7.バリキャリ母と家族旅行
「俺たちと一緒に沖縄へ行きませんか?」
例の高級ホテルのバーにて。俺がウィスキーに口をつけて早々に切り出すと、和枝さんは驚いた顔をしていた。いきなり沖縄の話をされるとは思わなかったのだろう。
「どうして沖縄なの?」
「出張で、沖縄のとあるリゾート会社へ商談しに行くことになったんです。向こうの会社のご厚意で、俺と篠田に二泊三日の部屋を用意してくれています」
「社員旅行みたいなものね。日本の大企業でもそういうことあるんだ」
「まあかなりの特例だとは思います。で、調べてみたら、そのリゾート会社って外資系で、和枝さんのシルバーウーマン・トランペットが出資しているみたいです」
「ふうん。で、」
この後、俺は和枝さんの質問攻めに会った。
電機メーカー勤務の俺がなぜ沖縄のリゾート会社へ商談に行くのか。俺がどこのビルでも使っている受電設備の話をすると、その製造コストや輸送コスト、運用コスト、競合他社の存在など、業界のありとあらゆる事について質問してきた。ビルの電気設備は、ビルを所有する企業なら誰もが投資しなければならないコストなので、和枝さんの興味を惹いたらしい。
和枝さんはとにかく頭の回転が早かった。理瀬もそうだったが、仮説を頭の中で組み立て、自分の中で結論づけるまでの時間がものすごく早い。だから自分の中の仮説に基づいて、いろいろな質問を俺にぶつけてくる。俺は今までの営業経験からなんとか答えられたが、その鋭い質問はうちの会社の経営層から営業部へ質問された時に似ていて、いつも対応しているナス課長の気持ちがなんとなくわかった、ような気がした。
「で、傘下の企業だから今からでもホテル取れるかも、ってお話よね?」
「そういうことです。まあ無理なのかもしれませんけど。どこまで影響力があるのか、俺には想像できませんし」
「私も聞いてみないとわからないわ。でも、宮本くんやあなたの彼女ちゃんが沖縄に行きたいのはともかく、理瀬を沖縄へ連れて行きたいのはどうしてなの?」
「はじめは興味なさげだったんですが、俺が『沖縄には米軍が駐留してるからアメリカ文化がある』って教えたら、意外にも興味を持ってました。あの子、和枝さんが働いているアメリカに興味があるんですよ」
「あの子がアメリカに? 本当に?」
この人、仕事のことならものすごく鋭いのに、娘の事になると鈍感すぎる。
いま別居中とはいえ、理瀬が正式に豊洲のタワーマンションで一人暮らしを始めてまだ三ヶ月。実の娘のことはいろいろ気にかけているはず。
「本当です。あの子、隙あらば和枝さんの話ばっかりしてますし、その延長でアメリカにも憧れがあるみたいです。将来はアメリカ留学も考えている、みたいな事言ってますし」
「あの子は、私のことが嫌いなはずなのだけど」
「嫌いなはず?」
微妙な言い回しだ。何か親子関係に亀裂を生じさせるイベントがあったのなら、明確に嫌われたと言うはず。
「……あまりかまってあげられてなかったから。聞いてると思うけど」
急に和枝さんが遠い目をしたので、俺は追及するのをやめた。
「俺の見ている限り、理瀬さんは和枝さんに会いたがっています。忙しいのは承知の上ですけど、理瀬さんと一緒に話せるのは日本にいる今がチャンスでしょう。俺の出張と同じ日じゃなくても、そもそも旅行先が沖縄じゃなくてもいいので、理瀬さんと一緒に居てあげてください。俺からのお願いです」
「……わかったわ。沖縄のホテルが取れるかどうか、調べてみる。私も夏休みくらい取れるから。でも、もし理瀬が私に会いたくないようなことを言っていたらすぐ教えて」
「そんなことは言わないと思いますけど、一応気をつけておきます」
「なんだか眠くなっちゃったわ」
和枝さんはカウンター席のまま支払いを終え、立とうとした。しかし急に立ちくらみでも起こしたのか、ふらついた。隣にいた俺が肩を抱いた。
アルコールの匂いと、甘い匂いが混ざって俺の身体に突き刺さる。とても四十代とは思えない色気だ。
正直、篠田や照子よりもぐっとくる感じ。
「あなたいい男ねえ? 理瀬にはもったいないくらいだわ」
「理瀬さんとそういう関係じゃないんですけど」
「私と寝ない?」
「酔ってますね。水飲んで寝てください」
「理瀬みたいな事言うのね」
「理瀬さんが、酔ってヘンなこと言い出したらそう言えって教えてくれました」
「よくできた娘で、私は幸せだわ」
結局和枝さんはまっすぐ歩けず、ホテルの人に部屋まで連れていかれた。
* * *
「みやもとさあ~ん」
日付が変わるころに豊洲のマンションへ帰ったら、篠田が悪酔いしていた。
隣には理瀬がいる。酔っぱらいの介抱には慣れているという理瀬だが、こんな遅い時間まで篠田に付き合わせてしまうのは申し訳ないな、と俺は思う。
「すまん、理瀬。そいつときどきすごく悪酔いするんだ」
俺は篠田を無視して、まず理瀬に謝った。女子高生に迷惑をかける酔っぱらいなんて、彼女といえども相手をする必要なんかない。
「いいですよ。今日のは、半分私のせいなので」
「理瀬のせい?」
「実は……」
「わたしもおしゃれなカフェでパンケーキ食べたいんですけど~!」
かまわず割り込んでくる篠田。だめだこいつ、早くなんとかしないと……
「パンケーキ? んなもん女子会で行けよ」
「うちの課の女子会は鳥貴○って決まってるんですよ~!」
「それはどうなんだ……? ってか、なんでいきなりパンケーキなんだよ」
「実は今日、エレンがうちに来てたんですよ」
「エレン……ああ、理瀬の同級生の江連エレンさん?」
言ってから、俺はまずいな、と気づいた。
江連エレンは理瀬の唯一とも言える同じ高校の友人で、やたらと理瀬におせっかいを焼いている。豊洲の街で理瀬と一緒にいた俺を、悪い男だと思って通報しようとした事もある。まあ、確かに俺と理瀬との仲は、通報されるような事案だから仕方ないが。
エレンには、俺と理瀬の関係を『大人としてアドバイスをくれる人』としか言っていない。理瀬の家で、俺の彼女と一緒に住んでいることは教えていないのだ。
そこを気づかれたのだとしたら、まずい。また通報されてしまうかもしれない。
「どうしてエレンちゃんがここに?」
「なんか親と喧嘩して家出したらしいですよ。私は興味ないのでマンションの中に入れなかったんですけど、篠田さんがかわいそうだって言うから仕方なく入れました」
「相変わらずお前はエレンちゃんに厳しいな……で、篠田のことはどんな風に紹介したんだ?」
「宮本さんの彼女です、って言いましたよ」
「彼女で~す」
酔った篠田がいちいち茶々を入れてくる。
多分記憶残ってないな、これ。
「なんで俺の彼女がここにいるんだ、って話にならなかったのか?」
「宮本さんからアドバイスを受けてたけど、最近は宮本さんから事情を聞いた篠田さんが私のことを気にかけてくれてる、っていう設定にしました」
「な、なるほど」
さすが理瀬。エレンに通報されない程度の設定を作ってくれていた。
男の俺より、女の篠田が相談相手になっていたほうが自然ではある。
「で、この前エレンちゃんとパンケーキ食べた話を聞いたのか」
「聞きましたよ~! 宮本さん、なんで女子高生にばっかりモテモテなんですか~! 私のこともちゃんとかまってくださいよ~!」
「その時はお前と付き合ってなかったし、エレンにパンケーキをおごったのは口止め料みたいなもんだったからな……お前が行きたいんなら、別にそれくらいいつでも行くぞ?」
俺がちょっとかっこつけて言ったら、篠田は眠っていた。くそ。
「ここで寝かせます?」
「いや、部屋に運ぶわ。邪魔だからな」
俺は篠田をお姫様だっこして、寝室のベッドへ運んだ。酒癖が悪いのは、昔付き合っていた照子も同じだった。だから酔いつぶれた女を勝手に運ぶことには何の抵抗もない。ただ、俺の筋力が老化で落ちているうえ、篠田は照子よりも重かった。腕と腰がいきそうになり、最後は篠田をベッドへ放り投げてしまった。それでも篠田は起きなかったが。
リビングへ戻り、理瀬と少し話すことにした。
「お水どうぞ」
「ああ……すまん。お前、ほんとに酔っ払いの相手うまいのな」
俺もまた酔っているのだ。身体にまとったアルコールの香りはごまかせない。
「騒いだりもの壊したりしないだけお母さんよりマシですよ。二日酔いで動けなくなられても困りますし……それで、お母さんと何の話をしたんですか?」
「俺と篠田と一緒に、お前とお母さんで沖縄に行きましょうって話をした」
理瀬はとても複雑な顔をしていた。この子は親に遠慮するタイプで、自分から「沖縄に行きたい」なって絶対に言わない。だから俺が言ったのだ。
「それで、お母さんはなんて言ってました?」
「一応、考えてくれるらしい。今度仕事で行くところ、シルバーウーマン・トランペットのグループ企業だから、和枝さんなら予約取れるかもしれない」
「そ、そうなんですか……わざわざ言わなくてもよかったんですよ」
「沖縄行きたいだろ?」
「……」
理瀬は何も言わず、もどかしそうな顔をしていた。沖縄に行きたがっているのは間違いない。だが母親である和枝に迷惑をかけていいのか、そこを心配しているのだと思う。
「まあ、お母さんのスケジュール的に無理かもしれんから、期待しないで待ちな」
「はい……ありがとうございました」
「さて、俺も酔ってるからさっさと風呂入って寝るか」
あれ、なんか大事なことを忘れているような……
今日のイベントは、和枝さんに沖縄の話をしたことと、エレンが家に来ていたことの二つ。
そうだ。江連エレンがうちに来た理由、ちょっとまずい気がしたんだ。理瀬はさらっと流していたが。
「なあ、エレンちゃん、親と喧嘩して夜遅くに家出だなんて、まずくないか?」
「あの子しょっちゅう家出するので問題ないですよ。やっぱり仲直りするって言ってましたし」
「うーん」
俺としては心配だったが、ウィスキーの酔いが回っていたこともあり、この日はさっさと寝た。




