14.社畜と二日酔い
目覚めた時、俺の体は鉛のように重かった。
幸いにも、クリスマスの翌日は土曜日で、会社に行く必要はない。というか、そうでなければ俺と篠田はそこまで飲まなかった。二十代半ばに差し掛かると、大量の飲酒は翌日の仕事に影響するからだ。
俺よりも先に理瀬、篠田、照子が起きたらしく、カウンターで朝食をとっていた。ソファで寝ている俺だけが、一人放置されている。
「ぬおお……」
頭を押さえながら、俺は体を起こした。
「あっ、剛が起きた」
照子がまるで他人事のように呟く。二日酔いの朝だというのに、ご飯と味噌汁と昨日の残り物の肉を食べている。
篠田はその隣にいたが、まだ気分が悪いのか、温かいお茶だけ飲んでいる。
理瀬もご飯と味噌汁を食べていた。「とりあえず朝食にご飯と味噌汁を食べておけば、糖分と塩分が十分に補給されてエネルギー切れを起こさず一日過ごせる」と、いつか教えた記憶がある。「特に二日酔いの日は脱水症状になりがちだからおすすめ」とも言った。理瀬はその教えを守っているらしい。まあ、理瀬は酒を飲んでいないから、関係ないのだが。
「宮本さん、大丈夫ですか?」
理瀬が俺の近くに来た。他の二人は、これ以上動くための力は残っていないようで、理瀬をぼんやりと目で追っている。
「昨日は、すまんかった」
「いえ、気にしないでください。気分がよくなるまで、ゆっくりしてくださいよ」
「うーん……」
体を無理やり起こしてみたものの、まだ全身が重く、食欲はない。吐き気はわずかなので、理瀬の家をゲロまみれにすることだけは防げる。
「水……」
「はい。持ってきます」
理瀬が早足でキッチンに戻り、水を入れてくれた。
「スピリタスじゃないよな?」
「私はあんなことしませんよ」
「ああ、すまん。疑わずにはいられないんだ。トラウマってやつだな」
照子をにらみながら、俺は水の匂いをわざとらしく嗅いで、無臭であることを確認してから飲んだ。いつもの照子なら悪びれて笑うところだが、今日は生気がないのでろくに反応しなかった。
「うち、今日の夜ラジオの収録やけん、一回帰って準備せなあかん」
「私も、明日から実家に帰る予定なので、帰って準備しないと」
どうやら二人はさっさと帰るつもりのようだ。篠田が洗い物をして、その間に照子が残っていた酒瓶を全部回収した。
「剛はまだおるん?」
「ああ、動けなくはないが、できるならそうしたい」
「ふうん。うちと篠田ちゃんはもう帰るわ。あんまり長居せられんじょ」
「わかっとるわ」
こうして二人は帰っていった。帰り際、篠田は五千円札を、照子は一万円札を理瀬に出した。理瀬は「お金はいいですよ」と断ったが、照子が「気持ちの問題やけん」と言って、篠田も同意した。俺も受け取った方がいいと思うので、軽くうなずいた。理瀬は受け取ることにした。
リビングには、俺と理瀬の二人が残された。
「あの、これからどうしますか」
「とりあえずシャワー浴びたい」
「いいですよ。篠田さんも照子さんも、朝起きてすぐに使ってましたよ」
俺はお言葉に甘えて、シャワーを浴びた。熱いシャワーを浴びると、衰退していた体の感覚が蘇ってきた。スピリタスにやられたが、俺はもともとあまり酔わないし、酔いが覚めるのも早い。体中をきれいに洗い、出た後は俺が置いていた歯ブラシでしっかりと歯を磨いた。それでも酒臭さは抜けていなかったが、ずいぶんマシな姿になった。
シャワーから出ると、理瀬が味噌汁をあたためて、俺を待ってくれていた。
「昨日の残り、何か食べますか」
「いや、それはいい。まだそこまで食欲がない」
「お味噌汁に、卵でも入れましょうか」
「……いいな、それ」
ちゃんとした味噌汁に卵を入れて食べるなんて、何年ぶりだろうか。実家で母親がたまにそうしてくれた時はあったが、上京してからはずっとインスタントの味噌汁ばかり。ダシを取る手間すら、一人だと面倒に感じていた。上京前に料理を教え込まれたから、理瀬に教えるくらいにはできるのだが、とにかく一人ではやる気にならなかった。
理瀬の味噌汁はうまかった。味噌以上に煮干のダシが聞いて、奥深い味わいがあった。
「料理、上手くなったなあ」
「そうですか? レシピ通りに作ってるだけですよ」
「レシピどおりに料理ができるのはある種の才能なんだよ。朝飯、ありがとうな」
「いえ、お気になさらず」
当たり前のように受け取ってしまったが、二日酔いの翌日にこんなあたたかい食事があるなんて、俺はものすごく恵まれている。一般的な二日酔いの翌日は、一人で気分の悪さと深酒の後悔に苦しむだけで、後味の悪いものだ。
とはいえ、まだ体は重い。意識がはっきりして、動くことは問題なさそうだ。気合を入れれば、家までは一人でたどり着けるだろう。
「帰ろうかな」
「えっ、無理しない方がいいですよ」
「照子と篠田だって、一人で帰っただろ。俺も大丈夫だよ。クリスマスの日に俺みたいなおっさんと二人きりなんて嫌だろ」
「別に、嫌ではないですよ、宮本さんと一緒にいることは」
「和枝さんとは会わないのか? 今日がクリスマス本番だろ」
酒盛りをした昨日はイブで、今日がクリスマス。理瀬はクリスマスを家族で過ごすものだと言っていたから、俺より和枝さんと一緒にいるべきだ。
「昨日の昼間に会ってきましたよ。お母さん、お酒も豪華な料理も禁止されてるので、無理に祝ってくれなくていい、って言ってましたよ。だから今日は行かないつもりですよ。もう冬休みなので、しばらくは毎日時間がありそうなので、そう頻繁に行く必要もないです」
「ああ、そっか。高校生は冬休みだもんな。いいなあ冬休み」
「特にすることもないですよ」
「することがない、ということは一つの幸せなんだよ」
俺は朝飯を食べ終わり、理瀬と一緒に後片付けをした。
「昨日の片付け、もうやったのか」
「はい。昨日の夜、みんなが寝てからやってしまいましたよ」
「朝まで置いといて、俺達に手伝わせてもよかったんだぞ」
「残ったお料理が多くて、すぐ保存したかったので……それに最近、食器とかが放置されていると、体が勝手に動くんですよ」
「なんか、おかんみたいになってきたな」
談笑しながら、ゆっくりと時間を過ごす。パーティがハイテンションな時間だったぶん、理瀬と過ごすゆるやかな時間が、ちょうどいい熱さの温泉に入っている時にように心地よい。
片付けを終え、理瀬はエプロンを脱いだ。続いてなぜか部屋着用のパーカーも脱ぐ。全室セントラルヒーティングの部屋だから長袖Tシャツ一枚でも寒くないのだが、わざわざ脱ぐ理由はよくわからなかった。後片付けで動いたから、体が温まったのだろうか。若いっていいね。
「あー、やっぱ寝たい。動いたら疲れた」
「いいですよ。私も昨日、遅くまで起きてたので、もう一眠りしたいです」
「すまんな。あっちの部屋借りるわ。おやすみ」
そう言って、かつて篠田と一緒に住んでいた部屋に向かうと、ベッド上から布団とシーツが消えて、マットレスだけ置かれていた。
「そっちの部屋、しばらく使わないと思ったので、シーツは片付けちゃいましたよ」
「そっか。じゃあソファで寝るか」
「私のベッドでいいですよ」
「……ん? 今からお前も寝るんだろ?」
「はい。一緒に寝ましょうよ」
「はい?」
俺は、耳を疑った。
一緒に住んでいた頃も、理瀬の部屋はプライベートゾーンだと認識していて、めったに入ることはなかった。入ったのは、停電でパニックになった時くらいだ。
「……なんで?」
まったくもって理解不能だったので、俺はシンプルに聞き返した。
「シーツを片付けてしまったし、ずっとソファで寝るのはよくないからですよ」
「俺、自分でシーツ出そうか?」
「予備はもうないですよ」
「隣におっさんが寝てたら邪魔だろ」
「邪魔じゃないですよ……ほら、早く行きましょうよ」
理瀬が俺の手を引っ張る。少し抵抗したが、理瀬がおそらく彼女の持つ全力で引っ張ってきたので、俺は従った。
俺がまず横になると、理瀬も続いた。ダブルベッドなので、二人で寝てもそこそこ距離はある。
「あの……これ言うの恥ずかしいんですけど、笑わずに聞いてもらえますか」
「何だ?」
「昨日の夜……宮本さん、ずっと篠田さんと照子さんと話してて、私とはあまり話してくれなかったので、なんか、ちょっと、まだ一緒にいたいんですよ」
そう言って理瀬はぐっ、と体を寄せてきた。シャツの胸元が開いていて、きれいな鎖骨が見えている。視線をもっと下げたら、シャツの中身まで見えそうなほど近い。
「なんだ、お前やきもち焼いてるのか」
「……」
「そんな顔するなよ」
理瀬がちょっと寂しそうな顔をしていたので、俺は髪を撫でてやった。理瀬の体を安易に触ってはいけない、とは思っていたが、理瀬用のベッドの寝心地が想像以上によく、半分睡魔に襲われていたから、つい無意識的にやってしまった。
髪を撫でられていた理瀬は目をキラキラさせていた。俺の記憶は、一旦そこで途切れた。




