22.社畜とそれぞれの正義
「いやあ、やりましたな、宮本さん。というか、理瀬ちゃんが凄いですわ。これさえあれば古川を地の底まで追い詰められますわ」
例の雑居ビルで、俺は前田さんに理瀬が持ってきたペン型盗撮器具の写真を渡した。
「まだ中のデータは見てないみたいですけど。理瀬にそれをさせるのはちょっと」
「いや、ここまで来たら別に、理瀬ちゃんに頼まなくてもこっちでなんとかしますわ」
「なんとかする?」
「別にやろうと思えば、古川の家に忍び込んでモノ盗るくらい大したことないんですわ」
どう考えても犯罪行為だ。理瀬を助けるためとはいえ、前田さんにそこまで任せていいのか……という悩みもあったが、俺はある事を懸念していた。
「前田さん。この話、理瀬を解放するためだけに利用してください。古川をスキャンダルで落とすとか、そういう事はあまり考えないでほしいんです」
「はい? なんでですか。宮本さん、古川が憎くないんですか」
「憎いですよ。それなりの罰を受けるべきだと思います。でも、俺が心配しているのは、理瀬が性的虐待を受けたと疑われることなんです」
正直、古川のことはどうでもいい。地獄の果てまで堕ちてくれてもいいくらいだ。
しかし、古川をめぐる騒動のせいで、理瀬にあらぬ噂が立つことだけは避けたかった。
理瀬は被害者であり、何も非はないが、噂が立って有名になるだけでも、かなりのストレスになる。あくまで穏便に済ませたかった。
「はあ……それはまあ、たしかに迷惑ですなあ」
前田さんは手で顔を押さえ、何かを考えていた。あまり納得はしていないようだった。このところ、前田さんは理瀬を助け出すという視点ではなく、古川を追い詰めることに集中しているような気がして、俺は警戒していた。
「まあ、とにかく、あとの事は私に任せてください。宮本さんは、しばらく毎週月曜日、理瀬ちゃんと話してください。いざ騒ぎになった時、宮本さんに理瀬ちゃんがついて来なかったら、何も意味ないですから」
俺は少し前田さんを疑っていたが、俺一人にできる事もないので、しばらく任せざるをえなかった。
** *
次の月曜日の夜に例の公園へ行くと、理瀬はまたジャン○を片手に現れた。
俺たちは二人で座り、話した。先週よりは、緊張した感じが抜けて、以前の感触に戻っていた。
「前田さんに、あの事は伝えた。しばらくしたら古川を追い詰められるらしい」
「どうやって、ですか?」
「わからん。前田さんはそういう道のプロだから、なんとかしてくれるらしい。あまり騒動にならないように、とは頼んでおいたが」
「ちょっと怪しい気がしますけど……お母さんの友人という事なら、心配ないと思いますよ」
話すことはすぐになくなって、無言の時間になった。というより、理瀬が何も話さなくなった。待っていたら、何も言わずに俺の腕を抱きしめた。
いつの間に、こんな女っぽいやり方を覚えたのだろうか。俺と付き合いはじめた時の篠田みたいだ。
「……やめろ」
俺は、理瀬を体から離した。
「いつまで我慢すれば――」
「大切は話がある」
まだ恋人気分でいる理瀬が、知らない人を見つめる猫のように、ぽかんとした顔で俺を見ている。
「俺はお前のことが好きだ――が、古川からお前を解放できたら、少し距離を置く」
「どういう、意味、ですか……?」
「以前の、ちょっと会話したことがあるJKと会社員の関係に戻るって事だよ」
「え……?」
まさかそんな事を言われると思っていなかった理瀬は、きゅっとスウェットの袖を握り、泣きそうな顔をしていた。
「すまん。俺が勘違いさせるような事をしたからだ」
「嘘だったんですか」
「嘘じゃないんだ。嘘じゃないんだよ、本当に。こんなに人を真剣に好きになったのは本当に久しぶりだ。でも、俺とお前は……社畜と女子高生だ。付き合っていい関係じゃない」
「私は気にしませんよ!」
今更そんな事がなんだ、とでも言うように、理瀬が俺に迫ってくる。
「すまん」
「ど、どうしてそんな、いきなり、そんな話になるんですか」
「和枝さんが亡くなった今、後見人を正式に俺とするのは不可能だからだ」
「そうじゃなくて……なんで、いまさら、そんな硬い話をしてるんですか」
賢い子なのに、理瀬はまだ現実的な話を認めようとせず、おとぎ話の世界にいる。
「すまん」
「謝られても困りますよ――私、一人でどうやって生きていけばいいんですか」
「一人で生きていけるように、それなりの指導をしたはずだが、もう忘れたのか」
「っ!」
「俺は――お前に好きになってもらうためではなく、俺がお前を好きになるためでもなく、お前が一人で生きられるように手を差し伸べたんだ。最初に戻るだけだ。何も間違ってはいないさ」
「……っ!」
どうやら俺の決心が硬いようだと認めた理瀬は、さめざめと泣きはじめた。
和枝さんが亡くなった時に理瀬の泣き顔はさんざん見たが、その時とは雰囲気が違った。あの時が夕立のように突然現れ、激しい雨だったとすれば、今は雪国の大雪のように、とめどなく静かに降り積もる悲しみを、俺に思わせた。
「すまん」
「……宮本さんの、ばか」
「すまん」
「……そんなんだから、篠田さんにも、照子さんにも振られるんですよ」
「知ってる」
「本当にばか……」
「ああ。でもお前にはバカになってほしくないんだ」
「もういいです。宮本さん、一度言い始めたら絶対変わらないの、知ってますよ」
「すまん」
「だから、もう謝らなくていいです……でもちょっと、時間をください。今はまだ、ちょっと、宮本さんのいない世界で、一人で生活できるような気持ちじゃ――」
「理瀬、そこで何をしている」
突然、まぶしいLEDライトの光が俺と理瀬に当てられた。
「家にいないと思ったら、その男と何を話していたんだ」
古川だ。
理瀬の脱出には、気づいていないと思っていたが――
「どうして、ここがわかったんですか」
「家に着いたら、お前の部屋の窓が開いていた。こんなことは今までなかったから、部屋を探したら案の定、誰もいなかった」
理瀬がしまった、という反応をする。もしかして、俺に会えるから浮足立って、窓を閉め忘れたのだろうか。
古川の視線は、理瀬から俺に標的を変えた。
「忠告はしたはずだぞ」
古川は、俺に対して、丁寧な言葉使いをやめ、敵意をむき出しにしていた。
「そうですね」
見つかってしまった以上、俺に弁解の余地はなかった。
「私が呼んだんです! 宮本さんは悪くありません」
「理瀬、お前は黙っていろ」
有無を言わさず、古川が俺に迫ってくる。俺はベンチから立ち上がり、古川と、はじめて敵意どうしをすり合わせながら、対峙した。
「ついに本性を見せたか。だが私に対してどうする気だ? ただのサラリーマンのお前が、理瀬を保護する大義名分は一つもない」
「確かにそうだが、お前にだけは理瀬を任せられない」
「何故だ。私は実の父親だぞ」
「ロリコンに父親が務まるのか?」
一瞬、古川の唇が震えたのを、俺は見逃さなかった。
古川がどこまで感づいたのかわからないが、心当たりがあるということだ。
「証拠は押さえてある。お前はもう少ししたら、地獄に落ちる」
古川はこれでビビらなかった。全く表情を変えず、俺をにらみ続けている。さすが、官僚のトップに登りつめた男だ。どんなに弱い立場になっても、威勢だけは切らしてはいけない。サラリーマンとか公務員で出世する男はみんなそうだ。
しばらく無言で睨み合ったあと、古川は理瀬の腕をつかみ、「帰るぞ」と言って歩き出した。
「お前が何を言っているかはわからないが、忠告を破った罰は受けてもらうからな」
そう言い残して、古川は去った。理瀬は全力で抵抗していたが、大人の男の腕力に勝てる訳もなく、無理やり車に乗せられた。
俺はしばらく公園でぼうっとしたあと、前田さんに電話した。しかし電話はつながらなかった。
帰り道。ほぼ終電に近い電車で千葉の自宅へ向かっている時、照子から電話の着信があった。なぜこんな時に連絡してくるんだろうと思ったが、また泥酔しているのだろう、と思うと、相手をする気になれなかった。




