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13.社畜とネガフィルム

 前田さんが指定した雑居ビルは、とても狭かったが三階が一フロアまるごと空いていた。俺と前田さんはそのフロアの一室にある狭い会議室で会った。これなら万が一にも誰かに見られることはなさそうだ。前田さんがどうやってこんな部屋を用意したのかは謎だが。


「何なんですか、古川の弱点って」

「いやあ……まさかこんなもんが出てくるとは思いませんでしたわ」


 前田さんは、机の上に何も書かれていない長形の茶封筒を置いた。すでに封は切られている。


「中身、見てみてください」


 俺が封筒の中身を取り出すと、ネガフィルムが出てきた。


「一応聞きますけど、宮本さんの世代ならそれが何かわかりますやろ?」

「ああ、もちろん。ガキの頃はフィルムカメラしかなかったので」


 一応、解説しておくと、ネガフィルムとはフィルムを現像に出した後に写真屋から渡される、使用済みのフィルムだ。通称ネガ。上書きして撮影することはできないが、ネガを使って再度同じ写真を現像することを焼き増しという。デジタルカメラが普及した今ではほとんど見なくなった。こんなことを説明しないといけないこと自体、おっさんとしては悲しい。

 ネガに写った写真は現像して見るのがベストだが、現像前のネガにはセピア色の画像が写りこんでいるから、何を撮っているかは、見ればわかる。俺はさっそくネガをじっくり見た。

 ほとんどが暗い部屋でフラッシュを炊いたような写真で、鮮明ではなかった。

中身を判別できるものを選んで見ると、女性の裸が写っていた。

何枚も見ているうちに、それが中学か高校の制服を着た少女だと、わかった。


「これは……」

「エンコー、いいましてな。携帯が世に出回ってすぐの頃は、まだ警察の規制も何もなかったんで、小さい女の子が小遣い稼ぎのために大人とやりよったんですわ。今はだいぶ規制が強化されたんで、滅多にないみたいですけど」


 なんとなく聞いたことはあった。俺は徳島県という地方出身だったので、周囲に援交をしている女子はおらず、別世界の話だと思っていた。


「……この写真、どこで手に入れたんですか」

「古川の弱点を探ろうにも、ほとんど何も出て来んかったんです。せやから、常磐さんの昔の知り合いを中心に当たってたんですわ。そしたら、ある常磐さんの友人の女性が、しばらくそれを預かっといてくれ、って頼まれとったらしくて。話では、理瀬ちゃんが十八歳になった時に一度返してくれ、という事になっとったみたいです」

「これが、古川の仕業だと、どうしてわかるんですか」

「そこは、私もまだ自信ないんですが……」


 前田さんはネガの中から一枚の写真を指差した。全裸でソファに横たわる少女の写真だったが、前田さんはテーブルの上にある外された腕時計を指していた。


「このロレックス、古川がずっとつけとるのと同じ物っぽいんですわ。正直、証拠としてはかなり弱いです。これだけで古川の仕業やと主張しても、誰もまともに信じてくれんでしょう。ロレックスちゅうてもありふれたモデルやからなあ。けど、常磐さんがこれを持っとって、その中の写真のロレックスが古川のものと一致するっちゅうことは、そういう事やないかと」


 前田さんの言うとおり、証拠は弱かった。しかし、状況的には間違いなく古川のものだ。亡くなった和枝さんがこんな物を趣味で持っているとは思えない。


「どうして、理瀬が十八歳になったら返すことになってたんですか」

「このネガ、常磐さんが古川と離婚した直後に預かったらしいんですわ。預かっとった女の人が言うには、これが古川と常磐さんの離婚の本当の原因で、常磐さんは理瀬ちゃんが大人になったら、それを教えようとしとったんやないかって」


 それなら納得できる。未成年相手に援交をしていた、という罪の重さは、ある程度大人にならないと理解できない。離婚の表向きの理由は性格の不一致という事になっていたが、こんな事はとても大声で言えない。お互いに悪名を立てないためには、隠すしかない。


「いやあ、おぞましいですわ。当時、中高生との援交が流行っとったのは私も知ってますけど、まさかあの男が手を出しとったとはなあ。中高生の女の子なんか、子供にしか見えませんよ、正味の話。性的な対象にするなんて、どうにかしてますわ」

「性的な対象……」


 前田さんの話を聞いて、俺はあることに気づき、それから体中に怒りと、焦りが生まれた。

何も言わず、鬼のような形相で俺は立ち上がった。


「ど、どないしたんですか」

「今すぐ古川の家に行って、理瀬を連れ戻してきます」

「いやいや、なんでそうなりますんや」

「古川が中高生を性的な目で見ているなら、理瀬が被害者となる可能性があるからです」


 前田さんは息を飲んだ。もしかしたら、ずっと会っていなかった娘を自分の家に同居させているのは、そのためではないか。だとしたら、理瀬はとても危険な状況に置かれている。

 俺は鞄を手にして、部屋の外に出ようとした。しかし前に進めなかった。前田さんが、俺を羽交い締めにして、制止していた。


「ま、待ってください宮本さん。落ち着いてください。気持ちはわかりますけど、古川は昔と違って立場もありますし、そう簡単に尾っぽを見せる男やないんです。殴り込みに行ったら、こっちが誘拐犯にされますわ。正直、このネガは証拠としては弱いですし」

「……くそっ!」


 前田さんに全力で止められて、俺は机をぶん殴ったあと、なんとか正気に戻った。

理瀬が傷つけられているかもしれない、と考えると、俺は居ても立っても居られなかった。

 しかし、ここで古川に敵だと認定されたら、それ以上理瀬に接近することは困難になる。一度落ち着いて作戦を考えるべきだった。


「……じゃあ、これからどうするんですか。このネガが証拠として使えないなら、こちらに何も打つ手はないですよね」

「はあ。そこなんですわ。そもそも児童ポルノは単純所持も禁止されとるんで、もしこれが古川の撮ったものでないとしたら、我々が犯罪者になりますし、危険なんですわ。とりあえず、当時、古川の周辺で援交に手を出しとったやつを探して、ネタ売ってもらおうかと思っとります」

「それは……時間がかかりますよね」

「はあ。正直、いつ終わるか見当もつきませんな」

「だったら、代わりに俺から、作戦があるんですが」

「はい? なんですか」

「伏見京子の、学生時代の交友関係を調べて欲しいんです」

「伏見京子? 古川の部下で、最近宮本さんに色目使ってる女のことですか?」

「そうです。彼女の交友関係、というか、単刀直入に言うと恋愛関係を探ってほしいんです」

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