8
そこは青山にあるMIYATAの本社からほど近いフレンチレストランだった。三人は個室に通され晴海と孝輔は二人用のテーブル席に案内された。
「それでは支度をしてまいります」
そう言って朋美はその場を後にした。
「あれ? そう思っているでしょう?」
「いえ、あ、はい。てっきり彼女を紹介してくれるのだと思っていましたから」
「正直ね。相川とはここで知り合ったのよ」
「えっ? そうなんですか?」
晴海が唐突に切り出した話に孝輔はどう答えればいいのか判らなかった。
「以前、主人と形ばかりの結婚祝いをこのお店でしたの。その時私たちをお世話してくれたのが彼女だったわ。その時の対応がとても気に入って、あの子を私付の秘書にしようと思ったの。でも、断られたのよ。やりたいことがあるからってね。それもまた気に入ってね。それで、条件を出したの」
晴海が言うには朋美は将来自分の店を持ちたくてここで修業をしているのだと言うことだった。それを応援するからということで承諾を得たのだとか。そして、昼間は専務付きの秘書として、夜はここで修業を続け、最近になって、西新宿のあのバーを任せていると晴海は話した。。
しばらくすると、朋美がワイングラスとワインを持って戻ってきた。
「今ではここのソムリエもやっているのよ」
晴海がそう言うと、朋美は恥ずかしそうに微笑んで二人のグラスにワインを注いだ。晴海はそのワインを一気に飲み干すと、席を立った。
「二人が中学校の同級生なのは知っているのよ」
晴海の言葉に孝輔も朋美も驚いた。
「一応、私の傍に置く人間の経歴くらいは調べるわよ。じゃあ、後は二人でごゆっくり。私はこれからあの人のところに殴り込みに行ってくるわ」
「えっ? 殴り込みって?」
「知ってるでしょう? あの人の女癖の悪さは。今のままでは会社がおかしくなるわ。今まで見て見ぬふりをしていたのは今日のこの日のためよ」
そう言って晴海はバッグからタブレットを取り出して二人に見せた。MIYATAの持ち株の80%を晴海が所有したという報告がそこには書かれていた。
「明日からMIYATAの社長は私よ。でも、安心して。あなたの会社とは今まで通りの取引をさせてもらうわ。そして、相川は明日から社長秘書よ。もちろんお店はそのまま続けてちょうだいね」
そう言うと晴海は意気揚々と店を出て行った。
嵐が去った後のように静まり返ったその場所で孝輔と朋美は出された料理を無言で食べていた。先に沈黙を破ったのは孝輔だった。すべてのコース料理を食べ終えてデザートが出された時だった。
「初めて俺があの店に行ったとき、俺と専務の関係を相川さんは知っていたの?」
「まあね。これでも専務付きの秘書ですもの」
「じゃあ、ホテルの部屋でのことも?」
「ええ。打合せの後のこともね。専務がとても褒めていたもの。森田君のマッサージはプロ並みだって。ただ、その後の悪ふざけのことは専務も反省していたわ」
「えっ! そこまで知っているの?」
「秘書だもの」
「まさか、見ていたわけじゃあ…」
「ばかね。そんなはずないじゃない。専務は私には何でも話してくれるのよ。でも、株のことはさすがに私も知らなかったわ」
朋美の話を聞いていた孝輔はふと我に返って頷いた。
「明日から大変だな」
「そうね。ねえ、これからお店に来ない? 今日はもう会社へは戻らなくていいんでしょう?」
「そうだね…」
そう答えた孝輔の頭に香織の顔が浮かんだ。孝輔はそれを振り払い、席を立った。香織のことはいずれ朋美にも話さなければならない。そして香織にも…。
今夜俺はまた彼女の夢を見るだろう。そう孝輔は確信した。