第五話 人の口に鉄の戸を立てよ
帰りのホームルームが終わり、下校時間になる。長い長い本当に長い一日だった。そう言ってしまうほど俺は一年クラスの男共から散々聞かれた。
「なぁ月欠。白崎さんに彼氏がいるのは本当なのか?」
「ああ、本当だよ」
「いったい誰なんだよ。あのマドンナのハートを射抜いた奴は」
実際はいないんだがな。でもこうして俺に嫉妬を向けられてないだけありがたい。
ちなみにだがクラスの奴らとはそれとなく仲はいい。日頃の行いのおかげであの嘘が通ったのも本当に幸いだった。
「残念だが白崎さんに口止めされてる。もし知りたかったら本人に聞けばいい」
「クラスのマドンナを前にすると緊張で声が出ないんだよぉおお!」
このやり取り何度目だろうか。あの発言は瞬く間にクラスに広まり、それを聞いた男達が俺に尋ねては彼氏はお前か、誰だと何度も聞いてきて、最終的に膝をついて頭を垂れる。なんだか可哀想に思うが今はまだ耐え凌んでほしい。
俺は白崎の方に視線を向けると取り巻き三人と白崎が普段通りに喋っていた。
「唯の彼氏はどんな人? やっぱりイケメンだったりするの?」
「変わり者ではあるけど普通だと思うわ」
「写真とかないの〜?」
「ごめん。最近知り合ったばっかりだから写真がないの」
「なら次会った時に私に先行公開して」
「抜け駆けするの納得いかないんですけど〜」
「じゃあ私達のグループで先行公開でいいんじゃない?」
「あーし賛成」
「唯の許可とってからにしようよ。ね、唯?」
「うーん、気が向いたらね」
「ならあーしは唯の機嫌取り頑張るわ〜」
「それ唯がお姫様みたいじゃん」
「唯はめっちゃ可愛いし、頭もいいし、性格もいいから実質私達のお姫様っしょ」
「「確かに」」
取り巻き達と白崎は口元をほころばせる。
一人で喋ってしまえば真実になるのではと思われるかもしれないが、嘘でなければ別段普段通りに喋って問題ない。あくまで嘘を真実にする怪奇症だ。ただ何かあった時にこうして注意深く聞いてはいるが。
すると白崎がチラッとこちらを見たあと何か女子に話して一人で教室から出ていく。
「すまん。用事あるから帰るわ」
「待ってくれぇぇえ!! 俺の失恋を癒してくれぇぇえ!!」
悪いが神父でもマザーテレサでもないからどうすることも出来ない。コーラでも飲んでリラックスして時間の流れに身を任せてくれ。
俺はササッと逃げるように教室から出て昇降口へ向かう。上靴から革靴に変えて小走りに学校を出る。途中ある後ろ姿を見つけて声をかける。
「白崎、忘れ物あるぞ」
艶やなか黒髪がふわりとはためき、見返り美人を彷彿とさせる横顔に胸にドクンと脈を打つこと間違いなし。だが、俺には彼女がいる。彼女以外にときめくのが難しいお年頃になってしまっているのだ。
「忘れ物ってどんなの?」
「俺だよ。俺」
「あら、ごめんなさい。あまりに小さくて見えなかったわ」
「背丈は俺の方が高いんだが」
すると脚に鈍い痛みが走る。まるで蜂に刺されたような痛みで思わずしゃがみこんだ。
「私の方が背が高いわね」
「き、貴様。儂を誰だと思っておる」
「遅刻変態スケベ猿」
「俺は健全な男子高校生だ!」
「健全な男子高校生なら性欲も高いんじゃないの?」
「うぐ、否定できぬ……」
人間の三大欲求に抗えない。特に性欲は他の二大欲求より強く膨れ上がっているのだ。
白崎はため息をついたあと俺の方を見る。
「それで、なんの用?」
「あ、ああ。今朝の釈明の続きをしないと思ってな」
俺は立ち上がり、白崎と横に並んで歩いていく。
「釈明? ……ああ、あなたの彼女のことね」
「そうそう。彼女にお手製料理を食べさせられて」
「惚気話なら帰るわよ」
「違うんだって。彼女の手料理は胃にダイレクトに攻撃してくるんだって」
「彼女の料理は不味いと?」
「ま、不味くはないぞ。ただ下の口がずっと開きっぱなしになるだけだ」
「下世話な話するんだったらもう一回蹴るわよ?」
「や、優しくお願いします」
ふん、と猛烈な勢いで白崎のローキックが俺の尻に直撃する。あまりの激痛に俺は道半ばで悶絶して転げ回った。通行人がいたら間違いなく痴話喧嘩でもしてんのかと思われるだろう。
「姉貴、マジやばいっす」
「そう? これでも本気じゃないんだけど」
なんだと。まだ第二形態が残っているというのか。もし本気で蹴られていたら今頃俺の体は四肢五体もげ爆発四散していたということか!?
「何考えてるか分からないけど、歩くわよ。こういうの見られたくないし」
「うっす」
俺はヒリヒリする尻を擦りながら立ち上がって歩き出す。
「まぁこれであいつの言う通り白崎に彼氏がいる事実は作ったわけだ」
銀髪彼女の悪戯は俺と俺の彼女との間に修羅場を作ろうとしていたことだ。前に言っていた「騙されたと思って」なんて聞こえのいい言葉は本当に騙す意味で使われる言葉だ。
例えるなら今からあなたに嘘をつきます、と宣言しているようなもの。銀髪彼女がいった言葉を要約するなら『彼氏がいる事実は作らないといけないけど、彼氏役はしなくていい』と口にした感じだ。
だから俺が偽の彼氏として演じても別に意味がない。もしこれを見抜けなかったら今頃俺は俺の彼女の料理のフルコースメニューを存分に味わって、泡を吹きながら倒れていたことだろう。だが、あいつは人の仲を引き裂く過激な悪戯はしてこなかったはずだが、まぁ化けの皮が剥がれ落ちたと思っておこう。
「ほんとアイツは腐った性格してやがる」
「アイツって銀髪彼女のことよね」
「ああ、そうだ。何度振り回されて騙されたことやら」
「一つ聞きたいんだけど、銀髪彼女は何で名前がないの? 不便すぎない?」
「そう言われても知らないもんは知らない。そんな話を振ると上手いことはぐらかされる」
前世は名高い詐欺師だったんじゃないかと思うくらい言葉巧みに話を逸らす。まぁ前世なんてあるのか分からんがな。
「言いくるめられてるのね」
「文系は自信あるんだけどなぁ」
これでも文系志望の男子高校生。理系なんて赤子の時から拒絶反応が出てたくらいだ。注射怖い絶対いかない化学嫌い。
「そういえば銀髪彼女ってあそこにずっといるの?
「やけにアイツのこと気にするんだな」
「あれからずっと思い出しちゃうのよ。もしかしたら近くにいたりするのかなって」
「白崎はホラー苦手なのか?」
「に、苦手というか……あまり見たくないだけよ」
「苦手ならそういえばいいのに」
「う、うっさい! こんなの友達にしか言えないんだから!」
「なら俺は友達ってことか。クラスのマドンナに友達と思われて光栄だ」
「は? 月欠くんはマウス以下の実験動物なんだけど?」
「猿より酷い扱いで今すぐ脱走したい」
「無理ね。私の怪奇症が治るまでしっかり無休で働いてもらうわよ」
「皆さん、ここに可愛い顔を被ったあく……ぐふ!」
またまたクリティカルヒット。これ以上くらったら俺の尻がちぎりパンになりそうだ。
「次言ったら分かるよね?」
「何で女はこう怖い生き物ばかりなんだ」
「純新無垢な可憐な女性なんて本の中だけよ」
「本の世界に転生したいな」
「現実逃避しないで前を見なさい。それがあなたのためよ」
「現実にバンザーイ。白崎にバンザーイ」
空虚な気持ちで両手を上げていると道すがら前からタクシーが見えて慌てて手を下ろす。タクシーは俺達の横を通り過ぎていく。危うく白崎とランデブーするとこだった。
白崎は遠くの方に視線を向ける。
「私の怪奇症……本当に治るのよね」
「あいつが治るといったら絶対治る。性根は腐ってるがそこは信頼していい」
「ふーん、腕はいいけど中身は屁理屈じじいみたいな感じなのね」
「言い得て妙だな。今度あいつの弄り材料として使うわ」
「馬鹿なの? ねぇ馬鹿なの?」
「男は単純で馬鹿な生き物だよ。彼女に好きって言われるだけで浮かれちまうほどにな」
白崎は顔を下に向けてゆっくりと口を開く。
「……たとえ好きじゃない人でも?」
「うーん、半々じゃないか? 好きでいてくれるのは嬉しいが、本当に自分でいいのかって思う」
「男は単純で馬鹿なのに?」
「単純で馬鹿だから考えるだ。そうでなきゃ恋に臆したりしないし、恋をしたりしない」
恋なんてものは複雑で繊細で壊れやすいものだ。いつの間にか傷がついて日に日に悪化していき、気がついた時には手遅れだったりする。
「俺の見解だが恋愛は諸刃の剣だ。知らない間に自分も傷ついていた、なんてこともよくあるし、相手がそれ以上に傷ついてたってこともある」
もし付き合わなかったら少し気楽だったかもしれないと思うことがある。でもそれ以上に付き合って良かったいい思い出があるのも事実だ。
分かれ道の十字路まで来て俺と白崎は止まった。白崎は口を開かないままで俺は頭を掻いて遠くのマンションを見る。
「あくまで俺の見解だ。鵜呑みにしなくていい」
白崎は黙ったままずっと立ち止まる。
あまりよくない空気だ。どうにかして断ち切りたいが、俺はそんな気の利いた言葉は持ち合わせていない。
「じゃあまた明日」
一日経ってば人はケロッとするものだ。妹と喧嘩しても一日経ったらゲームしよとか言い出すくらいだし、何よりいま尻がヒリヒリして早く帰って湿布を貼りたくて仕方ない。
「……月欠」
「なんだ?」
少しの間をおいて白崎は口を開く。
「なんでもないわ。また明日」
「そうか。じゃあまた明日な」
帰る道すがら俺はチラッと白崎の方に振り返って彼女の後ろ姿を見た。その後ろ姿はどこか虚しげで小さく見えた。