19.社畜と距離感
古川から連絡があった後、俺はこれまでの事をすべて前田さんに電話で伝えた。
『ほーん。どっちかっちゅうと、しくじった感じですか』
「いや。俺としては、理瀬にあのネガフィルムの存在を知らせただけで、かなり前進したと思います」
『それはどうでっしゃろ? 理瀬ちゃん、あれを見てどないするんやろか。賢い子やから、あれだけでは十分な証拠にならん、っちゅうことはわかるはずですわ』
「あれで古川に恐怖を覚えて、家を飛び出してくれればいいんですが」
『それはないですわ。古川が、探偵社かなんかを使って理瀬ちゃんを本気で探したら、絶対見つかります。家出なんかとても無理ですわ。宮本さんの家にかくまっとるところを見られたりしたら、完全アウトですわ』
「探偵社、ですか」
『はあ。あのクラスの人物は、それくらい使っとっても不思議ではないんですわ。理瀬ちゃんと宮本さんが会ったことがバレたんやって、多分探偵が尾行しとったんでしょ。その時間帯、古川は仕事で、間違いなく豊洲にはおらんかったみたいですし』
「理瀬は二十四時間監視されている、ということですか」
『そう考えた方がええでしょうな』
あの時、理瀬が立ち上がって周囲を警戒したことを考えると、理瀬は何者かの尾行に気づいているのだろう。
であれば、理瀬は監視されているとわかっていて、『典型的な反抗期のJK』みたいな態度を周囲に見せつけている事になる。
「前田さん、理瀬が古川に冷たい態度をとっている理由、わかりますか」
『いやあ。確かな事は言えませんが。ただ、親権者を決める時に、親との交流が適切だったかどうかは問われますんで、何らかの方法で古川を親権者でなくしたかったら、ハナからそういう態度でもおかしくないですわな。しかし、あのネガ渡すまで理瀬ちゃんは古川の弱点なんか知らんかった訳ですから、あんな態度とってもメリットがないような気もします』
「なるほど。わかりました。古川の弱点について、何かわかりましたか?」
『いやあ。何も手がかりなしですわ。平成初期の情報なんて、ろくにデータとして残ってませんし、当時の援交斡旋グループの消息もつかめません。あんまり首つっこんだら、私が援交しよるんちゃうかと疑われますし』
「ほどほどにお願いします」
『はあ。宮本さん、今度理瀬ちゃんに会うときは私によう相談してくださいよ。一回目やから宮本さんの言うとおり任せようと思いましたけど、無策なまま二回目はないですわ。年の差のあるカップルですから、男から接近しようというだけでマイナスになります。理瀬ちゃんから会ってくれるんが理想なんですが、そうもいかんようですし』
「わかってますよ。次は不用意に会わないようにします」
電話を切った後、俺は舌打ちをした。そのままスマホを地面に投げつけたかったが、買い換える金がないので、やめた。
俺も、前田さんも、有効な作戦は未だに持っていない。前田さんがこれ以上古川の弱点を暴けるとは思えないし、俺だけでは古川に立ち向かう力がない。唯一の望みは、理瀬があのネガフィルムを見て何か考えることだが、それを俺が知る術もなく、状況は悪い方向へ進んでしまった。
** *
何も進まないうちに数週間が過ぎたある日、平日の深夜に照子からLINE通話がかかってきた。
「何だよ」
『今送ったやつ見てみ~』
LINEメッセージにあったURLを見ると、週刊誌のネットニュースで照子と伏見がラブホテルへ入る姿が激写されていた。
伏見が何者なのかは完全に伏せられていた。照子には正式な交際相手がいないから、不倫という訳ではない。特に後ろめたい話でもないのだが、とにかく週刊誌的な野次馬根性で記事が書かれていた。俺は嫌悪感しか覚えなかった。
「お前、まだ伏見とつるんでるのか」
『ほなって~、京子ちゃんめっちゃうまいんやもん~』
照子は少し様子がおかしかった。ろれつが回っていない。泥酔したらこうなるのだが、一人ではそこまで飲まないと言っていたし、少し心配になった。
「酔ってるのか?」
『うーん、まあな』
「あんまり深酒すると次の日に響くぞ」
『ふーん』
「大丈夫かよ」
『剛が京子ちゃんの代わりに私のこと癒やしてくれたら、こんな事にはならんのやけどなあ』
「馬鹿。もっと騒動になるだろ」
『ええやんべつに』
「俺が困るんだよ。理瀬に見られたらどうするんだ」
『もー、さっさと理瀬ちゃんと結婚しなよ~』
「わかった、わかった。さっさと寝ろ」
『え~』
俺は一方的に通話を切った。
これまで、照子からこのような本当にしょうもない雑談だけの連絡はなかった。正式に別れてからは、ある程度の距離感を保っていたはずだ。
一度別れた女と、もとの距離感まで戻るのは難しい。篠田とは、もう完全に心が離れてしまった。それは男よりも女がそう望むものだ。
そう考えると、照子が泥酔しながら俺に雑談を仕掛けてくる理由は、わからなかった。最近照子とよくつるんでいる事もあるが、それでも距離感は保っていたはずだ。
何か嫌な予感がしたが、伏見がついているから大丈夫だろう、と考え、俺は翌日の仕事に備えてさっさと寝た。




