空の間
「いけませんね……」
ヴァンキッシュ宮殿の地下にある修練場、主に瞑想を中心とした精神鍛錬を目的とする部屋、空の間でメーテオールは軽く息をついた。
天界入りしてから二日目、遊撃隊の面々は早速、練成に励むことになった。
参加者7名。それぞれが練成の種類ごとに一人、二人と分かれ、良二はこの空の間において、メーテオール自らの指導を受けていた。
良二は自在に変形する椅子に座り、一番楽な姿勢になるように言われた。
背もたれを適度にリクライニングし、腰に当たる部分を少々膨らませ負担が来ない位置に持って行き、オットマンの高さを合わせ脚を預けて座る。
目を瞑り、曇り空を思わせる色彩の部屋の中で無の境地を目指す。
だが修練開始から、いきなりのダメ出しである。
「焦り、不安、悄然……負の思いが部屋の空気に渦を作っています」
良二の右側斜め前方に座っていたメーテオールがダメ出しの理由を説明した。
言われた良二は、それに一言も返せなかった。情けなくも感じるが、昨日の事を未だに引き摺っているのだ。
「心当たりがありそうですが……良ろしければ、お話し……してみませんか?」
「お話……」
「いかがです?」
――話……
今、この心象を話すとすれば話題は一択だ。
――ライラが破裂する……
彼女が冗談のつもりで言った一言は、良二の頭の中で愛しいライラの姿が跡形もなく吹っ飛んでしまう様子を浮かばせてしまった。
他愛もない、妄想に過ぎない脳内画像なのだが、幼少時に見て脳裏に焼き付いて時折フラッシュバックする悪夢の如く、なぜか頭にこびりついてしまった。
「それが、目を瞑るたびに浮かんでしまって……」
「そう、ですか」
頬杖をつきながら聞いていたメーテオールは、そう言うと、沈んだ表情の良二を見詰めた。
「彼女はそれほど深刻に思って言ったわけでは無いでしょう。いつもの彼女らしく冗談で口にしたのだと……」
「わかってます!」
良二の荒々しい声がメーテオールの声を遮る。
「す、すみません、つい……」
良二は大声を出したことを詫びた。しかしながらメーテオールの表情は何らの変化も無く、薄っすらと浮かんでいる微笑みも、そのままであった。
「夕べは……あまり良い睡眠には恵まれなかったようですね?」
「え? ああ、はい……あまり寝た気は……」
「では、これからお昼寝でも致しましょうか? 部屋を暗くする事もできますし?」
「え? でも、修練が……」
「無の心持、聖なる魔と心を結ぶには、お昼寝も一つの方法です。睡眠を目指しつつ、お話しをしましょう」
「それで修練になるのですか?」
「それは結果が証明してくれますわ。さて……あなたの不安は、ライラが最悪の状況になってしまわないか? ということですね?」
「ええ、そうです。俺の思っていた作戦失敗は、ミカドに成りきれなかった魔素が暴走し、魔獣の大発生とともにアデス三界に多大な被害が出る事だと思っていました。500年前、人間界を舞台に起こった魔素異変・魔獣の大暴走が今度はアデス三界の全てで……。もしそうなったとしても、魔獣が相手なら何としてもライラやカリン、容子、俺を慕って支えてくれる娘たちを全力で守ろうと。でも、ライラが消えてしまう、カリンや容子が人で無くなってしまう……そう想像した時、俺に一体何ができるのかって……」
「あなたを含む異世界人の方々は、既に12神や8魔王に次ぐ実力を持っておいでです。今回の天界での修練が実を結べば、あなたがたは彼らと同等の戦力となるでしょう。アデスに来られて半年以上、ここまでの力をお持ちになったのは驚きの成長ぶりと言えます。恐らく人間界では、すでにあなた方に敵う人材は居ないでしょう。それでも、不安を払しょくするには至りませんか?」
「魔力の増大は確かに俺たちもここまでとは想像してませんでした。実際、実力はついたと思います。でもそれは12神、8魔王でも出来る事です。俺にしか出来ないものなんてありませんし、ライラ達を救うのに、彼らの能力でも足りないのであれば……」
「それがあなたの不安?」
「アデスに召喚された時、アデスの社会情勢や科学技術、通商や産業等を見た時に、ここは魔法を除けば地球より進歩が遅れている、俺たち地球人の知識が大きなアドバンテージになる……と思いました。でも、それはホーラさんによって早々に封印されてしまいました」
「……その封印が説かれたら、あなたは自信を取り戻すことができるのかしら?」
「少なくとも……我々より魔力の乏しい、戦闘力の乏しい人たちでも中小の魔獣と渡り合ってもらうことができます。その分俺は、ライラを守ることに集中できるんじゃないかな、と」
「それで安心できるのですね?」
「え、あ、ライラを襲う脅威が減れば……安心して作戦に参加できるかと……」
「無理ですね」
「え?」
「安心とは、不安を取り除くことでは得られない、と私は思います」
「そんなこと……不安を取り除いてしまえば安心できるはずじゃ……?」
「目の前の不安を一つ取り除くと、その不安の陰に隠れて見えてなかった不安が頭をもたげてくるのです」
「あ……」
「人間界で例えるなら、そうですねぇ……生きて行く上で、多くの財産を築く事が出来れば、将来の生活の不安は無くなります。それで安心できるかと言えば然に非ず、その財産が無くなってしまったら? と不安になり、また蓄財に励みます。そして、もう来世の分まで蓄財出来て、さあこれで安心……と、そうはなりませんでした。今度はその財産を盗賊、暴漢らに狙われるのでは? という不安が出てきました。じゃあ取られないように隠してしまおう、頑丈な蔵や金庫にしまっておこう。でもその次は……家族が誘拐され身代金を奪われるのではないか? と怯え始めました……これ以上は言う必要はありませんね?」
「安心なんて……出来っこないと?」
「いえ、実は彼は、ちゃんと安心を手に入れているのです」
「……あ、あの、ちょっと何を仰っているのか……」
「彼は不安になるたびに対策を練っています。この対策を練るという行為が、不安を取り除くのではなく、不安との付き合い方を覚えることだ、と気付くことこそが安心なのです」
「な、なんか……わかったような、わからないような……でも、不安と付き合うっていうのは、なんとなく……取り除いたって次から次へと出てくるんだから、いっそ不安はあって当たり前、ならばそれとの付き合い方を考えよう、と」
「最初の不安との付き合い方がわかれば、その陰にいる不安は気にならないかもしれませんね」
ちょっと、からかい口調で話すメーテオール。良二は、彼女の柔らかな言葉に包まれていく感じを受け、なんとなく、気が安らいだ心境になって行った。
「う、う~ん、なんか納得できる、いや、屁理屈みたいな……」
「本当に不幸な人、というのは自分が恵まれていることに気付かない人の事だ、と言われる例えもあります。不安と付き合う方法を模索していれば、心安らかになることも見つかるのではありませんか?」
「まずは、目線を変えろか……」
「今回はアデス三界に関わる事態です。そうですね、私も少しだけリョウジさんのお手伝いをしましょう」
「え? なにを?」
「今回の作戦に限り、ホーラと相談してあなた方の、チキュウの知識を活用した手法を認めたいと思います。それによる時の流れの乱れは、私とホーラたち時空神が全力でもって抑えましょう。クロダさんたちと相談して、最も効率的な方法を考案してくださいな」
「え!? い、いいんですか、そんな事? アデスの歴史が混乱するかもしれないんですよ!?」
「この作戦が失敗すれば、産業だの化学技術の革命だの、そんな事を気にする未来もありませんよ? ひとつ、賭けてみませんか?」
「わ、わかりました! なにか、なにか見えて来そうな気がします!」
良二は高揚した。
だが実際のところ、本計画に地球での知識がどれほど功を奏するか、それは全くの未知数である。しかし、ライラの事を考えると、そのわずかな光が例え、濡れた藁の反射光であっても掴みたい。
誠一、容子、美月の知識が合わされば何か、何かが得られるかも?
「本当に、ライラは良い縁に恵まれたのですね」
良二の顔に明るさを感じたメルは、若干感慨を含んだ声で語りかけた。
「猊下は、その……男性と交際したことは……」
「ライラと同じです。年齢=彼氏いない歴ですわ」
……自分もライラと会うまで、そうだったけど……言葉の含みと言うか、重みが全然違うような……何せ彼女らの御年齢は……
「今までは気にもしなかったのですが……ライラにあてられたのでしょうか? ちょっと興味は出ておりますわ」
「そ、そうですか」
「ええ、異世界の殿方に……」
「え、ちょ、猊下?」
「メルと呼んでくださいな。ライラの想い人なら、そう呼ばれて構いませんわ」
「あ、じゃあ、メ、メルさ、ん?」
「リョウジさん? 私のことは考えて下さらなかったのですか?」
「な、なんのこと、で?」
「私が破裂したら、とは思って頂けなかったのですか? 寂しいですわ」
「や! あの! ちょっと!」
「ウフフフフ、冗談ですよ。少しは緊張も緩みましたか?」
別の緊張が走った気がする!
「もう、勘弁してくださいよぉ」
良二は椅子に体を預け脱力した。何かメチャ疲れて、無の境地とは程々遠くの方に飛ばされたみたいにも思える。と、ここで、
「……!」
メルの眼が少し大きく開かれた、いや、目力が強まったと言うべきか?
「?」
メルは自分を見ているが、しかしその焦点は良二を捉えていない。さりとて以前見た、薬を飲まされた少女のそれとはまったく違う、初めて見る不思議な目線。良二の顔に軽く戸惑いの表情が浮かぶ。
メルは立ち上がった。視線を良二にくれたまま、静かにゆっくり良二の椅子に近寄る。
「リョウジさん……」
そう言いながら良二の手を取るメル。
「メ、メルさん?」
メルはそのまま良二の手を引くと、自分の胸に良二の顔をうずめた。
良二は当然、驚愕の極地である。アデスの頂点に立っていると言って良い大神帝の胸に顔を抱かれているのだ。
「リョウジさん?」
「!」
声をかけられた良二。だがその声は自分を求める女性の声でも、恋をまねる乙女の声でも無かった。大神帝メーテオールの声であった。
「この計画、私も出来る限りの事をするつもりです。当初の思惑とは外れてきましたが、やはりアデスはあなた方を必要としております」
メルの声が、まるで良二の耳を愛撫するかのように入り込んでくる。メルの持つ、抱擁の波動? とでも言うか、何かの想いに包まれていく、そんな感じを受けて良二の目はだんだんと力を失っていく。
「改めてお願い致します。ライラと、アデスの力になってください。そのために、今は、今はお休みください。些か拙速ですが、私と一つになって頂きます」
一つに? どういうことだ? まさか性的な意味などでは決して無いだろうし……
しかし良二はそれを問う事も出来なかった。頭の中が、意識が心地よく薄れていく。
――おやすみなさい、リョウジさん……
その声を最後に良二の記憶は途切れた。
確か、良二が空の間に来たのは午前10時だったと思う。ところが今は午後2時前だ。
猊下の、ライラとはもちろん、容子ともカリンともまた違った、安らかになれる心地よいお胸の感触辺りは記憶にあるのだが、昼食も飛び越えて爆睡してしまったらしい。
今回は今までの熟睡と若干違って、目が覚めてすぐなのに、頭の中は実にスッキリしていた。
以前の爆睡みたく、目覚めてしばらくボーっとして、あれ? ここはどこだっけ? なんて事もなく、この空の間に修練に来ていたことも、メルと不安について話していた事もしっかり覚えている。
そういやメルは? と、周りを見回すと、彼女は元の椅子に身を預けて、スースーと寝息を立てていた。二人して一緒にお昼寝を目指す、は成功したのかな?
さて、どうしたものか? 時間も時間、修練は終了の時間ではあるはずだが、このまま黙って帰ってしまうのもアレだし、わざわざお休み中の猊下を起こすのも忍びないし、う~む…………などと考えていると、後ろから修練服を引っ張る手合いが。
良二が振り向くと、そこにはメーテオール付きの側近メイドが指を口にあて、声を出さないでと合図していた。
その後、良二は服を摘まれたまま部屋の外へ連れ出された。
メイドはゆっくりとドアを閉めて、ひと息つくとリョウジに近づき、小声で話しかけてきた。
「猊下を起こしにならなかったこと、感謝いたします。猊下は大変、お疲れになっておられましたゆえ」
「お疲れに? お、俺が何か? 確か猊下に手を取られた後に……その後は……」
「キジマ卿には本来は順次、無の境地になっていただく予定でしたが、退っ引ならぬ事態が起こりました。猊下は御自らの精神とキジマ卿の精神を繋ぎ、仮想ではありますが無の境地を体験して頂く事にされたようで」
「ちょっと待って、ワケが分からないよ」
「これは少々、荒業の範疇に入ります。ゆえに猊下は只今ご静養が必要と相成りまして」
「ますますわからない、一体何が?」
「ご説明は私の口からは……この場は私にお任せいただき、キジマ卿はすぐに宿舎にお戻りください。私にはここまでしかお話しすることが出来ません。ともかく宿舎へ!」




