第八話 友人の頼み事
笛の鳴る音共にグランドに土煙が僅かに舞う。ジリジリと太陽の光が皮膚を焼きつけ、ぬるいそよ風が肌を伝い、唇がゆっくりと乾いていくのを走りながら実感していく。さながらケバブになった気分だ。
こうなることなら運動して多少鍛えておいた方がよかったかもしれない。といっても俺は根っからの帰宅部なので三日三晩が関の山だ。家や図書室で本を読んで勉強することが性に合っている。
「月欠、気になる子でもいるのか?」
聞き覚えのある声がして俺は隣に視線を移すと彼は爽やかな笑みで俺を見ていた。
「なんだよ、遠嶋」
遠嶋拓未──中学の頃から顔見知りの数少ない友人。やや茶髪気味なショートヘアにスマイルをすれば黄色い声援が飛んできそうな美男子だ。そんなスマイルに俺は前を視界端に捉えて前を向いた。
「月欠が女子の方を見るの珍しくてね」
遠嶋の視線先に向こう側のグランドでボールを投げ合う女子達がお互いに敵チームを睨み合っていた。
「別に男ならたまに見るくらいするだろ」
「そうかもね。でもずっと見てるのは月欠にしては珍しくない?」
「お前、俺のこと見すぎだろ」
「はは、クラスが別だから月欠の顔が恋しくなったのかな」
「俺はお前に童貞を捧げる気はない」
「いやだな〜僕は博愛主義なだけだよ」
「博愛主義でも男にまで恋愛対象広げないで くれ」
遠嶋は不敵な笑みを浮かべて瞳を俺に向ける。その瞳に俺は背筋に悪寒がゾワッと広がって横に距離をとった。
「冗談だよ。恋愛対象は女子にしかないから」
俺は目を細めて距離を元の位置までに戻すと遠嶋は何か思い出したように目を見開いた。
「あ、月欠は彼女がいるよね」
「唐突だな。それがどうしたっていうんだ?」
「いや、彼女を見るんだったら辻褄が合うんだけど、月欠の彼女はクラスが違うからあそこにいないはずなんだ」
遠嶋は視線で女子達に指す。
「もしかして浮気でもするつもり?」
「しないしない。彼女に誓って遠嶋に誓って神様に誓ってぜってーしない」
「神様が三番目……ふふ。まぁそれよりどうして見るんだい?」
「……周りに人がいない距離まで離れよう」
「了解。少しペースを下げようか」
先頭集団と最後尾の真ん中からちょい下くらいまで距離をとる。息を整えて途中で途切れないように少し深く息を吸う。
「白崎唯。遠嶋ならすぐに分かるだろ?」
「ああ、あのマドンナの子ね。確か最近彼氏ができたってもっぱら噂になってたのを小耳に挟んだよ」
「実はそれで色々とあってだな」
「ああ、月欠が絡んでるってことは面倒事だね」
「まぁな。それで茅野に白崎がある事をしでかさないように見ててほしいと頼んだんだが、やっぱり大丈夫か心配なんだ」
「心配症だね。まぁその案件に深く突っ込んだらいけないんだろうけど」
「……すまん。こっち側に巻き込んだらいけないと思ってな」
「気にしなくていいよ。僕はそれを患ったことないけど、君が手を貸せっていったら回転寿司の奢りで協力を惜しまないよ」
「そこは喜んで協力するよって言ってくれたらかっこよかったんだけどな」
「タダ働きはしたくない主義なので」
遠目で茅野と白崎が並んでボールの奪い合いをしている。たぶん敵同士なのだろう。茅野は一度スイッチが入ると目的を忘れて試合に夢中になることがよくある。いうなれば狂戦士状態。理性なき化け物茅野を倒すため勇者白崎はたった一人で挑み楽園を目指す物語に乞うご期待だ。
「そういえば彼女とどこまでした?」
突然、遠嶋が変なことを言い出して頭が一瞬真っ白になった。
「……別に普通だ」
「恋愛ABCでいうと?」
「…………」
「まさか手を繋いだことすらない?」
「……二週間後にデートする約束はしたぞ」
「それって流れでそうなった感じじゃないかな? 彼女に言われて月欠はそうせざるを得なくなった、そんなところじゃない?」
「エスパーかお前は。そうだよ。彼女に私と怪奇症どっちが大事なのって言われて、お詫びにデートで何とか納得してくれた感じだよ」
あの時の彼女はマジな目だった。もしあのままデートと言わなかったら俺は彼女のお手製フルコースメニューを全部制覇するところだった。
「怪奇症? なんだいそれ」
「ああ、すまん説明してなかった。諺の病気から俗称が変わって怪奇症になったんだ」
「いい俗称だね。もしかして純白を纏い詩を詠う徒桜の乙女かな?」
「知らないな。白銀の腹黒鬼畜乙女なら知ってるが」
遠嶋は嬉しそうに高笑いをして前を向いた。
「あはは、僕も一度会ってみたいな」
「お前はそういうの好きだよな。だがあいつは怪奇症を患ってないと姿を現さないんだよ」
「でも君は例外だろう? だって諺の……ああ、怪奇症だったね。その怪奇症が治っても君は白銀の乙女に会っている」
「まだ完全には治ってないんだ。それが治ったらたぶん姿を現さなくなると思う」
「そうかな? 白銀の乙女は月欠に興味があったりするんじゃないの?」
「あいつが? ないない。怪奇症と俺に悪戯することしか興味がない奴だぞ」
「月欠は妙に勘が鋭いのに恋愛絡みになると途端に鈍感になるよね」
「あいつが俺に好意を抱いていると? それは道端で宇宙人に遭遇してそいつから好きです結婚してください、はい結婚しましょうってくらいありえないぞ」
「ははは、そのシチュエーション見てみたいな」
先頭集団がゴールにつくと走るのをやめて荒い息を吐き続ける。俺達もゴールにつき、息を吸って吐いてを繰り返す。
「月欠、色々と大変だろうけど応援してるよ」
「何をだよ」
遠嶋のスマイルに何か意味ありげな感じがしたが、軽い疲労と汗のベタつきでそれに思考が回らなかった。
◆◆◆◆
昼休みという名の食事時に彼女から弁当をあーんしてもらいたい。
そんな夢みたいなシチュエーションが現実に起こればなと思うが、いまは教室で購買で買ったパンを食べながら白崎の動向を監視しなければいけない。
……いや、監視しなくとも茅野が白崎と取り巻き達と閑話している時点で俺の役目はないのかもしれないが。
「まじ? これめちゃカワじゃん」
「うん、他にもこういうのあってさ」
「あーし推せるわ〜。唯もそう思うしょ?」
「私も犬が好きだからそうかも」
「唯は犬好きだもんね。あ、これ私のおすすめ動画だよ」
彼女達の会話はあまりにも眩しい。華やかな薔薇に更に一輪加えることによって薔薇色がさらに強烈になる。
(俺、茅野に体育だけ見てくれって頼んだよな)
茅野は俗にいうスクールカーストの一軍呼ばれる人種だ。他にも友達がいるのにこうして白崎達と話して人間関係は大丈夫だろうか。
俺は視線を茅野に向けると彼女はそれに気づいて自信満々げに鼻息をつく。
────私に任せろ。
そう言いたげにドヤ顔してみせた。
「あれじゃあ月欠が入る余地ないね」
俺は隣に座る遠嶋を横目に見る。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「友人と食事するのに理由必要?」
「いや、別にいいんだけどさ。その席、勝手に座っていいのかと」
「それならちゃんと許可はとってある。僕の親友と食事がしたいってね」
「そうか。じゃあ俺は彼女に会いに行ってくる」
席を立って彼女のいる教室へと向かおうとすると、遠嶋は俺の腕を掴んだ。
「まぁ待って。焼きそばパンの麺一本あげるから」
「引き留め材料にしては安すぎない?」
「うーんなら三本でどう?」
「一本も三本も変わらないと思うが」
「よし、なら五本だ。五本で手を打とうじゃないか」
「闇商売っぽく言われてもただの麺だからな」
俺はため息をついて席に戻り、カレーパンの包装を外して一口噛みしめる。
「それで何か話でもあるのか?」
「うーん、話というか愚痴かな」
遠嶋は視線を上に向けて語り出す。
「今年の生徒会長は誰になるのかなって」
「そういえばもうそんな時期か」
白守高校の生徒会選挙は十月の中旬くらいにある。立候補した会長と副会長の二人を決めて、当選した会長と副会長が他の役員を決める形式だ。そのため年によって役員の人数が変動することもしばしばある。
「今期の会長は生徒会の中から選ばれる気がしてね」
「どうしてそう思う?」
「だって今の生徒会は類に見ない優秀な人材ばかりって聞くよ? 彼女達のおかげで今年の学校行事など滞りなく進んでるし」
遠嶋の言う通り現生徒会のスペックが色々と凄すぎるというのは大半の生徒達が知っている。もちろん俺もそれはよく知っていた。
「会長の栗宮奈子、副会長の笹風舞花は二年生の中で二大美女と呼ばれる美少女だし、そこに一年のマドンナの白崎さんがいて、生徒会はいつから美少女の集う会になったんだって囁かれてるからね」
生徒会の女性陣は容姿と実務のハイスペックさに後ずさりすることだろう。聞いた話によれば彼女達の実務を見て泡を吹いて倒れてしまった生徒が何人かいたらしい。
「無理もない。今の生徒会は美少女揃い生徒会として有名になってるからな」
「そこなんだよね。僕としては普通の生徒会としてあるべきだと思うのに皆んな噂話を立てるせいで苦労が増える一方だよ」
俺は視線を遠嶋に移して少し口元を緩める。
「そういえば生徒会の中に男子が一人いたよな」
遠嶋は遠い目でため息をついた。
「安請け合いするんじゃなかったと後悔してるよ。まさかあんな化け物達の巣窟だと思いもしなかった」
美少女達を化け物と呼ぶとは遠嶋はなかなかに肝が据わっている。誰かに聞かれてないか周りを見るが、各々自分達の話に夢中みたいで聞いてなさそうだった。
「元会長からの頼みじゃなきゃ断るってお前はよく言ってたな」
「そうだね。あの人には色々と世話になったから少しでも恩を返したくて頑張ったんだけど、今はなんというか……過去の人みたいな?」
「その気持ちよく分かるぞ。今まで凄いと思っていた奴が本性現して嘘だろってそういう感じよーーく理解できる」
「やっぱり月欠は分かってくれて嬉しいよ。それで今日の授業が終わったら手伝ってほしいことがあって」
「さてはそれが本命だな?」
「バレたか。流れに任せて言ってくれると思ったのに」
「バレバレだ。詐欺師の試験があったらとっくに落ちてるぞ」
「詐欺師の素質ないみたいでちょっと残念」
「ならなくていいぞあんなの」
俺は白崎達をチラッと見て視線を遠嶋に移す。
「悪いがいま手伝いは無理だ。白崎が嘘をつかないか監視しないといけない」
「ふーん、それなら白崎さんも連れてこれば問題ないよね?」
「いや、まぁそうだが……」
「なら白崎さんも一緒に手伝ってもらえば万事解決だね」
「白崎に手伝いを頼むの無謀じゃないか?」
「そうでもないよ。生徒会の役員なら断りづらい手伝いだからね」
遠嶋はそう言って白崎達のグループに話しかける。白崎は目を見開いて驚いていたが、何かブツブツと話したあと遠嶋は嬉しそうにこっちに戻ってくる。
「おけーだって」
「……どんな手伝いなんだ?」
遠嶋はにっこりと口元に弧を描いて口にする。
「生徒会室の備品整理だよ」