表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
箱庭アリス  作者: 二ノ宮明季
3/9

3

 くすぐったい。

 足の指先から順に、ぬめぬめとした何かが這い回っているようだ。私はそろりそろりと目を開ける。

 うつ伏せで布団を被っていた筈の身体は、布団を取り払われ、仰向けになっていた。


「あぁ、起きたのかい? 僕のアリス」


 声を掛けられ、ゆっくりと視線を下に向けると、こちらを見ている男と目が合った。男は何故か私の足元に蹲っていたのである。


「何を、しているんですか?」

「何を? 君には僕が何をしているように見えるんだい?」


 質問に質問で返されてしまった。

 ゆっくりと上体を起こせば、私の足からはゴテゴテした靴下が取り払われ、血管の浮き出た足がむき出しになっていた。その爪先は僅かに濡れているようで、顔をしかめる。

 何をしていたのか、なんて、この状況を見れば想像がついた。


「貴方が、足を舐めていた」

「そう! そうなんだよ! 流石は僕のアリス。とっても賢いね」

「……果たしてこれは賢いと言うんですか?」


 ただ状況の断片を並べた結果なのだから。

 結局私の問いに彼は答える事なく、微笑みを浮かべたまま再度爪先を舐った。

 指の一本一本を丁寧に舐め上げるその行為は、時折私から言葉にならない声を引き出す。爪と皮膚の間に入り込む舌のぬめりが、指と指の間をなぞる熱い塊が、まるで性行為を彷彿とさせられた。

 おそらくは、時折彼が「気持ちいい?」などととんでもない事を問うてきた事も、理由の一つなのだろう。


「色を付けたいな」

「……爪に?」

「うん。でも、駄目だね」


 何が駄目なのだろうか。その疑問は、直ぐに私の中で解消された。

 よくよく考えれば、この部屋には換気扇が無い。ユニットバスがあるのだから、換気扇くらいあればいいのだが、どうにもあった記憶はない。

 それが無いという事は、ペディキュアを塗る為には、シャッターが閉まっている窓か、部屋のドアを開けて換気しなくてはいけない。絶対に、という物ではないかもしれないが、万が一にでも私が……あるいは彼が倒れてしまう事を考えていたのだろう。

 どちらに転んでも二人は別れる事になる。シャッターやドアを開けるのもまた、私の脱走のリスクが上がるのだから、彼にとってのメリットが何もない。

 敢えて何か上げるとするのなら、好みの色を私の爪に塗る事が出来る程度の物だろう。


「まぁ、いいか。君の指の味が変わってしまっても嫌だし」

「味……」


 私は私の味を知らないが、少なくとも味が変わったら嫌だと思った事は無い。

 きっとこの人は、ちょっと変態なのだ。尤も、誘拐して監禁するくらいなのだから、最初から正常であるようには思えないので、今更足を舐めるのが好きな変態だという事はどうとも思わない。

 ただ私の脳裏には、現実逃避で眠りに落ちる前に見た、あの大量の写真がちらついた。


「どうしたの? 僕のアリス」


 わずかに顔が引きつったのだろう。


「な、何でもないです」


 慌てて首を左右に振ったが、それも直ぐに止められた。彼がこちらに身を乗り出し、私の両頬を両手で包み込んだのだ。押さえつけた、の方が近いかもし知れない。


「どうしたの?」


 イヤイヤと逃れようとしたが、彼の力は存外強く、私は結局身動き出来ずに彼の目を見る事になってしまった。


「あ、あの……」


 写真の事を言う訳にはいかない。誤魔化さなければ……。

 私はせめてもの抵抗で視線だけは外して、「いつから私を好きなんですか?」と問うた。


「……意外な事を聞くね」


 彼は頬を拘束する力を抜くと、柔らかく笑って見せる。


「僕は君をずっと見て来たんだ。君だけが僕のアリスだよ。やっと僕の番になったんだ」

「貴方の、番?」


 何ともよくわからない表現だ。これではまるで、私が何人もに誘拐されてきたようではないか。

 いいや、違う。この場合は、彼よりも先にお付き合いしていた人がいた、という意味か。尤も、誘拐はお付き合いしているとは言わないが。


「やっと僕だけのアリスを手に入れたんだ」


 彼は私をぎゅっと抱きしめる。


「……貴方は私に危害を加えない?」

「当然だよ」


 私の問いに、嘘偽りのない答え。

 それなら、もういいではないか。

 変な写真を見付けてしまった。けれども、私はここがどこなのか、それどころか私が何者なのかすら覚えていない。

 写真は手掛かりになるのかもしれないが、生憎私以外の人の顔は全て塗り潰されていた。そうなっては、お手上げだ。

 危害を加える気が無いのなら、このままでいい。私はあっさりとここから出る事を諦め、状況に甘んじる事にした。

 ある意味では私が「空っぽ」であったからこその、決断だった。

 私に対して痛い事さえしないのなら、彼がどれだけ私を飾り立てようが、どれだけ足を舐めようが、例えばその先を望んだとしても、構わない。

 全身が粟立つあの恐怖も、外へ出て途方に暮れる不安に比べれば、大した事は無い筈だ。


「……私、逃げません」

「え?」


 私は抱きしめられた腕の中からもそもそと上を向けば、彼は目をまん丸くしていた。意外だ。


「で、でも、君は……」

「私、何も覚えていないので」

「あぁ、なるほど」


 微笑んだまま、私の額にキスを落とす。彼のしたいタイミングで、したい事を。私は僅かに身じろぐ程度で、それ以上抵抗と受け取られそうな事はしなかった。


「外に行くのが怖いの?」


 直ぐに頷けば、「僕の事は?」と聞き返された。怖くないと言えば嘘になるが、嘘も方便という言葉もある位だ。多少なら延命に繋がる。


「怖くない、です」


 私は嘘をついた。


「ありがとう。嬉しいよ、僕のアリス」


 もしかしたら嘘だとバレているかもしれない。それでも彼は優しく微笑んで、髪を梳く。

 柔らかな行動一つ一つに妙な心地のよさを感じて、私はそっと目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ