黄色い朝
運命の朝が来た。
昨夜、良二が部屋に戻ったのは9時を10分程度過ぎた位だった。
随分長く感じたあの会談は、実質1時間とかかっていなかったのだ。
そのままベッドに横たわり……そう、初めてアデスに来た時のような疲れを感じながら目を閉じ、気が付くと5時30分、窓から朝の明るい光が入り込み始める頃であった。
朝食は7時からが通例である。
普段ならまたひと眠りといくところだが、今日はとても二度寝する気にはなれない。てか、昨夜はよくも寝付けたもんだと思う。
以前に比べて心臓に毛でも生えて来てんのか?
誠一の部屋は良二の部屋の隣である。
だが、ラーの話によると神の営みの間は結界が張られ、声はもちろん、音も、振動すらも外部には漏れないとのこと。
ただでさえ壁が厚く、防音には気を使われてる貴族の屋敷である上に結界なぞ張られては、ホーラ・誠一らの行状を窺い知る事はかなわなかった。
寝ころびながら時が過ぎるのを待ち、時折外の景色を眺めては時間を流す。
時計を見ると6時35分。ちょっと早いが良二は食堂に向かった。
食堂に入ると美月と容子は既に来ており、席に着くところであった。
良二が席に着くと同じくしてフィリアが入ってきて、間もなくラーとアイラオもやってきた。
本来ならフィリアが座るはずの上座はホーラのために空けられており、次席にオクロの席、次いでフィリア。
対面にはラーとアイラオで良二たちはそれぞれその次に座っている。
7時前ではあるが朝食が給仕され始めた。
担当するメイス以下、メアやシーナに至るも言葉も無く、沈痛な面持ちで行っている。が、当然まだ誰も手は付けない。
主賓たるホーラが来るまではせいぜいお茶位だ。
「やっぱり、7時ちょうどなのかな……」
美月が消え入りそうな声で言った。
「あの方は、時間には厳しいですから……」
ラーが答えてくれた。が、その後は誰も言葉を発せないまま数分の時間が流れ、そして……7時00分00秒がやってきた。
ホーラと誠一が食堂にやってきて5分が経とうとしていた。
しかしホーラと誠一、そして彼女らに給仕するメイド以外は時間が止まってしまったかのように動く事が出来なくなっていた。
「セイイチ? 次は何がほしいか?」
ホーラが、はちみつよりも甘い声で誠一に囁いた。
「ホーラさま。食事くらいは自分で出来ますので、そろそろ私の右手を解放して頂けませんか?」
そんなはちみつを受けるパウンドケーキもかくや、てな甘ったるい声で応える誠一の右腕にはホーラの左腕がガッシリ絡まれており、右肩にはホーラの左頬が密着している。
「つれないことを申すな、セイイチの右腕は我の右手が代わりをしておるではないか。おお、これは香り高いソーセージが来たぞ? かなり良いスパイスを使っておるようだ。セイイチは肉好きと言っておったな? さあ……」
ホーラはそう言うとソーセージをフォークに刺して誠一の口元に運ぶ。
「うまそうだな? セイイチ、我も同じものを所望するぞ?」
言われて誠一は左手のフォークでソーセージを突き刺すと、ホーラの口に優しく寄せてあげた。
「さあ、ホーラさま?」
「あ~ん」
ホーラは更に甘い声を漏らしながら口を開け、パクっとソーセージを頬張るともぐもぐと咀嚼しながら再び頬を誠一の肩に乗せる。
「ホーラさま、人目もございます、そろそろお直りを……」
「野暮なことを申すでない、誰の目を憚っておる?」
更に頬ずりするホーラ。
予想とは天と地ほど剥離した現実に、誰もが脳内を整理しようと懸命に血をめぐらすも困難を極めている中、最初に言葉を発することができたのはアイラオだった。
「…………お姉ちゃん……あれ、誰…………?」
振られてラーも呪縛を解き何とかアイラオに答える。
「私も18700年間この眼と付き合ってきましたが……今、この眼で見えているモノを疑がったのは今日が初めてです……」
因みに誠一・ホーラの後についてきたオクロは席までたどり着きはしたが、食事は一口も食さず虚ろな目で中空を見つめていた。
おそらく、この中で誰よりもホーラとの時間が長いであろうオクロにとって、目の前の現実は相当に衝撃的なのだろう。
良二たちも似たようなもんである。
そりゃ夕べ想像された姿ではなかったことには素直に安堵している。美月も容子も同様であろう。
しかしこの結果は……想像の斜め上とか右とかそう言ったレベルではない。
確かにホーラは実年齢17000歳とは言え、見た目は人間で言えばせいぜい30歳代前半くらい。決して若いとは言えないかもしれないが、初老の縄張りに踏み込んでいる誠一との人目を憚らない、初めて彼氏彼女が出来て舞い上がって浮かれている中高生カップル以上のイチャラブは到底理解の外である。
ラーは今一度、昨夜出していた暗黒の怒気オーラと全く正反対のピンク色オーラを出しているホーラを見据えた。
堕天であるラーは天界にいるころからホーラを知っている。
奔放な自分と堅苦しいホーラとは何度も衝突したものである。
堅苦しさこそ彼女の象徴であり、昔から知るラーにとってはホントにこのように変化したのであれば寂しさすら感じてしまうほど。
やはりここは確かめておきたいところ。そしてそれが出来るのはラーだけである。
「ホーラさま?」
「うん? なにか?」
ラーの声掛けに、昨晩の吊り上がった険しい目つきとは打って変わって、半眼かつ、眼尻が下がるだけ下がった、とろ~んとしたオメメをしながらホーラは応じた。
「そのようにしがみ付いては、お胸のあばら骨が直接当たってクロダさまの右腕が痛がってて可哀想ですわ。クッションになるモノが何も無いのですから……いい加減お許しなさいませ」
ピシッ!
……食堂の空気が一瞬で凍り付いた。
ホーラの、それはそれは見事なペタンコ胸をイジるのは、それは相手がラーでなくとも宣戦布告をするに等しい。
ホーラやラーに昨晩初めて会った良二や容子ですら、昨夜のラーとの鞘当てを見ればホーラにお胸コンプレックスがあることくらいは感じていた。
ことに、己がお胸にそれほど自信がある訳ではない容子らには、鬼の洗濯板呼ばわりはあまりと言えばあまりだと、同情を禁じ得なかった次第であり……
挑発にしても直球過ぎである。
アイラオは、眉間にしわを寄せて呆れながら溜め息を漏らした。
「夜王よ…………」
ホーラもまた、ラーを見据えた。その場の全員が、おそらくはこれから起こるであろうホーラとラーの諍いに備え、固唾を飲んで身構える。が、
「そんな言い方無いではないかぁ。皮膚もあるし、多少の皮下脂肪も蓄えてあるのだから、そこまで痛くはないんだゾ!」
だゾ! ……だ……と!
「それにセイイチはこの胸を全身全霊で愛してくれたのだ。今では我の誇りだゾ?」
だゾ、二連発!
……ラーは脱力した。黒のドレスが肩からずり落ち、お胸の頭が見えてしまう直前まで力が抜けてしまった。
胸の事をイジられても怒らぬどころか、だゾ、二連発だと!
認めざるを得ない……赤い眼の血の気が引いて真っ白になる様な感覚の中、さすがに認めざるを得ない。
彼女は、変わった……転生時の記憶欠落による人格変化以上に……変わった。変わってしまった。
しかしてラーの興味は、変化したホーラよりも、変化させた誠一に向かい始めた。
昨夜、あれほど嫌がっていたはずの彼が、一体彼女になにをしたのか?
何をすればホーラの貧乳コンプを、あそこまで見事に霧散させられるのか?
「時にホーラさま? 本日はお仕事の予定があると仰ってましたが?」
デザートのイチゴをホーラに食べさせながら誠一が切り出した。
「む、そうであったな。オクロ! どうなっておった? オクロ!」
名前を呼ばれたオクロは、目の前の現実に整理がつかず、意識が三界の隙間から抜け落ちるギリギリであった。
だが、ちょっと強めに呼ばれたおかげで、何とか現世に戻ってこれたようだった。
慌ててスケジュールを確認し返答するオクロ。
「あ、はい! 本日は8時からポリペイアン様のご依頼で……」
「そうであったなぁ……奴の仕事は時間がかかる。どうせ一週間以上は……なあオクロ、一時間くらい遅れても変わらんのではないか?」
「な!」
「と、時の神さまが遅刻宣言!」
衝撃を受けるアデスの面々。オクロはぼちぼち1000年ほど転生が早まったのではないか? と思えるほどハデに顎がカックンと垂れ下がった。
時の女神の矜恃すら跳ねるセイイチ・クロダの手管……ラーの興味はより先鋭化した。
「ホーラさま、お仕事はお仕事、お互いの果たすべき役割は果たしませんと……」
誠一がホーラに諭すように語りかけた。
「セイイチは我と一緒にいたくないのか?」
言われて唇を尖らすホーラ。そんなホーラに誠一、更に柔く甘く。
「より一緒の時間を得るためですよ。果たすべき義務を果たせばこの1時間は、10時間にも10日にもなって返って来ましょう。ホーラさまもそれは百もご承知のはず」
「ううむ、セイイチにはかなわんなぁ。うん、名残惜しいが与えられた職務を果たそう」
「お仕事の成功を祈っております」
「おう、貴公もな。行くぞオクロ!」
オクロに発破をかけて、ホーラさま御出勤……、
「あ、ホーラさま!」
と言うところで誠一が、ついとホーラを呼び止めた。
「ん? おお、忘れるところだった!」
呼び止められたホーラは何かを思い出し、胸の前で手を広げた。
「我が寵を受けうる敬虔なるものたちへ。我、時空の最上級神ホーラが天地の加護により、互いの思いを疎通せしめんとす……」
呪文? 詠唱? やがて、その手の中には金色の光が現れ、ソフトボール程度の大きさになるとホーラはその光をふわっと浮かせた。
良二たちが初めて見る神族の神通力。光の玉はいくつのも小玉に分かれ、良二、容子、美月、シーナ、メア、フィリア他、この食堂にいる全員の頭にまとわりつき、そして染みこんでいくように消えた。
「い、今のは一体……」
容子が不思議そうな顔で呟いた。
「我からの駄賃だ。念話のスキルを与えた。これで遠く離れていてもお互いの会話が可能になる。コツはセイイチに教えておいたから習うといい」
「ね、念話? 電話か、テレパシーみたいな?」
美月が半信半疑みたいに答えた。スマホがあって当たり前の彼女らにとって、電話もメールもないアデスの通信事情はとてももどかしく思っていただけに、通話だけでも可能になるのなら……と高揚を隠せない。
だが、もっと高揚、と言うか驚いたのはフィリアたちだ。
「か、神の雫!」
――神の、しずく?
彼女たちが口にした「神の雫」。それは、良二たちが後で聞いた話によると、神々から直接授かる特殊な適性・能力全般を言うそうだ。
フィリアやメイスらの驚きは感動へと変わっていった。
最上級神と会う事も稀なら、スキルを授かるのはそれ以上であろう。
アデスの人たちにとっては、宝くじに当たるより貴重な体験であるだろうことは想像に難くない。
「皆の者、大儀であった。此度は大変、素晴らしい時を過ごすことができた。それでは、また会おうぞ。オクロ! 参ろう!」
「は、はい!」
テレポート系の魔法? スキル? ホーラとオクロは来訪した時に現れた、それと同じ光を発し、その中へ消えて行った。




