夜王ラー
「セイイチさま! そのお腹!」
ラーは誠一の前に膝を附き、怪我の状態を調べた。
「あああ、なんてこと! 愛しいセイイチさまのお腹に汚らしい矢が!」
と叫びつつ、ラーは今さら何かに気付いたような眼で、ひとしきり周りを見回した。
最初に感じた印象通りの、如何にも目付きや立ち居振る舞いが「品格」とは無縁のチンピラ然とした連中が周りを取り囲み、良二の腕には瀕死の少女、愛しき誠一の腹に刺さった矢、等々。しかして現状を認識・理解した彼女の顔は、やがていつもの妖艶な表情から、凄まじい怒りの形相へと一気に変化していった。
「なるほど、大体の状況は把握させていただきました……」
ラーはゆらぁあ~っと、それはもう、ゆらぁあ~っと立ち上がった。
「おい、ねえちゃん。なに空気読めてくれてねぇんだよ?」
――いや……空気読めてねぇのは……おまえらだ……
「ヒョー! すっげいエロい女じゃん!」
「今日はすげえ日だなぁ~、一生分のツキが回ってんじゃねぇの~」
――バカめが。ツキってヤツぁ、いつか落ちるもんだ……今だけどな……
他人事ながら人の命運が尽きる瞬間を、良二・誠一含む遊撃隊全員は目の当たりにしているワケである……
「アイラオ……皆さまを転移で外にお運びしてくださいな。そしてセイイチさまと、その女の子の手当てを……」
「いいけど……ちょっとお姉ちゃん、ヤル気なの? 怒られるよ?」
アイラオちゃん、ちょっとビビりモード。
「これから私は、少々端ない事をします。そんな姿、セイイチさまにお見せしたくないのです、分かってちょうだい……」
と、言いながらアイラオをギロッと睨むラーさま。
「う……わ、わかった、今すぐ行くよ! みんな、あたしに掴って!」
いささか脳内の混乱が収まり切らない良二たちではあったが、少なくともラーがこの場を引き受けてくれると言う事くらいは真っ先に理解は出来た。他に思うところは有ろうとも、魔界8魔王の一角の仰ることに異を唱える必要など有りはすまい。とにかく、ここから離脱することを何より最優先にするべきだろう。
遊撃隊一同は言われるがままにアイラオに掴った。次の瞬間、良二たち全員が、アイラオと共に倉庫内から、スーッと消えた。
それを見てチンプラどもがどよめいた。転移の魔法を初めて見る者ばかりなのであろう。
「さて、お掃除に入りましょうか……」
チンピラどもは初めて見る転移魔法に気を取られていたが、ユズはラーの放った言葉に反応。その中の「お掃除」という言葉。
当然、その掃除される対象が自分たちであるくらいはユズにもわかる。
「掃除」する、つまり自分たちをゴミ扱いしている事は火を見るより明らかで、ユズは一瞬で血圧が上昇した。
「ねえちゃん、今、俺らをゴミ呼ばわりしたのか? いい度胸してんじゃねぇか」
「ゴミ? ゴミはあなた方の様な不快な鳴き声は出しませんわよ? 臭いだけです」
ラーの抑揚のない言葉。それがユズを余計に激昂させる。
「あ? 鳴くのはてめえだよ、股ひっぺがしてひぃひぃ鳴かせてやっからよ」
「一体どんな畑からなら、こんな下品な生物が生えてくるのでしょうね……」
またラーさまも言うもんである。
「余裕ぶってんじゃねえぞコラ!」
「どこかの淫売が犬の鼻水で孕んで出てきた獣があなたかしら?」
「!」
ブチっと来た。ユズは、それはもうブチっと来た。
「なんだあぁ! もっぺん言ってみろ!」
「どこかの淫売が犬の鼻水で孕んで出てきた獣があなたかしら?」
「ざけてんじゃねぞ! クソビッチがぁ!」
「あなたがもう一度言えとおっしゃったのですわよ? もうお忘れ? 犬じゃなくてブタのヨダレの方がよろしゅうございました?」
ラーの、遠慮のえの字もない言い草に、もうユズはビッキビキである。無視も気に入らないがこういう類も彼は当然、気に入らない。自分にビビらない奴、平伏しない奴は不要なのである。
「ああ、もういい、もういい。てめえら! このズベ、八つ裂きにしろ!」
「え? でもカシラぁ」
「やれっつってんだよ、聞こえねぇのか!」
えええ、生意気だけど……もったいねえなぁ、とボヤきつつ男が一人、ラーに近寄った。
「よぉ、今のうちに謝っちまいなよ、そうすりゃ……」
「あなた……」
ラーはチンピラの言葉を遮って話し始めた。
「あなた、臭いますわよ」
それに続けて、ラーは人差し指でその男の脇腹を差し、
「消えて下さいな」
と言い放った。言われて思わず自分の体臭をクンクン嗅いでいた男は何のことかピンと来ず、差されたラーの指先を見た。
その男は、ラーの指先が一瞬光ったのが見えた。そして、その次の瞬間、
「ふご!」
と言う、正に豚の如き鳴き声を残して、男はその場に一気に崩れ落ちた。それはもう、グチャッと。
チンピラたちは何が起きたのかなど当然わからない。まさか死んだのか? と思った者もいたが、倒れた男は白目をむいて舌を突き出して震えていた。少なくとも生きてはいる。
よく見ると、そいつはまだ息はあるが、声も出せないまま苦痛に藻掻いているような……そう気付いた時、
「あなたも、臭いますわね?」
ラーは今度は別の、自分の左側に近づいた男を狙った。再び指が光り、その指から放たれた光は狙った男の、これまた同じく脇腹を撃ち抜き、前の男と違わぬ姿で崩れさせ、同様に藻掻き・苦しむ姿に陥れた。
額から脂汗を噴出させ、呼吸の苦しさから舌を突き出すチンピラ。喉や肺あたりに木片か鉄板でも詰まらせて、息が出来るような出来ないような、心臓が動くような停められるような、そんな未知の苦しみ方だった。
斯様に妙な苦しみ方をする仲間を見て、ざわつく愚連隊ども。見ているこっちの息が苦しくなりそうな、こんな不気味な藻掻き方を見れば余ほど鈍感でなければ、何とも言い知れぬ恐怖感も擡げて来ようというものだ。
しかしそんな恐怖感が危機感に育つまでラーが手を拱いているわけは無く、彼女の指が光るたび、
「ぐげ!」
一人、
「ボグァ!」
また一人と、
「げぼぉ!」
崩れていく。
愚連隊の中には、なぜこうなるか? はともかく、未知の言いようの無い苦しみを喰らう攻撃を受けていることを理解出来た者から、得物を放り出して逃げ始めた。そんな連中に連られるが如く、とにかくこの場から逃れようとする者もそれに追従。
しかし足が縺れるほどの恐怖が周辺を支配し、連中は脚を縺れさせて転倒し、床を這いずり回るのがやっとであった。
夜王ラーの怒気? 倉庫内の空気が数倍に重くなっていく、そんな気が充満し、愚連隊どもを押し潰していく。斯くの如き重い空気の中で脱兎の様に駆け出せるはずも無く、次々ラーの光の餌食となって崩れていった。
「な、なにしてやがる! 弓だ! 撃て、撃てー!」
ユズが精いっぱいの声を上げる。弓兵たちは何とか指を動かし、ラーを狙って矢を放った。
が、矢はラーの体をすり抜けていった。少なくとも連中には、そう見えた。
――捉えた!
弓手がそう思った刹那、矢は彼女の背を抜けてそのまま飛んで行ってしまい、彼らの目を真ん丸にさせた。
すり抜けた矢は、先ほど誠一が呆れていた時と変わらず、反対側に陣取った連中を次々と同士討ちで射抜いていってしまった。動転してるとは言え、正にアホ丸出しの光景であった。
「そろそろ終わりにしましょう、時間の無駄ですわ」
カッ!
ラーは十本の指、全てを光らせ始めた。
一歩もそこを動かず、腕だけを揺らせ、次から次へと矢継ぎ早に愚連隊どもを崩していった。ラーの光撃を受けた全員が、最初にやられた男と同様に苦悶の表情で藻掻き苦しみ始めて蹲り、あるいはビクッビクッっと痙攣しながら転がり回った。
指先を前に向け、後に向け、まるで何かの楽器でも演奏しているかの如くしなるラーの指先の動きと共に、チンピラどもが次から次へと沈んでいき、崩れていき、倒れていき、蹲り、転げながら苦悶の呻き声を籠らせた。
伏せても無駄。物陰に隠れても無駄。
8大魔王の一角であるラーの索敵能力はシーナのそれをはるかに上回っている。
範囲を限定すればゴミ箱に潜むゴキブリも、木箱の穴に忍び込んだ蟻すらも見逃さぬ、密度の濃い高精細な索敵も可能である。愚連隊ごときに逃れる術などない。
ラーの指から放たれる光は積まれた木箱はもちろん、煉瓦の柱や壁すらも貫通し、身を隠しながら逃げ惑うチンピラの急所を確実に撃ち抜いていく。
大半のチンピラがラーによって撃ち抜かれ、集団で苦悶にのたまうそのザマは、さながら身を寄せ合ってうごめく蛆虫の姿そっくりであった。
その中で残った最後の二人。
「で、どちらが頭目?」
ラーが残った二人に向かって、この上なく冷たい口調で聞いた。
その一人、デスカがみっともなくも命乞いをし始めた。
「や、やめてくれ! お、おれは言われてやっただけなんだ! そいつに、ユズに言われてやっただけで!」
「おい! てめぇ、今更裏切るのか! 散々俺の影でいい思いしやがったくせに!」
……はぁ……
ラーは軽くため息をついた。全くお約束の反応をしてくれるものですわ、とでも言いたげに。こんな下衆どもの絆などより、蜘蛛の糸の方がよほど丈夫いであろう。
「うるせえ! 凶暴なだけのおまえに今までついててやったんだ、むしろ感しゃ……べ!」
喚いている途中だったが、デスカが崩れた。
「お答え頂き、ありがとうございます。もう、あなたに用は有りません」
誠一の容態も気掛かりであり、ラーもこんな連中の仲間割れに、長々と付き合う気は更々無い。
で、あとに残るはユズ一人。
「あ、あんた……何者なんだ!」
「私の名ですか?」
ラーは不敵な笑みを浮かべて聞き返した。そして、まるで愛しい想い人の仇を取れる喜びに満ち足りた、そんな笑顔で彼女は言い放った。
「私の名はラー。夜王ラー。魔界8魔王が1人、夜の魔王ラーですわ」
「ま、魔王ラー! あ、あの堕天の!」
「あら、そちらご存知でしたの? そう、私はかつて天界におりました。その頃は光を司る神でしたわ。光の最上級神、ラー・フロムポータリア・レイサーとは私の事ですわ」
そう言うとラーは、また指から光を放った。
だが、今までの連中とは違い、今度はまずユズの右肩を撃ち抜いた。
「ふぐ!」
肩の腱や神経を光撃され、ユズの右腕は、だらんと垂れ下がった。当然の事ながら、もう腕を動かすことは出来ず、指の一本すら微動だに出来なくなった。
ピ!
「ぎ!」
次は左肩。左腕も右と同様に自由を奪われた。
文字通り、立つ事だけが精一杯になるユズ。そんなユズに、ラーは今度は両の股関節、大腿骨頭辺りを撃ち抜いた。
もはや立つ事も叶わず、その場にグシャッと崩れるユズ。
もうユズは身体を動かす事も、ねじることも、芋虫の様に這いずる事すら出来なくなった。しかしまだ、口だけは動く。
「た、助けてくれ! な、何でも言う事聞く! 頼む! し、死にたくない!」
「あなたは私の愛しい人を傷つけ、苦痛を与えてくれました……」
「わ、悪かった! 謝る! 土下座でも何でもする! だから助けてくれ!」
「あの方の苦しむ姿を見るのは、自分の身を切られるよりも辛い思いですわ」
「頼む! お願いだ! 殺さないで! 殺さないでくれー!」
「あなた……さっきから何をおっしゃってるの?」
「おねが、殺さ……」
「もしかして、私があなたを殺したがってるとでも?」
「あ……おね……ころ……」
「あの方を、あれほど苦しめた張本人なのに、それをこの程度の痛み、苦しみだけで楽にさせてあげようなんて……」
「あ……あ……」
「私が……そんな優しい女に見えますの?」
それがユズの記憶に残った、最後の言葉だった。




