致命的な大火傷を負った、と。
ならば。
狙うべきは、やつが攻撃を放とうとする瞬間。
すなわち、口を最大限に開いた、その一瞬。
――――――――――!!!!!
翼龍の咆哮が、再び空洞を震わせる。
冷気が限界まで凝縮され、放たれようとした、その刹那。
「――【火球】ゥゥゥ!!!!!」
叫びと共に、右手を突き出す。
マヒロが背後で、さらに力を込めて支えるのが分かった。
圧縮された焔が、解き放たれる――。




