16.社畜と女子高生と年末の大渋滞
十二月二十八日の、正午すぎ。
俺は愛車マークXで千葉の家を出て、豊洲で理瀬を拾い、首都高に乗った。
何度乗っても覚えられない首都高の迷宮を抜け、東名高速へと続く3号渋谷線に合流する頃には大渋滞。年末年始お決まりのパターンだ。
理瀬が助手席に乗っているので、運転は慎重にしている。タクシー以外の車に乗ったことがないという理瀬は、首都高からの景色を不思議そうに眺めている。ほとんど防音壁だが。
「どうして、わざわざ車で帰るんですか」
渋滞にハマり、景色が変わらなくなったところで、理瀬が話しかけてきた。
「んー、いろいろ理由はあるけど、主に二つだ。一つは、前に飼っていた三郎太を輸送するため、前々から車で実家に帰ってたから。新幹線には乗せられるが、正直恥ずかしいからな。あともう一つ、俺の実家の徳島県は自動車社会だから、体ひとつで帰っても移動するための足がない」
「昨日調べたんですけど、新幹線と在来線なら半分くらいの時間で行けますよ。飛行機だと二時間くらいです。足ならレンタカーを借りればいいと思います」
「もう慣れたからいいんだよ。あんまり早すぎると、遠くに帰った気がしないからなあ」
飛行機や新幹線で帰ったこともあったが、あまりの速さに実家がとても近いような錯覚を覚えて、複雑な気持ちになった。
正月は、苦労して帰省するのが似合っている。いつからかそう思うようになった。
そんな話をしながら最初の渋滞を抜け、駿河湾沼津サービスエリアで休憩。新東名高速のサービスエリアはどれも新しく、綺麗だ。帰省客を見込んで屋台やキッチンカーが並び、家族連れで賑わっている。
「なんか食うか」
「値段の割に大したことなさそうなので、別にいいですよ」
「お前、今すべてのサービスエリア好きを敵に回したぞ」
サービスエリア特有の空気は気に入らなかったようだが、展望台から見える駿河湾の景色はとても綺麗で、理瀬も満足していた。
ひたすら新東名高速を進む。静岡県を一気に抜けて岡崎サービスエリアで再び休憩をとり、新名神高速に入る。
新名神高速の草津ジャンクション付近は毎年、異常に渋滞している。手前の土山サービスエリアのコンビニで軽く菓子パンをつまんでから、意を決して進入。案の定、休日だけ運転するドライバーにありがちな本線の何もないところでの事故が発生していて、通過するのに二時間かかった。高速道路で事故したやつはしばらく運転禁止にしていいと思う。渋滞による経済的損失は半端ない。そう言ってみたら、理瀬は意外にも素直に賛同してくれた。助手席の彼女も、渋滞にはうんざりなのだ。
理瀬が足元をもじもじと動かしはじめたので、渋滞の真ん中にある草津サービスエリアで小休憩。トイレに行きたかったのだ。
女性と一緒にドライブするときは、トイレのタイミングを考えないといけない。照子は「おしっこもれる~!」と騒いでいたが、理瀬はそういうタイプではない。草津サービスエリアに入る時も「私は大丈夫ですよ」と言っていたが、そう長くはもたないし、ちょうどいいタイミングでサービスエリアが現れることはない。俺自身が我慢できないことにして一度サービスエリアに入った。
もう日も暮れていたので、一気に明石海峡大橋を抜け、淡路サービスエリアに入った。
ここは実家にいた時代も含め、よく立ち寄ったサービスエリアだ。夜に訪れると、明石海峡大橋のライトアップが展望台から見える。あとなぜか最近、小さい観覧車ができた。
理瀬を展望台まで案内してやると、夜の海に浮かぶ虹色の明石海峡大橋をじっと眺めていた。
「綺麗だろ? あのライトアップ、何パターンもあるんだぞ。連休とかは特別な色になるから、今日みたいに虹色になってる」
「なんか、遠くに来た、って感じがしますよ」
瀬戸内特有の優しい潮の香を感じると、俺は「ああ、実家に帰ってきたんだな」と感じる。
理瀬も、東京とは明らかに違う空気を感じて、そう言っているのだろう。それをわかってくれたなら、渋滞を乗り越えてでも理瀬をドライブに付き合わせた意味はある。
明石海峡大橋を渡ったら、あとは淡路島をひたすら走って徳島県へ。もう渋滞とは無縁で、車はすいすい走る。理瀬は流石に疲れたのか、眠ってしまった。徳島に入ったら、鳴門の大塚製薬の倉庫にあるでかいオロナミンCの絵を見せてやろうと思ったのだが、寝ている理瀬を起こす気にはなれず、俺は一人で車を走らせた。
** *
徳島市へ入ったころには、もう日付が変わっていた。
東京と違って、徳島の夜は表通りでも街路灯があまりなく、暗い。俺は慣れているが、理瀬は少し不安そうだった。
徳島駅前のホテルで理瀬を降ろす。さすがに駅前は明るく、コンビニもある。理瀬とは明日以降、俺が家族と過ごす時間を確認してから、行動することになっている。
危険な場所ではないとはいえ一人なので、何かあったら俺に連絡するよう伝えている。
理瀬はまだ眠気が覚めないようで、「ありがとうございました」とさえない声で言い、ホテルに入っていった。
俺の実家へは、そこから車で十五分程度。狭い市街地の道だが、慣れ親しんだ場所なのでカーナビを全く見ず、最短ルートで直行できる。
実家では、電気が全くついていなかった。両親は寝ているらしい。俺は物置の軍手の中にある隠し鍵を手に入れ、さっさと家に入った。
玄関を開けたところで、母親が二階から面倒そうに降りてきた。
「あいかわらずとんでもない時間に帰ってくるなあ」
車で帰るときはいつもこの時間だったので、母はそれを覚えている。うちの母は俺に似て(?)シャイだから、久々に俺の顔を見ても特に喜んだりしない。わざわざ起きてくることが唯一の気遣い。俺はこれでいいが。
「父さんは?」
「寝とる。明日も仕事やって」
「ふうん。真由は?」
「大晦日まで佐田くんと東京に旅行いっとるわ」
「なんだ、入れ違いか」
真由とは俺の妹・宮本真由のこと。そして佐田くんとは、妹の彼氏である佐田健のことだ。
今回わざわざ帰省したのは、この二人が年明けに結婚すると報告されたからだ。正月に両家で顔合わせをして、その後結納やら結婚式に進む。徳島の人は信心深いから、昔からある結婚の儀式はほぼ全部コンプリート。両家顔合わせも、どこかの料亭でやるそうだ。
もっとも、俺はそこまで緊張していない。俺は佐田健のことをよく知っている。俺が高三の時、同じ高校の一年生として合唱部に入部してきた後輩だからだ。先輩にはとても従順でいい奴だった。「宮本先輩のことを尊敬しています」と言って、俺のあとの部長にもなった。そういう男なので、妹と結婚してくれて全然構わないのだ。
佐田の両親にも、合唱部の演奏会を見に来てくれたときに話したことがある。そんなわけで、両家顔合わせといっても初対面の人間は誰もいない。気楽なものだ。これが東京には絶対にない、地方社会の狭さである。
俺は母親と少しだけ話したあと、風呂に入り、冷蔵庫のアイスクリームを取って自分の部屋に向かった。いつも安いアイスだったはずだが、ハーゲンダッ○が入っていた。母親が気を使ったのか、収入が上がって我慢しなくなったのかはわからないが、ありがたくいただいた。
俺の部屋は、高校を出た時からほとんど変わっていない。上京したときに家具は全部新調してもらったから、ベッドや勉強机も以前のまま。思わずタイムスリップしたような気持ちになるが、そこにいる俺の体は高校時代と比べて全体的にはりがない。この空間で俺だけが古くなってしまっていて、寂しさを覚える。
久々の実家にそわそわしながら、俺は理瀬にLINEを送った。
『明日、九時に迎えにいく』




