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25.社畜と女子高生と素直になれた日

 少し落ち着いた俺たちは、暑くなってきたのでコートを脱いだ。理瀬にコーヒーを淹れてもらい、二人で飲みながらチョコレートを食べた。俺は理瀬が作ったプレゼント用を、理瀬は手作りした時の余りをかじった。ものすごく甘かった。この世で一番甘い食べ物のように思われた。もちろん、俺の気持ちが甘くなっているからだと思う。

 ほどなくして、理瀬の方から俺の体に近づいてきた。上着を脱ぎ、シャツ同士で身を寄せ合うと、理瀬の体の細さと柔らかさがダイレクトに伝わってきた。しかし不思議と性的な気持ちにはならなかった。今までお互いに気を使いあっていた部分が一気になくなり、安心感で満ちていた。毛布の中のように心地よい暖かさだった。

 そのままの格好で長い時間が過ぎた。俺は理瀬の長い髪を撫でてやった。自然にそうしたい気持ちになったからだ。理瀬は俺に身を任せ、「ふうん」と変な声を出していた。

 しばらくすると、理瀬は顔を上げて、俺の顔をまじまじと見はじめた。


「どうした?」

「……ん」


 すっ、と理瀬が顔を近づけてきて、俺に頬ずりをした。

 理瀬は、明らかにもっと進んだスキンシップを求めていた。本当はキスがしたかったのだろう、と俺は思った。理瀬にとって、そういうことは初めてなので、どう誘えばいいかわからないのだ。

 おそらく、少しずつ体を近づけて、どこまで許されるのかを試している。誰かに入れ知恵されたのか、自分で考えたのかはわからないが。

 俺は、理瀬の体を離した。


「あれ……?」

「どうした?」

「……宮本さん、わかってて意地悪してますよね?」

「さあ? 言ってくれないとわからないな」


 つい意地悪してしまう。こういう時、顔を赤くして「……ばか」とつぶやいてくれたら、最高なのだが。


「キスがしたいです」


 理瀬はストレートに言ってきた。今度は、俺が焦る番だった。理瀬がシンプルにそういうことを伝えてくるとは思わなかった。

 相手は女子高生。初日からこんなに進めていいのか。段階を踏むことにドキドキするお年頃じゃないのか。


「宮本さんには、ちゃんと言わないと伝わらないので」

「お、おう」

「しても、いいですか?」

「初めてなんだろ?」

「……子供の頃、お母さんと何回もしたので、頬にするだけならできると思いますよ」


 そう言えば和枝さんは外資系の社員で、思想も生活週刊も欧米チックなのだった。ハグやキスは当たり前のコミュニケーションツールだから、案外、抵抗がないのかもしれない。


「好きにしな」

「……はい」


 俺は目を閉じて待った。すぐに柔らかいものが頬に当たった。勢いがつきすぎて、頬骨にこつっと衝撃を感じた。


「下手くそだな」

「……じゃあ、お手本を見せてくださいよ」


 理瀬が目を閉じた。俺は二本の指で理瀬の下顎をつかみ、顔をちゃんとまっすぐ向けてからゆっくり唇どうしを重ねた。ずっとそのままでいたら、緊張して息ができず呼吸困難になった理瀬の肩が上下しはじめた。

 一度唇を離すと、理瀬はぷはあっ、と息を吐いた。

 間髪を入れずにまた理瀬の顎をつかみ、今度は押し倒すように強く唇を当てた。舌で無理やり理瀬の唇をこじ開け、口の中に侵入させた。驚いてのけぞった理瀬が逃げられないように、背中に手を回してがっちりと抱いた。体を密着させたままディープキスを続け、理瀬が我慢できず、身をよじっているのを全身で感じた。

 理瀬を解放してやると、さすがに驚いたのか、俺と少し距離をとって座り直した。

 ここまでされるとは思っていなかったようで、理瀬はしばらく興奮ぎみに息を荒くしていた。


「すまん。やりすぎた」

「いいですよ……もっとしてほしいですよ」


 俺は、自分自身のスイッチが入ってしまったことに少し後悔していた。男女であんなに近い距離にいたら、いずれそうなるとは思っていた。ただ、俺の欲望で理瀬にぐいぐい迫ったせいで、少しでも彼女を傷つけるのは嫌だった。少しクールダウンしなければ、と俺は思った。


「あの……」

「何だ?」

「シャワー浴びてきますよ」

「……何のために?」

「……わかってるくせに」

「いや、すまん、それはそうなんだが、今日そこまで進むのは早すぎないか、流石に」

「私は別にいいですよ。宮本さんは、私とそういうこと、したくないんですか」


 普通にしたいし、実際シャワーを浴びさせる隙も与えないレベルで押し倒してしまったのだが、体を離して冷静になると、やはり早すぎるのではないか、という気持ちが先行した。


「未成年とそういうことしたら俺が捕まるんだよ」

「それは私、ちゃんと調べましたよ。何回も調べました。結論から言うと、性的な楽しみを目的としたみだらな行為が禁止されているだけで、愛があって普通にするのはいいんですよ」

「えっ、そうなの?」


 法律をまともに調べた訳ではない俺は、とにかく未成年と何かしたらアウトなのだと思っていた。さっきのディープキスですら危険な行為で、後になってやばい、と思ったくらいだ。


「私はいいんですけど……宮本さんは、やっぱり嫌ですか」

「やっぱり、ってどういう事だよ」

「宮本さんは私のこと、子供だと思っているからですよ」


 そこは否定できなかった。俺は理瀬に小さな恋心まで感じてしまったが、それでもまだ未成熟な子供だとは思っている。女子高生になれば体は大人なのだが、精神的に受け入れる準備がなかれば、それをするのは難しい。


「篠田さんとはそういうことできるけど、子供の私とは、できないんですよね」


 そう言って理瀬は、俺と篠田が一緒に住んでいた部屋の扉をちらり、と見た。

 これで俺は、理瀬が何を言いたいのか悟った。俺と篠田がこのマンションに住んでいた頃、理瀬は俺たち二人が夜中に何をしていたか、とっくに気づいていたのだ。


「これ、言ったらすごく怒られるかもしれないんですけど……一回、私が夜中にトイレへ行った時、扉が少し開いていたことがあるんです」

「……見たのか?」

「ごめんなさい」


 理瀬がそんなことをするとは思わなかった。真面目そうに見える理瀬にそういう好奇心があって、実際に覗いてしまうとは。


「あの……、私、その……、宮本さんのことが好きなのに、宮本さんは私と違う女の人としてて……なんていうか、もう、言葉にできないんですけど……」

「……すまん。篠田と二人でここに住むなんて馬鹿な事、しなけりゃよかった」

「そう提案したのは私ですし、ちゃんとしたルームシェアだったので、文句は言えないですよ。私が宮本さんを好きになってしまったのがいけないので、宮本さんに罪はないですよ」

「それでも謝るよ。俺がもう少し気を使えればよかったんだ」

「もうその事はいいですよ。ただ、その、宮本さんが篠田さんや照子さんとしてきたことを、私にはしてくれない、というのが、どうしても悔しいんですよ」


 男を好きになった理瀬はこんなにもストレートなのか。もとからそうだったのか、中途半端な俺が与え続けたストレスのせいでこうなったのか、俺にはわからない。ただ、とにかく今は理瀬の思いを全力で受け止めなければならない。

 理瀬はその場から逃げるようにシャワーへ向かった。ここはもう諦めて、一線を越えるしかないのか。

 シャワーが流れる音を聞きながら、俺はじっと考えた。

 据え膳食わぬは男の恥。しかし、理瀬はまだ女子高生。はじめてが俺みたいなおっさんなんかでいいのか。でもこういう中途半端な気持ちで、今まで知らないうちに理瀬を傷つけてきたんだ……

 堂々巡りを繰り返していたら、机の上にあった理瀬のスマホが鳴りはじめた。

 最初は無視していたが、着信音はいつまで経っても鳴り止まなかった。

 おかしいな、と思って画面を見ると、和枝さんの入院している病院の名前が表示されていた。

 その瞬間、俺は一気に現実へ引き戻された。

 ものすごく嫌な予感がしたのだ。

 俺は、電話をとった。


『もしもし、常磐理瀬さんですか』

「あー、えっと、常磐理瀬の知り合いのものですが」

『落ち着いて聞いてください。常磐和枝さんが先程、心肺停止でICUへ運ばれました』


 俺は、スマホを手から落としてしまった。

 バスタオルを体に巻いた理瀬が、緊張しつつも無邪気に期待しているようなほころんだ顔で、俺のところへ向かっていた。

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