舅と姑
ライラの部屋を出たラーは、念話で部下にある程度、本日の業務への指示を出した後、自分の屋敷で休日を寛ぐ誠一のもとに赴いていた。
誠一の部屋に直接転移し、洗顔が終わったばかりの彼の背後に転移してきた。
髭のそり残りを鏡を睨みながらチェックしていた誠一は、そこに映るラーを視認して、鏡越しに微笑んだ。
「お? おはよう、ラー。ん~? キミたちは今日は仕事……」
そう言って朝の挨拶をする誠一。ラーはそれを遮るように彼の後ろから抱きつき、その背中に自分の頬を擦り付けてきた。
「ラー?」
誠一としては、彼女に突然抱きつかれるのは別に珍しくなく、むしろ茶飯事ではあるが今日のラーは何か違っていた。
身体が、そこはかとなく震えている、そんな雰囲気を纏っている。
何かがあったのだろう事はわかるのだが、今のこの状況だけでは好事か凶事かは残念ながら判断はつきかねる。
誠一はゆっくり振り返ると彼女を抱きしめ、その漆黒の髪の毛を撫でながら「どうしたのかな?」とそっと囁いた。
囁かれたラーはゆっくりと顔を上げた。その彼女の顔は、目を潤ませながらも、にっこりと微笑んでいた。
「……そう、か……」
誠一は何となくわかった。
ラーがこれほど喜んでいるのはライラ絡み以外にはあり得ない。
恐らくは気にかけていたライラと良二の仲が進展したのだろう。
しかも彼女の喜び方からすれば、かなーり良い進展。
――そうか……男になったか良二。しかも最高の形で……
誠一はラーの顎を指で優しく持ち上げると、自分の唇を彼女の唇に重ねた。
ラーも自分の腕を誠一のうなじに回し、更に強く抱きついた。
祝いの盃代わりのキス……というと何か引っ掛りもあるが、二人は今の気持ちを何らか良い形で表したかった、そんなキスだった。
「ふ~む……初対面からずいぶん時間がかかったもんだな」
ラーとベッドに二人で横たわりながら、誠一は苦笑交じりに言った。
「一つ肩の荷が下りましたわ」
「まるでお母さんだね?」
言われたラーは誠一の脇腹を軽く抓った。ちょっと身体を捩る誠一。
「アウチ! ん~、それじゃあ、お姉さんかな?」
「そんなんじゃありませんよ。ただ……陛下が心の芯からの支えを得たこと、それが嬉しいんです。リョウジさんは、今はまだ、足元も覚束ないでしょうが、やがて……やがて我々8魔王や12神と肩を並べる、いえ、それ以上に陛下を支えてくれるものと期待しておりますわ」
「ライラちゃんの支えか……」
「心の底から甘えられる相手……と言い換えてもよろしいかと」
「お互い引かれ合って選びあって、色んな邪魔やら、しがらみがあって、やっとたどり着いた結果だ。この縁、大事にしてもらいたいもんだね……しかし」
「……しかし? なんですの?」
「前から一度聞いてみたかったんだが……キミはどうして、そこまでライラちゃんに入れ込むんだい?」
「私……ですか?」
「キミは、元々は最上級12神の一人だったと聞いている。そのキミが堕天までして彼女に忠誠と敬愛……そう、愛情と言っても良いくらいの思いを感じるんだが?」
そう訊ねる誠一の目をラーは、じぃっと上目遣いで彼を見つめた。
「いや、人に言いたくない事なら無理には……」
「初……」
「え?」
「初恋、と言ったら………お笑いになります?」
誠一を見つめつつ、ラーはさらに顎を引いた。上目遣いが自然と強調される。対して誠一は、
「フ! ククク! アハハハハハハ……ハハハハ……」
と、静かに噴き出した。決して大笑いではないのだが、やはりどこかツボったみたいで右手で目を覆いながら笑い続けた。
「も、もう、いけず! そこまでお笑いにならなくても!」
と、当然、ラーはお冠。
「ご、ごめん……ハハハ。いや、可笑しいわけでもバカにしてるわけでも……ククク」
「もう!」
ラーさん、顔を真っ赤にしてプンスカモード。
「ごめんよ、ホントにバカにしてとかじゃ無いんだ。どう言うのかな? うーん……こんな感じの理由かな? と予想してたら矛盾が出てきて、やっぱ違うかな? とか何とか思ってたら、そのう……その、そのすべてがピッタリ嵌った、と言うか、矛盾すら嵌り過ぎほど、理由として嵌った、と言うか……」
誠一は、まだまだ不機嫌継続中で睨んでくるラーの髪の毛を撫でながら続けた。
「あ~、うまく言葉に出来ないんだけど、それでぜんぶ納得した。呆れかえるほど納得しちゃった。で、その嵌り具合の見事さに、なぜか笑っちゃった」
「意味が分かりませんわ!」
「とにかくさ……」
睨み続けるラーの耳元に誠一は口を寄せた。
「キミがライラちゃんの事を心から愛してると言うことは、確かに伝わったよ」
「……セイイチさま」
「色恋沙汰の愛とか、友愛とか敬愛とか、家族の様な愛とか……その全てでもあり、全てでも無しとでも言えばいいのかな? ホント言い表すのが難しい、言葉の限界を超えてるよ……それで、それがもう、長いのかい?」
「いつ頃のことだったかは、もう忘れましたわ……とにかく、ずいぶん昔です。いつも通りホーラさまとやりあって、ケガを癒している時に、陛下が『大丈夫?』ってお声を掛けて下さったんです。今の陛下より、いくぶん幼い面持ちの頃だったと思いますわ。その私を心配して下さっていただいた時の眼差し……キョトンとしたような、訝しんでおられるような、ご心配頂いてるような……セイイチさまと同じですわ、言葉の限界を感じます。あの日以来、私の人生はライラ陛下に……ライラ陛下の笑顔のために……」
ラーはそう言うと、もう一度、誠一の胸に顔をうずめた。
誠一も、そんなラーの顔を抱きしめた。
「それに絡んで……もう一つ聞きたいな」
「? なんでしょう?」
「ラー、キミは良を地球に帰す気は無いな?」
「………………」
「例え自分が誰からも、どれほどの大勢から恨まれても良をライラちゃんのもとに……そうだな?」
「………ご憤懣……で、ございますか……?」
「勘違いするなよ? 良が自分で見つけた答えなら、それがどうあれ認めるべきさ。それの後始末に俺が必要なら……拭けるケツならいくらでも拭いてやる。ただ、あいつも辛い立場にある。あいつが残れば容子も残るだろう。だがあの娘には親姉妹がいる」
「しかしながら、ヨウコさん御本人がそれを選んだとしたら……」
「それこそ俺と言うケツ拭きの出番だ。信じてもらえる可能性は低いが、俺が親御さんに容子の言葉を伝えにゃならん」
「……まるでお父さんですわね?」
「ん? ふふ、やり返されたか。ま、俺もそこまで傲慢じゃない、ほんの少しでも肩代わりが出来れば……そうであれば嬉しいところだがな。良も、容子も美月も可愛いよ。あいつらの決めた将来を、選んだ道を進むこと、後押ししてやりたい」
「私は……リョウジさんはこちらに残っていただけると、そう思っております。セイイチさま、あなたとは違って……」
「ああ……」
「あなたは絶対にお帰りになる、奥様やご子息のもとへ」
「その通りだ」
「そうでなければ……私はここまでセイイチさまをお慕いしたりはしなかったでしょう。恐らくはホーラさまも、メアもシーナも……」
「良ではないが……俺はそれほどの男なのかねぇ」
「先ほどと同じです、言葉では言い表すことが出来ないのです……もどかしいですわ」
根を張り過ぎた……
誠一はそう思う事が多くなった。
覚悟は決めたつもりであったが雲行きが変わってきた。と言うより違ってきたと言った方が近いか?
正直なところ、ここまで自分がアデスの世界に食い込んでしまうとは想定外だった。
精々が日本に帰る日まで生き残るために、木っ端役人の真似事で生き永らえようと、それくらいの心持ちであったことは否定できない。
それが今や王侯貴族か、それ以上の存在となりつつあるワケだから夢幻なんてレベルじゃとても追いつかない。
悪い冗談などと軽口すら叩けないほどなのに、その役割を背負う事に対する不安や恐怖を抱えていない自分に二重に驚く。
最大の不安は今でも尚、
妻子と会えなくなる事……
それなのだ。
「セイイチさま? 本日は確か、お仕事はお休みですよね?」
「ん? ああ、そうだよ。何か予定でも?」
「よろしければ、皆さまご一緒に魔界観光などいかがでしょうか? 昨夜話題になったウドラ様とギャランドゥラ様の決闘場、ウドラ峡谷でしたら竜車でも日帰り出来る距離ですわよ?」
観光か……良二たちの意向も聞かなきゃいかんが、骨休みには悪くないかも? と、誠一はラーの提案を受けて思った。
――しかし……?
ラーは今、馬車と言わず竜車と言った。
確かに初日の馬車は翼竜が引いてくれていたが、普通に地上を走っていて……誠一はちょっと気にかかっていた。




