4.社畜と沖縄出張(旅行)
「えーと、宮本くんと篠田くん、ちょっと来てくれ」
朝礼が終わった後、ナス課長こと館山課長が俺と篠田を呼び出した。
基本的に、営業課は一人でいくつかの案件を持ち、独立して動いている。だから二人同時に呼び出されることはまずない。その上、最近になって交際を始めた俺と篠田が同時に呼ばれたのだ。周囲のギャラリーが静まり、聞き耳を立てはじめる。
俺は昨日、新橋の高級ホテルで飲んだウィスキーによる二日酔い感を引きずりながら館山課長の席に向かった。篠田も同着する。なんか得意そうな顔をしていた。
「急で申し訳ないんだが、七月の最終週に沖縄へ行ってほしいんだ」
「えっ」「沖縄!?」
俺は普通に驚き、篠田は目を輝かせている。
「うむ。沖縄にあるリゾート会社から問い合わせがあってな。ホテルの受電設備を更新したいから、見積もりを作って持ってきてくれ、という話だ」
「……受注見込みはあるんですか?」
「西日本のメーカーのものを使っているらしいから、相当厳しいだろうねえ」
うちの会社は全国各地に納入実績をもつ電機メーカーだが、主たる納入先は関東だ。俺や篠田が担当している特別高圧の機器はとても大型で輸送コストが高いため、遠いところへ納入すると価格面で他社より厳しい条件になる。
沖縄に営業所はなく、主たるターゲットとしている訳ではない。降って湧いたような話だ。
「またえらい遠いところですね」
「飛行機で行けば三時間くらいだ。新幹線で地方出張するのと変わらない」
「七月下旬って観光シーズンですよね。飛行機とか、ホテルとか用意できるんですか?」
「向こうさんのご厚意で、もう飛行機もホテルも確保してくれているらしい。なにせリゾート会社だからなあ」
「……あんまり無計画に出張入れられると、今やってる案件が終わらなくなるんですけど」
「そこは心配するな! お客さんから設備規模を聞いて、もう見積もりは作ってある。あとはキミたち二人でお客さんからヒアリングして、ちょちょいと直してくれればいい」
あまりにも出来すぎた話だ。地方出張といえば、普通は切符やホテルの手配、お客様との事前交渉などをいきなり投げられ、残業に拍車がかかると決まっている。だから安易に受けたくないのだが、今回の話は少し違う。何なら何まで用意されている。
「行きましょうよ、宮本さん。夏の沖縄なんて最高じゃないですか」
篠田は乗り気だ。ここ最近、仕事上のスケジュールが全く合わず、同じ社有車で出張することもなくなっていた。マンションで毎晩話しているから別にいいんだけど。
「遊びに行くんじゃないんだぞ」
「ちなみにお客さんとの打ち合わせは初日だけで、ホテルは二泊三日用意してある! 初日が終わったら、あとの二日は自由に観光していいぞ! 一泊分の宿代は自腹になるがね!」
ナス課長がおじさん特有の、こちらの話を聞かず一方的に伝えてくるモードで言ってきた。よく見ると、顔が少し赤くなっている。むすっとしている事も多いナス課長だが、今は精一杯の作り笑顔という感じ。
周囲のギャラリーも、ナス課長の言いたいことがわかったらしく、クスクス笑い始めている。
俺と篠田のために、沖縄の案件を取っておいてくれたのだろう。
「……わかりました。沖縄出張、俺と篠田で行きます」
おせっかいが功を奏したと思ったのだろうか、ナス課長は満面の笑みで出張先のリゾート会社のことを説明し始めた。遠くの席で、同僚の男がひゅう~、と口笛を吹いている。
俺はその様子を冷静に眺めながら、自分がこんな幸せイベントの真ん中に居ていいのだろうか、と少しさびしい気持ちになった。
* * *
「沖縄だよ! 沖縄だよ理瀬ちゃん!!」
帰宅後、めちゃくちゃテンションの上がった篠田はビールを飲み、酔った勢いで理瀬に抱きついていた。理瀬は嫌そうな顔でされるがまま。
「……理瀬、こいつ引っ込めたほうがいいか?」
「お母さんが酔っ払って帰った時よりはマシなので大丈夫ですよ」
どちらが大人なのかわからないくらい理瀬は落ち着いている。
この前一緒に飲んだ理瀬の母親・常磐和枝は、あまり酒癖の悪い人には見えなかった。俺との初対面だから本気を出していなかったのか、あるいは歳をとって落ち着いたのか。しかし親子とはいえ酔っぱらいに付き合わされていたのはちょっと可愛そうだな。
「理瀬ちゃんは沖縄、興味ないの?」
「あんまり興味ないですよ。暑そうなので」
「ヒートアイランド現象起こしてる東京よりは暑くないらしいよ! 理瀬ちゃん若いんだから、水着でビーチとか行きたくないの?」
「私は日焼けしたくないのでいいですけど……篠田さんは海、行くんですか?」
「行くに決まってるでしょ~! ね、宮本さん!」
「えー」
二十代とはいえアラサーに差し掛かる俺にとっては、海水浴なんて遊ぶというより拷問に近い。せいぜいキレイな水着のねーちゃんを見て癒やされるくらいだ。もちろん篠田の隣でそんなことはできないが。
「私の水着姿、見たくないんですか!」
「水着着れるのかお前」
「あー! 今めっちゃ失礼なこと言いましたね宮本さん! 確かに高校時代陸上やってた頃よりは太ってますけど大丈夫ですもん! グラマラスになっただけですもん!」
「じゃ、一人で泳いできな。俺はステーキでも食ってるから」
「ひっどーい!」
「沖縄でステーキ、ですか?」
理瀬が興味を持った。ステーキが好きなのだろうか? いやステーキが嫌いな女子高生なんていないはずではあるが、そこに興味を持たれるとは思わなかった。
「わざわざ沖縄まで行って、東京でも食べられるステーキなんですか?」
「ああ、沖縄は米軍の占領期間が長かったし、その後も米軍基地がずっとあるからアメリカ文化的なものが多いんだ。アメリカンな感じのステーキハウスで食うステーキは最高だぞ」
「アメリカ風のステーキ……」
ああなるほど、と俺は思う。理瀬は和枝さんに憧れがあり、それは同時にアメリカ的なものへの憧れでもある。シルバーウーマン・トランペットは米国系企業で、和枝さんは少なからずアメリカ文化に触れているだろう。実際、アメリカに滞在していたわけだし。
「沖縄、興味出てきたか?」
「……少しは」
ここ最近でなんか素直になったよな、と俺は思う。最初は俺相手でも、こういうちょっと弱気でかわいらしい仕草は見せなかった。あっけらかんとした篠田が近くにいるからだろうか。
「なあ、せっかくだから、お母さんにお願いしてみたらどうだ?」
「お母さんに?」
「いくら忙しくても夏休みくらいあるだろ。東京もいいが、家族旅行で沖縄へ行くのも夏休みの過ごし方としてはいいもんだ。せっかくお母さんが日本にいるんだし、話すだけ話してみなよ」
「……お母さんは忙しいですよ」
「今度、俺から言ってみようか?」
「……私に気を使わなくていいですよ」
ふうん、と言って俺は会話をやめた。
高校生って複雑な年頃だから、いままで仲良しだった母親と急にコミュニケーションがとれなくなることもある。理瀬は遠慮しているが、機会があれば話しておこう。
「あーーーーー!!!!!」
俺が理瀬と話していたら、篠田がスマホを見ながら急に大声をあげた。
「どうしたんだよ!」
「見てくださいよこれ!」
画面を見せつけられ、どうせつまらないことだろうと思った俺は、一瞬にして体中が凍りついた。
『注目の作曲家YAKUOJI、早くも有名歌手☓☓と熱愛疑惑!?』
篠田は続いて理瀬にその画面を見せ、一人で足をばたばたさせていた。
「あー! YAKUOJIちゃんは純愛派だと思ってたのに~! こんなおじさま歌手と付き合うなんて~! ショックだよお~!」
いちばん大声でショックだと言っていたのは篠田だが、この場で一番ショックを受けているのは俺で、その状況を一番冷静に理解しているのは、理瀬だった。




