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16.社畜と営業職の勘

 伏見の性的指向を無理やり知ったことで、俺はかなりの罪悪感に苛まれた。

 間違っていたのではないか、と何度も自問自答した。そんなプライベートな事に踏み込んで伏見を傷つけるくらいなら、さっさと伏見とは縁を切るべきかもしれなかった。

 しかし、それもまた難しい選択だった。『一般的な結婚』に踏み出した伏見は、過去に俺が篠田へそうしていたのと全く同じだった。それは俺を疲弊させたし、結果的に篠田を傷つけた。理瀬のことに全力をかけている俺は、伏見のアプローチを受けて心が動くことはなかったが、互いに仮面をかぶったままで、本当の恋愛なんかできる訳ない。この関係がストレスになったまま二人とも歩んでいくしかなかった。それを断ち切りたいという気持ちはあった。

 結果的に、俺は伏見を少なからず傷つけてしまった。伏見の、自分自身に対するコンプレックスを聞いてしまった。相当な信頼関係がなければ話せないことを、俺の都合で無理やり引き出したのだから、責任は一方的に俺にあった。

 だから、結局、伏見は俺のことを恨んで、協力してくれないかもしれない。そう思っていた。

 ところが、例の一件の翌週、伏見の方から誘いがあった。


『今のまま理瀬ちゃんに会っても、何も進まないと思うので、あらかじめ作戦を考えましょう』


 伏見が何を考えて、俺に協力する気になったのかはわからなかったが、その提案に乗ることにした。

 駅前の安いカフェで俺と伏見は作戦会議を開いた。飲み物は、一番安いアメリカン。俺も伏見も社畜(公畜?)の哀愁が詰まったヨレヨレスーツ。華やかさは一切無くなったが、本音を出してしまった後だから、前より親身な関係になった、ような気がした。


「まず、私の知っている理瀬ちゃんの事を話します――結論から言うと、今の理瀬ちゃんは、誰にも心を開いていません。理瀬ちゃんと私が仲良くしている、というのは正直な話、嘘です」


 俺の予想通りではあったが、実際に聞くとショックなものだった。


「古川さんから聞いた事なので、私も正確に知っている訳ではありませんが、理瀬ちゃんが古川さんの家に来た日に、古川さんが色々と理瀬ちゃんに伝えたそうです。今まで何もしてこなかった事の謝罪、家での生活ルール、理瀬ちゃんの財産の管理、これからの進路……理瀬ちゃんは、ほとんどの提案に同意したみたいです。それは素直に従うというより、お母さんが亡くなって急に面倒を見ることになった古川さんに配慮しているようだったと、古川さんは言ってました」

「あいつならあり得るな。あんな性格だけど、意外に現実的で聞き分けのある子だから」

「私にはわかりませんけど、とにかく賢いんですよね、理瀬ちゃんは。で、そこまではよかったんですけど、最後に宮本さんの話をしたところで、顔色が変わった、と古川さんは言っていました」

「何の話だ?」

「宮本さんは絶対に理瀬ちゃんの体目当てだから、一緒にいたら不幸になる。二度と会うな、って。そこだけは同意しなかったので、何時間もそのことについて説教したそうです。その説教の後、理瀬ちゃんはそれまで異常に古川さんに対して他人行儀になって、それ以来態度は変わっていないそうです」

「なるほど……」


 俺の中で、色々と話がつながった。理瀬が俺と連絡を取らないのは、その影響だろう。


「年頃の女の子が年上の男性に憧れることはよくあるから、とも古川さんは言っていて、理瀬ちゃんが異常だとは思っていないみたいです。ただ、宮本さんの存在は絶対にブロックする気みたいですよ」

「それは、古川の評判が落ちて、キャリアに傷がつくからか?」

「古川さんほどの立場になれば、それもありえます。でも、それより理瀬ちゃんの人生の事を本当に心配しているみたいです。古川さんなりの優しさだと思います」


 伏見は古川を尊敬しているから、多少バイアスのかかった目線で見ている、と考えた方がいい。古川の過去を知ってしまった俺とは目線が違うのだ。古川の過去の援交疑惑については、まだ俺と前田さんでしか握っていない。教えるなら前田さんに許可をとるべきだが、おそらく無理だろう。本物のキャリア官僚である伏見にその情報を教えてしまうのはリスクが大きすぎる。この手のネタはどんな経路で漏れるか、全く想像もつかない。

 

「そんな訳で、私と初めて会った時、理瀬ちゃんはもう心を閉ざしている状態でした。というか、少しでも心を開いてもらえるように私が選ばれたんです。宮本さんに二度と会うなと言った時点で、古川さんと理瀬ちゃんの決裂は決定的でしたから」

「わかったよ。本当は、俺とお前が上手くいけば、古川はそれを理瀬に話して、俺の気持ちなんて嘘だったんだ、って言いたかったんだろうな」

「そうですね。こんなに美人で頭もいい私に宮本さんがなびかなかったのは、古川さんにとっても想定外だったと思いますよ」

「あっ、そう」

「宮本さん、けっこう女の子に冷たいですよね」

「まあな。しかし、そこまで知っているお前が、理瀬を俺に会わせた、と古川にバレたら、流石にまずくないか」

「偶然を装うしかないと思います。前に住んでいた豊洲の周辺でショッピングしてたらたまたま、とかですね」

「俺もそれくらいしか思いつかないな」

「私、そこまでは協力します。でもそこからは宮本さんが考えてください。多分、今の心を閉ざした理瀬ちゃんと会って話しても、あまり効果はないです」

「心を開く方法、か。今すぐどうこうとは言えないが、会って話せばなんとかなる気はするな」

「何を根拠に、そんなことが言えるんですか」

「営業職の勘だよ。メールで伝わらなかったら電話、電話で伝わらなかったら相手先に訪問して直接対話。人とのコミュニケーションってそういうものじゃないか」

「それは何となく、私にもわかりますけど……本当に大丈夫ですか」

「任せろ。俺はもう、理瀬のことを全力で助けるって決めたんだ。どうにかするよ」

「わかりました。その言葉を信じます」

「お前は、どうしてここまでしてくれるんだ? 別に手を引いてもよかったんじゃないか」

「それもそうですけど」


 伏見はカップに残っていたアメリカンを飲み干してから、こう答えた。


「私だって、理瀬ちゃんが今のままでいいとは思えないんです――会って間もない私にそう思わせるくらい、理瀬ちゃんは深刻な状況です」

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