野村洋次の場合(1)
目を覚ました洋次は死を感じていた。断片的な記憶が頭の中に流れる。それは横断歩道。赤信号。目の端に何がか映る。サッカーボール。追いかける子供。迫る青の乗用車。手を伸ばす。それから洋次はハッとする。あの時自分は、とっさに子供の服を引っ張って歩道に戻し、その反動で身体が前に出た。
その瞬間世界から音が消え、時がゆっくりと進み始めた。
「やばい、ぶつかる。」思うが早いか身体の内臓が全て口から出そうになるほど強い圧迫感を感じる。車にはねられたと気付いたのは視界が赤く染まり、先ほどの子供が泣き、身体中が発火したような熱さと鈍い痛みに支配され声すら出ない状況で、救急車の音が遠くから聞こえ始めてからだった。
「これは死ぬかもしれない」
そして目を覚ました。目の前には自分がいる。ここは病室ではない。暗いコンクリートがむき出しになった部屋で、自分の他にも何人もの人が眠っている。いや、眠っているのではない、死んでいる。なぜなら自分以外の彼らの顔には白い布がかけられているからだ。
「幽体離脱・・・的な」
一人でにつぶやく。何をどうすればいいのか、なにもわからない。
「俺、死んだのか」
自分は死んだのだ、口にすると実感が湧いてくる。もう二度と目の前に横たわる身体に戻ることはできない。
友人と食事に行く約束も果たせない。愛する人との結婚式も挙げられない。
好きな漫画の続きももう読めない。家にたまったゴミも放置したままだ。
もう自分は死んだから、何もできないのだ。
洋次は死を自覚した瞬間、深く、暗い闇に突き落とされた気がしてその場に座り込む。
胸の中から何かがこみ上げてくるような感覚。涙だ。とっさに目をこする。
しかし当てた手は身体をすり抜けて空を切る。
本当に身体がないという事実は洋次のギリギリ保っていた冷静さを崩すのには十分すぎた。
「あ…あ…うああああああああああ」
身体が勝手に叫びをあげる。
どうしようもない絶望感に包まれ洋次はただ声をあげることしかできなかった。