試合
既に彼の強さは私の知るところではなくなった。
既に彼は次元を超越し、自身の中に無限にもなる世界を内包している。彼は意識せずに"夢の世界を実体化"させる。"脳の機能として夢見ている"わけではない。彼の中に生み出され続ける世界は既に物質としての性質を強く持ち、無限の広さを持つ私世界へと至ってる。
理論でだけ言えば、私の力は彼の中にある最下層の生命にすら及ぶことはない。無限を持っていない私と比べ、彼の中にある生命はどんな存在ですら無限の世界を持っているからだ。その力の差はもはや語れるものではない。物理的な次元でも、力量としての次元でも、彼は私を軽く越え、その"次元の概念"すらも超越しているのだから。
彼が既に私と相対した今この瞬間、私の私世界を覗くことで、異なる次元への干渉を成功させているとするならば、"既に敗北は実現"してしまっていると表現すべきだろう。
最早私の出来ること何もない。
そんなことを考えている内に気がつくと私は"閉鎖空間"に踏み込んでいた。
「やあ、ユリア」
彼は私に気がつくと軽く挨拶を返した。
「いい、試合だったね。でも、これでおしまい。君の負けだ」
この閉鎖空間は、彼の私世界によって生み出された世界である。彼は私とは異なる次元、異なる法則を様々な物質や生命に及ぼし、それを現実のものとして世界に顕現させる能力を持っている。この閉鎖空間は彼の"夢の世界"の中に存在し、夢と現実の狭間に位置して成り立つ異次元の空間となっている。
つまり私はこの空間に一歩踏み入れた時点で……負けている。
「どうやらそのようね……」
そう答えつつ私は自身の思考を徐々に広げていった。全能をこの空間全体に広げ、私はフェルトから逃れようとした。しかし、意味はなかった。
「無駄なことだ、何をしているんだい?別に君に危害を加えるようなことはしないさ」
確かに彼は私世界に於いても私の生命を脅かすような行為は行っていない。いや、既にその段階は過ぎ去っていると言うべきだろう。彼の私世界に内包された時点で、この空間含め無限の全ては彼の"全能"の範囲となっている。
「なら、なぜ私をこの空間へと連れ込んだの?勝つだけなら、"殺す"だけでも十分だったはず」
私はこの空間内にいる限りその"全能"から逃れることはできない。全能で殺すことが目的だとしても、なぜまだ殺していないの?
「ああ……それか。それはね、僕が君を好きだから」
「え?」
私は耳を疑った。理解ができなかったのだ。
「そもそも、この試合を始めたのは神だ。既に僕は単一世界の神から十全に進化して、無限の世界を内包するに至ったわけだけど、それでも奴らが決めた"個"になるまで続く試合には従わないといけない。僕はまだ、奴らに届いていないみたいだからね」
それがどうしたというのか、私を好きになった、という彼の話に繋がるの?
「んで、この空間は僕がその全能を使って創った場所なんだけど、いま試合で生き残っているのは僕と君だけ。そして僕は君が気に入った。好きになったと言い換えてもいい。まぁ、今のは戯言だと思って聞き流してくれてもいい。それで僕と手を組んで"神"に勝つ気はないか?」
私は彼の言っていることが理解できなかった。理解はできるが納得できなかったのだ。
「なぜ?私にはあなたに敵う力はないわ。その力の差は表現できないほどに圧倒的だったのに……」
「さっきも言ったろ?僕は君を好きになった。だから、この先に戦いにも連れて行きたい。君が望むなら、ね」
彼の私世界と私の私世界は全く違う次元に存在するのだ。私は彼と同等かそれ以上の力を持たない限り、何もできない。
けれど、いまこの場でこの要求を受け入れられないなら私はおそらく死ぬ。
「……いいでしょう。それで、私は何をすればいいのかしら?」
「話を理解してくれて助かるよ。今ここで君に力を与える。そのあとに始める」
するとフェルトはこちらに歩みを進めた。そして私の目の前に来るとその漆黒の瞳で私を見据えてから彼はこう言ったのだ。
「目を瞑れ」
私が言われたまま目を閉じると彼は私に口付けをした。
「んっ――な、なにを!?」
突然のことに驚いたが、その瞬間に私の私世界は瞬時に"無限"へと至った。つまり、彼とほぼ遜色ない多少劣化した程度の力を"無"から得た。いや、彼の私世界内で私が生まれ変わったと言うのが正しいかもしれない。
彼の私世界内で最上、彼に一番近い私世界内で生まれ変わったことによって、私は進化した。
「よし、これで君は"無限に進化を続ける生命体"となった。まぁ、僕は君よりも高位の存在だけど、君も僕に近い存在になったわけだ」
愉快だといった感情を出しながらこう答えた。"無限"の力を持ったばかりの私には、その言葉の意味は正確にはわからなかった。
「さてと……そろそろ時間か。じゃあ行こうか?」
「……ええ」
そして私とフェルトはこの空間から抜け出した。
*
『ほほう、殺しはせぬのか?』
突然現れた男はフェルトに話しかける。
「神か?」
『貴様の言う神よりもさらに上の……まぁ、そんなところだ』
「……で?用はなんだ」
『だから殺さぬのか?と聞いておる』
「ああ、殺さない。彼女と"手を組む"ことにしたからな」
深い沈黙が流れる。神の定めた個となるまでの殺し合い、それを破ろうとしている私たちを見つめ、その男は数秒けれど長い沈黙のあと、口を開いた。
『……ふむ、***から許可が下りた、特例だ。2人でここから出ていくが良い。さぁ、"自由の世界"への扉だ』
そう言うとその男は消え、新たな空間へと移動していた。
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