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澱み

 谷底まであと500mくらいまでに達した誠一たち遊撃隊は、一番意外な人物の体調不良の訴えに戸惑っていた。

 あのラーが咳込み始めたのである。

「ラー、これ以上無理はするな。さっきの退避所で体を休めろ」

「構いません、この程度、ごほっ! ぐほっ!」

 話には聞いていたが……ラーは困惑した。

 これは魔素の(よど)み……などと言うものではない、まるで瘴気だ。

 吸い込むと肺が焼けるような溺れるような、身体が中から腐っていくかの如き気色の悪さ……

 最後に谷底に降りたのは何百年前だろうか? 空気が悪いと思ったことは有るがこれほどに体調を崩した事は無かった。故に、防護マスクが無くても何とか……と思ったのだが……

「み、皆さまは、お変わりありませんか?」

「俺は別段何も異常は無いが……全員、健康状態に異常は?」

 ラーに問われ、誠一は遊撃隊全員に身体の調子を聞いてみた。

「何ともないけど……」

「あたしも」

 容子と美月は誠一と同じく問題は無さそうだ。

「あたしも大丈夫っす。しいて言えば、変な息苦しさは感じるっすけど他に問題は……これが魔素の澱みっすか?」

 メアも平気そうに言う。

「私は……息苦しさと言うか、その……ちょっと臭いです。魔獣とかの臭いでは無いですが……それより雑音が変、と言うか、風の音とか妙な響き方です。下の方に特に感じます」

 犬に並ぶ嗅覚と、犬以上の立体聴覚を持つと言われている狐の獣人であるシーナはより何かを感じているらしい。もちろん身体の様子に異常は無さそうである。

「カリンは?」

「私も大丈夫よ。さあ少佐、先を急ぎましょう……」

「……カリン?」

 誠一はカリンの言い方に何か引っ掛るものを感じた。いつもなら、もたもたしてんじゃないわよ! 的な口調になりがちな彼女らしくない、覇気のない言い方だ。

「カリン、こっちを向け」

「大丈夫だったら!」

 カリンは激しく拒否した。ほぼ答え合わせである。

 ふーっ! 問い正したのは誠一だが、ため息をついたのは容子だった。

 カリンの顎を持ち上げ、彼女の顔を凝視する。

「じゃあ、この赤い目は何!?」

 誠一もカリンの腕を掴んで振り向かせる。

「カリン……」

 容子に言われた通り、カリンの目は真っ赤に充血していた。瞼も腫れぼったい。

「……命令、カリン……」

「イヤよ!」

 言い終わるどころか、内容を言う前からの命令拒否と来たもんだ。まあ、命令の内容など決まりきっているわけだが。

 

 しかし、どうしたと言う事であろうか?

 誠一ら異世界人もかなりレベルが上がったとは言え、まだまだ能力は格上であろうラーの症状が一番ひどく、次いでカリンだ。

 また、異世界人特有の魔素に対する特別なスキルかと思えば、じゃあメアとシーナは?

 彼女らは普通のアデス人だ。だが、多少の違和感は有っても、活動には問題なさそうである。

 ――この差は何だ?

 誠一は妙な引っ掛りを感じた。

 異常が出ているのはアデス人だ。しかし症状に差があり過ぎる。

 アデス人のラーやカリンに異常が出ているからには、今は異常が出ていないシーナらも、この先もしかしたら症状が出る可能性が……?

 誠一は舌打ちした。どれかを選ぶしかない。

「命令だ。カリンとラーは、この上の一時避難所まで戻って待機。俺たちの帰還を待て」

「少佐!」

「反論は許さん! 今のお前の雇用主は俺だ!」

 一刻も早く良二の安否を知りたいカリンは、真っ赤に充血した眼で誠一を睨んだ。

 気持ちは痛いほど分かるが、誠一としてはこれ以上、カリンを同行させるわけにはいかない。何故なら……

「カリン。今のそんなザマのお前を連れて行ったら、俺が良にブッ飛ばされるよ。それと……俺からの頼みだ。ラーに付いて居てやって欲しいんだ」

「セイイチさま……申し訳ありません……」

 ラーが体の不調をこらえながら、若干震えた声で詫びた。

「いや、ここまで連れて来てくれただけでも感謝してるよ。退避所でカリンと二人で俺たちの帰りを待っていてくれないか? 帰りに地上へ飛ぶには、キミの能力が必要だ」

「……仰せのままに……無事のご帰還をお待ちしております」

 これ以上我を張るのは却って誠一の足を引っ張ることになる。

 8魔王ともあろう者が情けない限りであるが、堪えて彼らの帰りを待つのが今の最善の解だと、ラーは自分に言い聞かせた。

「ヨウコ……」

 そう容子を呼んだカリンの目からは眼の異常からか、自分のふがいなさの嘆きからか、涙がこぼれそうになっていた。

「……」

「お願いよ……リョウジを……あの人を……」

「わかってる、まかせて……」

 そう言いながら容子はカリンの顔を胸に抱きしめた。

「よし、これより特別遊撃隊5名は引続き谷底へ前進する。身体に異常を感じたら即座に報告すること。出発、前へ!」

 誠一ら五人は再び底へ向かって歩き始めた。順調にいけばあと一時間くらいで到達できるだろう。だが、そこから落下したギャランドゥ橋の直下までは6~7kmは有るはず。

 まだ先は長い。

「戻りましょう、カリンさん。上の退避所まで行けば、私の回復魔法でもあなたの目を癒すくらいは出来ますわ」

 降りていく誠一たちを見送りながら、カリンは振り向かず黙って頷いた。


                ♦


 予想されたことだ。むしろ今まで魔獣たちの襲撃が無かった方が不自然過ぎた。

 良二は水剣の柄を握り、いつでも起動できるように気を強めた。魔獣らの数、出方が分からないので、防御と攻撃いずれにも対処できる体勢を心掛ける。

 更に尚、五感を研ぎ澄ます。

 良二の変化を見て、フィリアも自分たちに危機が迫っている事に感づいた。

 ゆっくり良二の背中に近付き、そうっとおんぶ紐を緩めて背負ったばかりのポメラを抱きかかえ、岩肌が背につくまで下がり、警戒を正面だけに集中する。

 近付いている……

 空気の流れ? 魔獣の息遣い? 臭い? 呻き?

 どれがどうと断定はできないが、何かが来るのは感じる。

 良二の体毛は産毛の一本一本に至るまで総毛立ち、まるでアンテナのごとく空気の流れを察知しているかの様だ。

 そんな良二の左頬に、何かの騒めきを感じた。

 こっちか……?

 良二はゆっくり左に顔を向けた。

 近い……目を凝らしてみる。以前、誠一に言われた夜間歩哨のコツを思い出した。

 視界中央で見るな、視界の端で感じろ。

 暗いところでは視界中央では像が結び難くなりがちだが、視界中央を注視しつつ、視界の端に気をかけていると対象物の動きを感じ取れると言うのだ。

 ――感あり!

 視界左側の端、何かが接近中。どんな形容かはハッキリしないが四足歩行しているのは分かった。

 良二は柄を脇構えのまま、間合いが詰まるのを待った。

 ――最初から全力だ。湖の討伐後に試した最長刀身で切り払ってやる……

 ガアアァァー!

 雄叫びを挙げながら魔獣が駆け出した! 一気に距離が縮まる!

 魔獣は狼牙だ。やはり人間界よりデカい! 楽に2mオーバーだ。

 刀身は最長で5mほど。接近と振り抜きの速度を合わせて4m辺りでぶった斬る!

 良二は振り抜き始めると同時に水剣を起動し、そのまま向かってくる魔獣めがけて振り斬った。

 バシュイイイィィー!

「え?」

 ドンピシャ! 狙い通り、手前ほぼ4mで狼牙は真っ二つに切り裂かれた。上下二つに切り裂かれる形となった狼牙の屍はその慣性で転がり、血を噴き上げながら良二の足元近くで止まった。

 それはいい。思惑通りの結果だ。

 良二が驚いたのはその切先だ。振り抜いた剣の切先は左側の崖まで届き、岩肌を切り裂いてしまっているのだ。

 岩に食い込んだ切れ目から高圧で送られる水があふれ出して、ど派手な水飛沫を撒き散らしていた。

 ――バカな! 岩まで8mはあるぞ!

 良二は水剣を戻した。見れば、刀身の長さが10m近くある。

 冗談ではない、後へ振り回していたらフィリアたちまで刻んでしまうところだった!

 グアアァアァー!

 第二陣が襲ってくる。今度は3頭ないしは4頭同時だ。

 間合いに入れば、恐らくは飛びかかってくる。一頭なら狙えても複数頭バラバラで飛ばれては狙いが定まらず抜けられる個体も出てくる。

 こんな大型の狼牙の牙にかかってはフィリアやポメラでは即死だ。

 良二は、さっきの10m近い刀身を信じて水剣を左右に振り抜けた。


 結果は、信じたとおりになった。

 狼牙は振られた刀身の餌食になり、最高で良二の5m手前までしか近付けず全滅した。

 ――なんだ? 昨日の今日でもう魔力が?

 驚くより戸惑いの方が良二は強かった。

 この窮地でパワーアップは寧ろありがたい事ではあるが、あまりにも激変に過ぎる。

 刀身が5mまで伸びる事に驚いたのが、ほんの昨日の事である。

 ウォータージェットで噴射される水の圧力は3000気圧を優に超え、速度はマッハ3にも達すると言われている。それが10m先まで持続するなど……いくら魔法がイメージ次第と言えども、良二の理解の許容範囲を遥かに超えていた。

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