20.社畜と女子高生の新しい目標
「――というわけで、結局プロデビューはできなかった。その後照子との関係も悪くなって、それっきりなんだよ」
最初は少しだけ、と思っていたが、結局ほとんど話してしまった。
照子との出会いから、別れまで。
ただし、照子が俺をメジャーデビューさせるために大手レーベルのディレクターにしたことは、言わなかった。その前に一度メジャーデビューの話を断ったところまでだ。
エレンは興味津々で、時々質問を混ぜながらハイテンションで聞いていた。
理瀬は、聞いていたようだが、何も言わなかった。ずっとクッションを抱き、怪談でも聞いているかのようなおびえた目で俺を見ていた。
「はーっ、ただのおじさんだと思っていた宮本さんにそんな過去があったなんて……そりゃ理瀬も認める訳ですね。理瀬がただのおじさんを気に入る訳ないですもん」
エレンはこてん、とソファで横になり、ふとスマホを見た。
「あっ、もうこんな時間! 帰らないと!」
「俺も帰るよ」
しゃべり疲れていたので、帰るにはちょうどいい時合だった。
「……気をつけて帰ってくださいね」
理瀬は抱きっぱなしだったクッションを置き、そう言った後、俺だけにアイコンタクトを送ってきた。
何かあるな、と俺は思う。
案の定、エレベータの中でLINEの着信があり、『駅でエレンと別れたらもう一回家に来てください。迷惑じゃなければ、ですけど』と書かれていた。
YAKUOHJIの知られざる過去を聞けたエレンは上機嫌で(俺のことはどうでもいいらしい)、豊洲駅に向かった。俺は仕事が残っているから、と言ってUターン。
一人でタワーマンションのチャイムを鳴らすと、返事もなしに入り口が開かれた。
リビングに入ると、理瀬はさっきと同じソファの上で、クッションを抱いていた。
「どうした?」
「……」
「何かあった?」
「……」
「俺がいなくて寂しかったか?」
「寂しかった、って答えたら嬉しいですか」
やばい、なんか怒ってる。
女とさんざんすれ違いを重ねてきた俺でも、流石にそれはわかった。
「嬉しくなくはないな。誰かから求められてるのは心地いい事だからな」
「ちょっと雰囲気変わってますよ、宮本さん」
「変わったというか、素に戻ったんだよ。篠田はいなくなったし、理瀬も母親と再会した後はうまくやっていってる。何かに気を使う必要がなくなった」
「私には気を使う必要ないんですか」
「お前は立派な女子高生だよ。俺から関わらなくても十分やっていけるだろう。本当に自分でわからない事があった時だけ、俺に聞きな。まあ、理瀬のことなら、大体のことはわかるだろうけど」
「……もういいです」
理瀬はクッションを抱いたまま、ソファにごろんと寝た。
「悪かった。俺、女の子が怒ってる理由を当てるの、下手なんだよ」
「知ってますよ」
「なんで怒ってる?」
「……なんにも理由を説明しないでいなくなるのは、ひどいと思いますよ」
「篠田から聞かなかったのか?」
「篠田さんは『私が悪いから』しか言いませんでした。ちょっと前まで沖縄で一緒にはしゃぐようなカップルが、あんな短期間で別れるなんて、もっと他の理由があるはずです」
「知りたいのか?」
「知りたいです」
「おっさんの恋愛事情なんか聞いても仕方ないだろ?」
「さすがの私でも、あんなに近くにいたカップルがどうなったかくらい、気になりますよ」
「……まあ、そうだよなあ」
俺はちゃんと説明することにした。
俺としては、真剣だった。照子から遠ざかり、同年代の篠田と結婚して、ごくごく一般的な家庭を築きたかった。
しかし、そんな俺の甘い気持ちは、篠田に見破られていた。
本当に好きではない、と言われ、俺は否定できなかった。だから別れた。
「宮本さんは……篠田さんの事、好きじゃなかったんですか?」
「好きだよ。あいつ愛嬌いいし、多少無理な頼みでも聞いてくれるし、こっちが困るようなわがままも言わない。ただ俺の誠意が伝わらなかったんだ」
「……それは、照子さんのことがまだ好きだからですか?」
「それはない。照子とは音楽だけの関係だ。それに篠田と付き合う前、もう二度と会わない、って約束してる」
「……どうして上手くいかなかったんでしょうか。あんなにお似合いだったのに」
「俺が教えてほしいよ。付き合ってみたら案外違った、ってこともあるだろ」
「そういうものですか」
「さあな」
おそらく篠田と別れたあと、自分一人が置いてきぼりにされたようで、不快感が溜まっていたのだろう。
一通り話を終えて、俺達は一ヶ月ぶりに雑談をした。
和枝さんの経過はよく、退院してもいいくらいなのだが、病室にウイスキーを隠していることが判明してアルコール依存症の治療を受けることになった。しばらく入院したまま。
理瀬は元気で、二学期からの理系クラスの女子とはよく遊んでいるらしい。
「もう、俺がいなくても大丈夫だな」
俺が言うと、理瀬はどこか不満そうな顔をした。
「アラサー社畜おじさんが女子高生と二人でいるのは、やっぱまずいよ」
「……私、まだ宮本さんに教えてほしいことがあります。一緒に住んでなくてもいいので、相談に乗ってほしいんですよ」
「ふうん、何だ?」
「……笑わないでくださいよ?」
「おう」
「か、彼氏、を、作りたいんですよ」
「ぶっ」
そんなことを大真面目な顔で言われて、笑わないほうが無理な話だ。
「笑わないって言ったのに!」
「いや、すまん、まさかお前からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。何かあったのか?」
「特に何もないですけど……その、最近よく話してるお友達、みんな彼氏いるんですよ。『理瀬は彼氏作らないの?』とかよく言われて、その……」
「なんか寂しくなったって?」
「そ、そんな感じです」
「なるほどねえ。理瀬ちゃんもお年頃なんだ」
「~~っ!」
理瀬は手足をじたばたさせながら、ベッドの上で泳いでいた。
「しっかし、手伝えって言われてもな。学校で狙ってる男子とかいるの?」
「特にいないです」
「だったら身だしなみに気を使って、男子とも明るく話すようにすれば、そのうち誰かから告白されるよ。理瀬は成績もいいし、見た目もそこそこいいからな。モテるタイプだ」
「そ、そう、ですか?」
「ああ。自覚はないだろうが。ってか、告白とかされた事ないの?」
「今までは特に――あっ」
急に、理瀬の顔が青ざめ、体が震えだした。
「――どうした?」
まるで突然インフルエンザの高熱が襲ってきたかのような変わりようだった。俺は思わず、近くに寄って理瀬の姿を確認しようとする。
「あっ、いやっ、来ないで、こっち見ないで」
理瀬は俺を突き飛ばし、トイレに姿を消した。
「お、おい、大丈夫かよ?」
返事はなかった。
しばらくして、理瀬がトイレから出てきた。げっそりしていた。どうやら吐いていたらしい。
「……調子、悪いのか?」
「いや……」
「もしかして……赤ちゃん、できた?」
「エレンと一緒にしないでくださいよ」
この後も俺は理瀬を気遣ったが、「大丈夫です」の一点張りだった。
いきなり吐いて、大丈夫なわけないのだが。
「調子悪くてどうしようもなかったら、俺に言えよ?」
そう言い残して、俺は帰ることにした。




