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脱出開始

 まだ多少は湿っているものの、良二たちは着用には問題ないくらいには乾いた服を着始めた。そろそろ行動を開始する頃合いだ。

 このまま待つという手もあるが、勝手がわからない以上、魔獣襲撃等のリスクは大して変わらないと良二は踏んだ。

 昇降ルートを目指し、恐らくは自分たちを捜索しに来てくれるであろう、誠一や容子らに少しでも近付こうと考え、フィリアもそれに賛成した。

 とりあえず、ポメラは良二が背負うことにした。

 予想される魔獣の奇襲に対処するには良二が身軽の方が良いが、谷底は平地ばかりではない。

 ただでさえ体力が削られる中ではフィリアにはある程度余力を残してもらい、いざ魔獣襲撃となったら良二がそれを押さえている間、フィリアにポメラを連れて逃げてもらわなければならない。

 しかしそのポメラ、未だに目を覚まさない。

「さすがに、ここまで目を覚まさないと不安になってくるなぁ……」

 確かに落下してからもう一時間以上たつ。落下のショックで気絶しただけのはずだし、お昼寝の時間にしても長すぎる。

「改めて確認しましたが、やはり目立った外傷は全くありませんし、熱もなく、呼吸も脈も安定していますから問題ないはずですが……確かにちょっと長いですね」

「脳や内臓が損傷してたりしなきゃいいけど……」

「それでしたら体調に何らかの変化が出ているはずですわ」

「ですよね。息が荒いとか、嘔吐するとかあれば、そう言うのを疑わないといけないですが……」

 しかし良二の背中で寝息を立ててるポメラには、そんな兆候は微塵も感じられなかった。

 とにもかくにも今は行動だ。良二とフィリアは沢の上流に向かって歩き始めた。

 完璧ではないが、フィリアの指導で良二の肌着と容子が落としてくれた土産物を縛っていたひもを使い、おんぶ紐を作っておぶっているので良二の両手は空いている。

 雑木から枝を落として杖を作り、足元を確認しながら進む。

 速度はかなり制限されるが止むを得ない。

 時々、2mくらいの段差を降りなければならない事も有ったが、フィリアも一緒に抱えて水噴射しながらの降下でしのぎ、深い草むらは良二の水剣で払い除けて道を作って進む。

「僕の前に道は無い、僕の後ろに道は出来る、か」

 草を刈り、フィリアの通る道を作りつつ、良二はふと、この一説を思い出した。

「なんですか? それ。なんだか深い言葉に感じますね」

「授業で習った詩の一部なんですけどね。人生を例えてるみたいです」

「……なるほど、自分の足跡が人生になる、と言う事でしょうか。リョウジさん? その詩、全部教えて頂けませんか?」

「え? いやぁ、実はそこだけしか覚えていないんです。すいません」

 良二は頭を掻いた。

「学校でちゃんと習ったはずなんですけどね。その時は、あまり真剣に考えて無くて……」

「そう言えば、リョウジさんたちのお国は、臣民全員が等しく学校で教育を受けさせてもらえるのだそうですね? すばらしいわ。教育こそ国を、臣民を富ませる最高の施策ですものね」

「ええ、その通りだと思います。でも俺らはそれが当たり前の環境になっちゃってて、そのありがたみが薄くなってたんですよね。こちらに来て、生きていくためにこの国の色んな知識を学ぶ機会を貰いましたけど……今になってようやく、学べると言う事が如何に恵まれている事なのか、実感しましたよ」

「私の母も、教育には国がもっと力を入れるべきだと主張していました。才能と実力、そしてそれを引き出す努力をする者を多く育てて、国の礎とすべきだと」

「素敵なお考えだと思います。あ、そう言えばフィリアさんの御母上は……」

「はい、私が12歳の時に病で他界いたしました。まだ、40歳にも届かないうちに……」

「そうですか。残念ですね……」

「でも、確かリョウジさんはご両親とも……」

「ええ、事故で……今から思えば、もっといろいろ話し合って、学びたかったなって」

「そうですね。私も母に教えて頂きたいことが、もっといっぱいありましたわ……」

 話をしている最中も、「あ、ここの下の岩、尖ってますよ?」などと、良二はフィリアに注意を促しながら先を進んだ。

「黒さんは、親は子を育てると同時に、子は親を育ててるって言ってたなぁ」

「子を持つ親ならではのお考えでしょうか? でも親御さん方も自分は子に育ててもらってるって思ってらっしゃる方って少ないんじゃないかしら?」

「あの人は着眼点が変わってるし」

「年頃も頃合い……リョウジさんはクロダさんを目標になさってますの?」

「黒さんは、自分は特殊過ぎるから見習うなよって、しょっちゅう言うけど」

 良二は苦笑ぎみに答えた。実際、誠一はいろいろな面で世間一般から外れているとは誰しもが思っている。見習うのは結構ギャンブルだと言えそうだ。

「それはそうですね!」

 フィリアもまた、もっともだと言いたげに口に手を当てながら返す。声が転がる様な笑い交じりの口調だ。良二の耳にも心地よい、そんな可愛らしい声だった。

「でも、越えてみたいって言うのは思いますね。あの人、確かに掴みどころの無い人だけど……」

「……4名の女性から求愛され、尚も一途に奥様や息子様方への思いは片時も忘れてはいらっしゃらない……そういうところは見習ってもよろしいかと思いますが、ライラ陛下やホーラさま方をあのように手玉に取るような? あの辺りは見習うべきでは無い、かと?」

「それ、みんなから言われてます!」

 二人は同時に噴き出した。


 出発して小一時間ほどたっただろうか? 足元に気を付けながらの前進のため、距離としては2kmと進んではいないだろう。時計など無いのでハッキリとはわからないが、時刻は大体4時過ぎ辺りだと思われた。

 こんなまともに陽が射さない谷底では、もう真っ暗でもおかしくは無いのだが、なぜか暗さを感じない……と言うか、夜のとばり、くらいには周りがわかる。

「妙だなぁ? もうとっくに真っ暗になってもいいはずなのに、松明も要らなさそうな位には周りが見えますね……」

 良二は一旦足を止めて周りを観察した。

 岩肌等がはっきりわかる訳ではないが、何とかぼんやりと形状とかは認識が出来る。

「そうですね、眼が変に慣れて来たのでしょうか?」

 話しながら顔を見合わせる二人。お互いどんな表情をしているかも見て取れる程度の明るさであった。

「とりあえず、小休止にしましょうか? お腹空いてませんか?」

と、良二が提案した。フィリアも賛同する。

「ええ、お腹の方は大丈夫ですが喉が……お水をいただけますか?」

「はい、どうぞ」

 良二は人差し指を立てて、指先から噴水式の給水機のように水を出した。

 フィリアは髪の毛が垂れないようにちょいと手で押さえながらその水を吸い取るように飲み始める。

 あまり腕を突き出さなかったので、良二には一瞬、フィリアが自分の指を吸っている様に見えて、ちょっとドキッとしてしまった。夕べはライラ相手に燃えに燃えまくったと言うのに、24時間も経たずにこんな感じになるとは……漫画みたいに天使と悪魔が頭の中で、何やら囁き合ってるみたいなシチュが浮かんでくる。


 悪魔「若いんだから仕方ないよ~」

 天使「昨夜の余韻が残ってるんだ、仕方なかろう」


 って、どっちも仕方ないんかい!

「ありがとうございます! とても美味しかったですわ」

「い、いえ! どういたしまして!」

 妙な感情が脳裏をよぎってしまったので、良二は声が上ずってしまった。続いて自分ものどを潤す。

 しかし、自分の魔法で作り、指先から出した水を自分で飲むと言うのは、これまたなんだか妙な感覚に陥った。

 出ているのは飲料に耐える、まごうことなき真水なのだが、自分の体から出てくる液体と言うと汗か涙か、鼻血か小便、そして液体と言うか粘液と言うか……あれくらいしか馴染みがないので……魔法で出してるわけで体から出ているわけじゃないのだから気にすることもないのだが。

 取り敢えず水分補給を済ませ、ポメラを降ろし身体を休ませる。

 谷底へ落ちて服を乾かすあたりから感じていた熱っぽさはいまだに続いているものの、何故か喉はそれほど乾いてはいなかった。飲んだ量はフィリアと同じ程度では無かったか?

「おかしいですね……」

 フィリアが呟いた。

「あ、そう思いますか?」

 良二は答えた。が、答えながらもちょっと違和感を感じた。

 自分が熱っぽいと言う事は焚火の前でも言ったが、フィリアが同様の症状を訴えたことは無かったはずだ。

「ええ、いくらなんでもいい加減目覚めて良いはず……」

 ――あ……

 良二は勘違いをしていた。フィリアが疑問に思ったのはポメラの事だったのだ。ちょっと赤面。

 しかしポメラちゃん。確かにフィリアの言う通り、そろそろ起きたり愚図ったりしてもいい頃のはずだ。

「この子くらいだと、まだ食も細いから間食は欠かせないはずです。もうとっくに空腹を訴えてもおかしくないのですが……」

「おまけに、おぶられているとは言え、結構上下動とかで揺らされているし、それでも目覚めないって……」

 イヤな予感がしてくる。

 脳死……は自力呼吸も出来ないはずだから、いわゆる植物状態?

 いや、それなら脳に何らかの衝撃、負傷があるはず。減速時のGや着地時の草木、沢への着水の衝撃……あの程度でそこまで脳だけに、そんな負担が掛るものなのだろうか?

「……とにかく脈も呼吸も正常なのはちゃんと生きてるって事だし、例えこのまま目覚めなくても医者に見せれば原因がわかるはず……」

「やっぱり、ぐずぐずしていられませんね。リョウジさん、休憩もそこそこですので申し訳ありませんが一刻も早く地上へ向かった方が……」

「そうですね、すぐ出発しましょう。ポメラちゃん、おぶるの手伝ってくだ……さ……」

 ザワッ!

 良二の全身が総毛立った。

 自分の索敵能力はシーナたちの足元にも及ばないはずだが、それでも何かを感じた。

 良二は目を凝らし、ゆっくりと辺りを見渡した。

 こんな、人外魔境とも言える谷底で感じる気配の正体など考えるまでもない。

 良二とフィリアたちに向かって、魔獣が近付いているのだ。

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