第六話 彼女と協力者
「ただいま」
気の抜けた声で俺は靴を脱いで階段を上る。扉を開けて自室へ入り、ベッドに身を預けた。
「疲れたぁ〜」
どっと精神的疲労が全身に行き渡る。
「なんだってこんなことに」
発端は俺にあるのだが、流石にここまで疲れるとは思わなかった。もし明日もこうなると思うと気力が…………
ピコン。スマホから通知音が鳴って俺は横になりながらスマホの画面を見た。
『こんばんは。白崎さんの彼氏は上手くやれてるかしら?』
俺は通知をタッチし、メールアプリを開いてすぐに返信する。
『彼氏じゃなくてサポーターな』
すると返信が返ってくる。どうやらトーク画面をずっと見ているようで、俺は上半身を起こした。
『サポーターから彼氏に昇格する可能性だってあるかもしれないわ』
『俺はお前に惚れ続けるといったのに?』
『可能性の話。陟が私以外の女を好きになることはありえないと思っているけど、万が一、陟が他の子に乗り換えようものなら治療であっても全力で阻止するわよ?』
『それで俺の努力が無駄になるのは勘弁してほしいな』
『そこは分かってるわよ。ちゃんと数十メートル離れて陰ながら見守ってるから』
『ストーカーすれすれの行為じゃねぇか』
『失礼ね。彼氏のことが気になってつい目で追っちゃって後ろをついていく彼女のどこがストーカーだと思うのかしら?』
『うん、今言ったこと全部だよ。好きなのはお互い様だけど少し自重しような』
『しないわ。私の愛は陟にしか受け止められないもの』
『うぐっ。それは受け止めないと男が廃るな』
少し時間が経ってからトークに既読がついて彼女の返信がくる。
『ごめんなさい。クルミが変なところに入って出られなくなったから助けてたわ』
『別に気にしなくていいぞ。というかお宅の猫は狭いところに入りたがるよな』
『そうね。特に私の胸元が好きみたい』
『羨ましいぞこんちくしょうめ』
『陟が土下座で頼めば見せて上げなくもないわよ?』
俺は床に額をつけて全身全霊の土下座の写真を自撮りして送った。
すると全身毛むくじゃらの写真が返ってくる。
『クルミの貴重な胸元よ』
『毛しか写ってねぇ!』
『ちゃんとあるわよ。ほらここに』
赤いマークをつけた写真が送られてきて、それに注視すると薄らとピンク色が映っていた。
『猫の胸みても欲情なんてできねんだわ』
『世界には猫と結婚した人もいるわよ』
『愛って人それぞれだと思います』
『私の愛なら絶賛発売中よ(陟限定)』
『言い値で買おう。代金は俺が支払えるもので』
『ならあの件引き受けてくれるかしら? もちろんご褒美もつけるわ』
俺は天井を見て少し考えをまとめる。
『分かった。だが白崎の怪奇症が治ってからにしてくれ』
『分かったわ。それじゃあ私はやる事があるからまた後日に。それとデートの約束忘れないでよ? あと白崎さん、結構可愛いから浮気とかしちゃだめよ?』
『家まで聞こえるくらいに全力で愛を叫んでもいいぞ』
『嬉しいけどそれは恥ずかしいからやめて』
そこから数十分トークをしたあと話を終える。あとはご飯を食べて風呂に入って歯磨きして宿題して……ベッドについた。
しかし、眠りを妨げるように通知音が鳴る。
『夜分遅くごめんなさい。明日の件について相談がしたいのだけど』
俺はその名前を見て誰なのかすぐに分かった。アプリを開き、なるべく早く返信する。
『なんだ。白崎』
どうして白崎が俺のアドレスを知っているのか、今朝聞いたら1ーBクラスグループから探したそうだ。俺はそのまま月欠の名前を使っているからすぐに分かったらしい。一応間違いがないか知り合いにも確認したそうだ。
『怪奇症で相談事。ちょっと困ったことがあって』
『まさか嘘を言ったのか?』
『いいえ。明日の授業でどうしても懸念点があるの』
『懸念点? 何かあったか?』
『二限目に体育があるでしょ? そのときに男女別だからたぶん月欠くんのサポートを受けれないと思うの』
体育……ああそうか。白守高校の体育は男女別だったことを見落としていた。白守高校は元々男子高校だったこともあって、男子の方が多い。といっても今はクラス全部合わせて十人程度多いくらいなのでそこまで気にならないのだが、昔、女子が少なかったことがあって他のクラスと合同していたらしい。その名残りか今でも1ーAは1ーBと、1ーCは1ーDという感じで合同している。
『もちろん私が嘘を口にしなければ大丈夫なんだけど』
顔は見えないが、白崎が心配な雰囲気が伝わってくる。俺は眉をひそめてひとつ提案を述べた。
『迷惑でなければ協力者を呼べるが』
『それってあなたの彼女?』
『いいや、時間割が違うから無理だと思う』
少し間が空いてから返信が返ってくる。
『じゃあ誰? 出来れば無粋じゃない人がいいんだけど』
『そこは大丈夫だ。ちゃんと初対面の相手は距離を弁えるし、話してて楽しい奴だ』
『分かったわ。それでどこで落ち合うの?』
『今朝やらかした十字路でいいか?』
『遅れたらローリングソバットの刑ね』
『名前からしてぜってえ痛いやつやん』
俺は折り合いをつけてから協力者にメールを送った。断られるかも思ったが、それは杞憂に終わり協力者からOKの返事をもらってタイマーをセットしてから眠りについた。
◆◆◆◆
僅かな眠気に誘われながら俺は上半身を起こす。アラーム音を止めて時計を見ると七時丁度だ。俺は一階へ下りてリビングに行き、母さんが作った朝食を食べて自室へと戻る。
身支度を整えたあと普段通りに家を出る。
陽光を遮る雲ひとつない青空に運動日和な一日であることに変わりない。
やや狭い路側帯を歩き、乾いたアスファルトにコツコツと靴の音が小さく響く。
代わり映えのしない風景だが、待ち合わせの十字路に着くと全く別の風景へと変わった。
「おはよ、白崎」
白崎は普段通りの立ち振る舞いで俺を見る。
「今日は寝坊しなかったみたいね、月欠くん」
「あれはたまたまだ。もう二度とあんなヘマはしない」
尻が四つに割れるのは勘弁だ。もしまた同じ事か起こりそうなら目覚まし時計二つ買って磐石にするのも悪くない。
白崎は辺りを見渡して視線を戻す。
「月欠くんが言っていた協力者は?」
「……おかしいな。あいつなら」
するとバイクが走るような騒音がこっちに近づいてきて俺達はそっちに目を向ける。
「かーやーのーがーきーたー!!!」
MTBに乗った少女が横滑りに甲高い音を鳴らして目の前に止まる。少女は道路の端にMTBを止めて喜びを体全身使って大雑把に動かす。
「友達の頼みとあらば地の果てまで! 茅野道香ここに見参!」
ボーイッシュなボブヘアに薄い青黒の髪にやや日焼けした薄茶色の肌に汗が下へと伝っていく。
いかにもスポーツ少女とひと目でわかる見た目をしており、またどこか可憐な雰囲気も漂わせる顔立ちのスポーツ美少女──茅野道香は目をキラキラとさせグッと俺との距離を縮める。
「ちっす! つきっち、夏祭り以来だね!」
「相変わらずお前は元気だな」
俺は触らないよう茅野を押しのける。茅野は「あ、ごめごめ」と口にして一歩後ろに下がって距離を置き、爽やかな笑顔で口を開く。
「元気は私の合言葉みたいなものだからね!」
「それなら名前を道香から元気に変えたらどうだ?」
「おお! でも遠慮しとこうかな。この名前いまは凄く気に入ってるから」
「そうか。ならしっかり大切にしろよ」
「うん! 死んでもこの名前だけは守るよ!」
「どこの武将だよ」
俺はツッコミを入れると茅野は自信満々に小山程度しかない胸を張る。茅野は息つく間もなく視線を白崎へ向けた。
「彼女が怪奇症を発症した白崎唯さん?」
「そうだ。詳細は歩きながらはな……」
「めっちゃ可愛いじゃん! どうやって体型維持してるの!? やっぱり食生活気に気を使ってるの!?」
茅野は白崎の至るところを見回す。
「あ、ごめんなさい。つい可愛い子を見ると、どうやって体つくりしてるのか気になって口が先走っちゃうんだ」
茅野は手を合わせて頭を下げる。
「い、いえ。気にしてないから」
白崎は作り笑いをして俺の方に目を向ける。
俺は茅野の方に手を向けて口を開く。
「彼女は一年A組の茅野道香。バスケ部に所属していて、次期エースとして期待されているほど体力の化け物だ。そして毎日MTBに乗って町内一周してから学校に来ている」
「つきっち違うよ! いつも二周してから来てるよ!」
「訂正。彼女は化け物でなく人類を超越した存在でした」
「崇め奉りたまえ人類!」
茅野は奇妙なポーズをとって深く鼻息を吐く。
「それでつきっち! 私はこれから何をすればよろしいですか!」
「うん、まずは声のボリュームから下げようか。それから詳細を話すから」
「了解! 指揮官に従う所存であります!」
「最速で裏切り行為働いてるぞお前」
……人選ミスったかもしれない。今からでもいいので、タイムマシーンを持っている人がいるなら譲ってください。
「……本当に大丈夫?」
白崎が神妙な顔でこちらを見てくる。
「いやまぁ……悪い奴じゃないから大丈夫……たぶん」
後悔という二文字が頭の中で漂う中、俺達は白守高校へと向かった。