第一話 始まりは自己紹介
俺の高校生活において最も重要なのは平凡であろうとすることだ。特徴のない格好で目立たず、勉学は平均点を取り、スポーツは人並み程度にこなし、委員で受けた仕事を迅速に終わらせ、数人の友人と世間話などの話をして、色恋沙汰は……個人の自由だろう。ともあれ何も特徴のない平凡の高校生であろうとするのが俺の高校生活スタイルである。
夏休みが明けて変わらない窓際の席で俺──月欠陟は推理小説を読みながら呑気に高校生活を満喫していた。
「そうなんだ」「しっかり体を温めてね」「治ったらカラオケいこ」「髪型可愛いね」
何やら教室が少し騒がしいが気になるほどでもない。いつものグループが会話してるなと思うくらいだった。しばらくして学校の予鈴のチャイムがなる。
ふと周りを見てみるとほとんどの生徒達が席についている。一つだけ空いている席があったがトイレが長引いているか、夏風邪で休んでいるのかもしれないと結論づけて俺は再び視線を小説に戻して先生が来るのを待つ。
本鈴のチャイムがなると勢いよくドアが開いて約一ヶ月ぶりの担任の先生が机に天変地異を起こすかのように分厚い紙束をドスンと置いた。
「おはよう1年B組のみんな。夏休みの宿題はちゃんとすませたか? もしいるなら先生怒らないから手を挙げるんだぞ」
あの逞しい体つきに般若を体現したような顔の先生に手を挙げる奴は、はたして何人いるだろうか。いたのなら俺はそいつに勇気賞を受賞させたいほどだ。
「いないみたいだな。1年B組は優秀で先生は嬉しいぞ」
般若の顔に笑顔は不気味さをより際立たせる。しかし、当の本人はそんなこと気にもしていない。
「まだ暑い日が続くからしっかり体調管理するように。では朝礼を始める。白崎、号令を……うん?」
担任は彼女の容姿に気がつく。チラッと俺はそっちに視線を向けるとクラスでとても有名な女子生徒がそこにいた。
「白崎、風邪なのか?」
白崎唯───容姿端麗成績優秀運動神経抜群そしてこのクラスの学級委員にして生徒会の会計。彼女を一言で表すなら一年のマドンナ。その容姿から何度も男達から告白を受けるが、ついぞそのハートを射止める者はいなかったいう。
脇下までかかる黒髪に優しげな目元、何もかも見通したような瞳に一瞬ぎょっと萎縮してしまうだろう。もちろん鼻はスラリとしており、唇も鮮やかで艶やかなのだが、残念なことに今の白崎はそれを隠すようにマスクをしていた。それだけならまだ風邪を引いただけだと思う。担任は続けて言葉を口にする。
「凄い髪型だな。イメチェンするのは構わないが、校則に引っかからないような髪型にしろよ」
白崎の髪型は女子高生がしそうなハーフアップであった。少し膨れ上がっている二箇所あるが、それもまた新しいヘアスタイルだと思う。
流行の最先端のさらに最先端を取り入れたと言わざるをえないかもしれない。
白崎はノートを出して担任に見えるように掲げた。担任は目を細めてノートをじっーと見つめるとそのままノートに書いてあった文字を口にする。
「声に出せないほど喉が痛い。髪型は校則違反はしてない、と。うーん、まぁ染めなければ大丈夫だが……とりあえず体調が優れなかったら保健室にいけよ」
担任は頭を搔いて視線を別の方へ向けた。
「おい、月欠。今日はお前が号令やれ」
不意に当てられて俺は肩をびくりとさせる。
「なぜ俺が号令するんですか?」
当然の疑問だと思った。担任は俺に何か恨みでもあるのか? いや、仮にあったとしたらこの担任は学校の周りを何周かさせようとしてくる。そしてしごきにしごかれて干物にされて定額で売られることなく半額で売られてしまうかもしれない。
「今日お前日直だろ」
黒板の端に月欠と名前が書かれていた。
あ、そうだった。号令はいつも白崎で、休んだことないからずっと白崎がやるんだろうなと思っていた。
もう一人日直はいるのではと口にするが、そのもう一人が白崎であった。つまり白崎以外の号令は今日が初。クラス全員の視線が集まり、ちょっとしたパンダ気分が味わえた。
「起立、気おつけ、礼、よろしくお願いします」
やや早口だったが、そこはビギナーだったということで。
「よし、では朝礼を始める─────」
そこからは普段と変わりのない日常。
担任のありがた〜い話、始業式、今後の予定、夏休みの宿題集め等を行った。予め決められていたとはいえ、校長の力説もあって少し遅れてしまった。
そうして時間は刻々とすぎる。教室で終わりのチャイムがなった途端、呪縛から解かれたように生徒たちは肩の力を抜いた。
「起立、気おつけ、礼、ありがとうございました」
はっきりとした声で、教室内で聞こえる声量で俺は口にする。
一回目の号令より進歩しただろう号令は特段気にされることもなく、授業が終わって生徒たちはすぐに帰宅準備を始めた。
「ちょっとトイレでも行くか」
そんな独り言を呟きながらドアを開けて渡り廊下を歩く。トイレとの距離はそれほど遠くない。まぁそれも白守高校の立地は特別大きくなく、生徒数も総勢七百ちょいの進学校だ。
進学校といったが、特段勉学に力を入れてるわけでもなく、厳しい校則もなく、それなりに自由に学校生活を楽しめる学校だ。
特色があるとするならば二日間ある文化祭だろう。前に誘われて行ったことがあるのだが、あの熱狂ぶりは圧巻の一言だった。それに魅了されてこの学校を選んだのも懐かしい記憶だ。
「うーん、やっぱりこの癖毛何とかしたいよな」
鏡に映る俺の髪の毛はくるりと放物線をえがき、寝癖のような髪型にみえる。俺が気にしているコンプレックスのひとつがこの髪の毛だ。一度美容院にいってワックスでガチガチに固めてもらって友人達から感想もらおうかな。
「お前に美容室は似合わないって言われそうだな」
別に友人の人格を否定しているわけではない。あくまで俺の想像上の中の友人がそういったのだ。
「ワックス塗っても面倒いだけか」
ここで俺の悪い癖の面倒いが発動する。
いつもの事だが面倒と思ったら如何せんやりたくない気持ちになるものだ。そのせいで数多くの小説が積み上げられきたのだが。
俺は前髪を弄りながら視線が上の方に向いてトイレを出ると横からくる人影に気付かずぶつかった。
「お!?」「きゃ?!」
体勢を崩す俺だったが、ギリギリ持ち堪えてその場で踏ん張ることに成功する。俺は人影の方に顔を向けて頭を下げた。
「すみません、前を……て白崎さん?」
なんと目の前にいたのはクラスのマドンナ白崎唯であった。もし普通の男子高校生なら白崎に会えるなんてラッキーと思って手を差し伸べただろう。
だが、前にも似たような現象を見たことがあり、俺はそっちに目が釘付けになった。
「それって犬耳か?」
白崎の頭部に柴犬のような黒い耳がひょっこりと小刻みに可愛らしく動いていた。あまりの可愛さに九割の男子生徒は死因白崎とダイイングメッセージを残して尊死するだろう。
まぁ俺には耐性があるのである程度耐えれはするが。
「え、あ、その……」
夏休み明けて彼女の声を初めて聞いた。もしかしてストーカー? そう問われたらすまん前を向いてなくてぶつかったと口にするだろう。まぁそれよりも目の前の光景を目の当たりしても驚愕の表情を浮かべず冷静になってしまっている自分がいるのだが。
「はぁ……不運だ」
久しぶりのあからさまな不運にそう呟く。
こういう似た現象に出くわしたのは今回で四度目である。まるで毎度事件に遭遇する探偵みたいで、いい加減探偵役から降板したいものだ。いや、関わらなければ別にいいのでは? そうだ。事件に巻き込まれるなら知らんぷりすれば別に問題ないはずだ。
「じゃあまた明日」
俺はさっさと帰ろうと足を運ばせる。
「ま、待って!」
しかし、事件は逃してくれない。いや、こういうべきか。事件は探偵に憑き物。いやはやなんという死神の呪い。くわばらくわばら。
「なんだ。言っとくが誰にも言わんから安心しろ」
正直早く帰って推理小説の続きが読みたい。あと妹に見つからないように隠した冷蔵庫にしまったアイスを食べたい。
「そうじゃなくて! えーと……あ」
彼女は思い出したように鞄からノートとペンを取り出す。描き終えた白崎は俺に見せるようにノートを目と鼻先まで近づける。
「本当は風邪なんて引いてない。この髪型にしたのも犬耳を隠すためにした、と」
白崎はコクリと頷く。
「それがなんだ。俺に教えたところで一銭の得もないだろう」
仲睦まじい間柄でもないし、はっきりいって耳を見ただけの目撃者だ。
「それに俺が言いふらすことを考えてないのか?」
もちろん言うつもりはない。白崎にちょっとした選択の余地を増やしたに過ぎないし、誰かに言いふらしてもお前の幻覚だろといわれるのが目に見えているが。
すると白崎の顔は暗い影をおとし、ペンを走らせて再度ノートを見せた。
「そうしたら社会的に……ねぇ」
白崎なら容易に出来るだろう。何せカースト最上位にいるのだからクラスの平凡担当の俺はすぐにボロ雑巾のように搾り取られて干されてしまう。
「あくまでそういう選択もあるということを伝えたかっただけだ。言いふらしても俺になんの得もないからな」
白崎はノートに書き記すとまた見せる。
「見たからには責任とれと」
いやどこの嫁入り娘だよ。俺は恫喝や脅迫で出来る彼女なんていらないぞ。あ、でも年上がやっぱりいいな。頼れる感じがしてついていきたいて感じ。あ、熟し過ぎは勘弁な。まぁ頭の中でこんな口論しても意味ないが。
じっーと白崎を見るとどこか影を落とした表情の白崎に親近感を覚える。
「はぁ……責任とれっていうなら取ってやってもいい。だが、その責任に貸し借りはなしだ」
白崎の顔色は困惑一色だ。
まぁこうなってしまっては開き直って助ける選択肢を選ばざるを得ない。つくづく俺は不幸体質が治っていないことにため息をつきながら横目で白崎を見る。
「ついてこい。もしかしたらその耳治るかもしれないぞ」
白崎は戸惑いながらも俺の後ろについてくる。一階まで降りて渡り廊下を歩き、横を通る人に目を配らせながら口を開く。
「なんで助けるのかって思ってるだろう」
白崎は赤べこを彷彿とさせるようにコクコクと頷く。
「別に大したことじゃない。助けないと後々面倒になるからそうしたいだけだ。それにこういうことはよく慣れてる」
白崎は『どういうこと?』とノートを見せ、俺は頭を掻いた。
「簡潔にいうと俺は何度かこういう現象にあったことがあるんだ。いうなればその現象を知る第一発見者ってところだな」
ここでの現象は科学や自然が起こした普通の現象のことではない。たとえばだが青空だった空が夕暮れになると赤く染まるのは論理的に説明することができる。
専門家ほど詳しくないが、太陽の光が長く大気の層を通過することによって、様々な色の集合体の太陽の光が散乱して赤い光だけが残るそうだ。もっともこれを知ったのはつい最近であるが。
つまるところ何が言いたいかというと俺はその現象を見ることは出来ても、それらは説明されなきゃ全く知らないということ。そしてその現象は科学で説明できるようなものでないということだ。
「着いたぞ。ここに詳しい奴がいる」
廊下の最果てにあるこの教室の看板を見つめるたびに色々と思い出す。
白崎はグイッと俺の制服を引っ張るとノートを見せた。
「第二図書室に入るには鍵が必要、か」
確かに第二図書室は普段鍵が掛かっており空いていない。なぜなら生徒たちはほとんど図書室の方に行くため使われることはなく、第二図書室は行き場をなくした本の溜まり場と成り果ててしまっている。
「大丈夫だ。鍵がなくても開けれる奴が中にいる」
俺はコンコンコンと三回ノックして、俺の名前を口にする。
するとガチャリと音が鳴りドアが独りでに横へスライドした。
「やあ、月欠くん。今回はどんな【諺】をもってきたんだい?」
銀色の髪を靡かせながら淡く桜色の瞳で彼女は俺達を見つめていた。