第9話
目的地はすぐそこだが、どうしても無視出来ない要素が浮上した。
辺り一帯が危険性を知らせる赤の領域で染まっているのだ。
特に佐藤さんのアパートが有る辺りは非常に濃い赤い色をしている。
「…俺のスキルが、目的地辺りに危険があると報せています」
「な、なんだって!?」
俺の忠告を受け、佐藤さんが取り乱している。
どうする。
たとえどんなに危険だとしても、佐藤さんは行くと言うだろう。
「佐藤さんが行くのなら、俺も行くよ」
佐藤さんに一人でも行くと言われそうな気がしたので、先んじて釘を刺しておく。
「ありがとう。
…僕は、僕も行くよ」
佐藤さんは腹をくくったらしい。
「では、吉良さんと真理亞さんはどこか安全な場所で──」
「私も、行きます」
俺がそう言い掛けた所で、吉良さんが声をあげる。
「真理亞さんと晴明くんだけを残していく訳には…」
「私のことはお気になさらず。
お役に立てそうにありませんので、息子と共にどこか安全な場所で待機しております」
真理亞さんは晴明くんを抱き寄せ、覚悟を決めているようだ。
「…分かりました。
俺のスキルによると、今のところ一番安全そうなのは、あの雑居ビルの二階です」
「ありがとうございます。
ここまで無事に来られた貴方のスキルを信じております。
では、皆さんお気を付けて」
「分かりました。
皆、行こう」
佐藤さんと吉良さんは無言で頷く。
カートは物陰に隠すよう置いておき、すぐさま出発する。
目的の佐藤さんのアパートのすぐ隣のマンションでは大きな騒動が起きていた。
マンションには幾人かの人々が立て篭もり、下を目掛けて家電やら植木鉢やらを必死で投げ付けている。
そのマンションの地上付近は、夥しい数のモンスターに囲まれていた。
取り囲んでいるのはゴブリンで、布を使った簡素な投石器を用いて、小石を絶え間なく放ち続けている。
ゴブリンの強さにはバラつきがあるようで、危険性を示す赤い色にも濃淡のムラがある。
特にリーダー格と思われるやや体格の良いゴブリンからは危険な気配がする。
今のところは辛うじてゴブリンの侵入を防いでいるものの、住民からは疲労が窺え、突破は時間の問題に思えた。
目的の佐藤さんのアパートまで行くにはどうしてもゴブリン達の視界を横切らねばならず、動けない。
そんな時、マンションを見詰めていたリーダー格と思われるゴブリンが投石器を手に取り、石をセットし回転を加えていく。
十分な回転が溜まると、狙いを定め、撃ち放つ。
放たれた石の弾丸は、不用意に頭を上げすぎていた住民の頭を正確に撃ち抜いた。
途端、悍ましい程の悪寒が背中を走る。
危険性を知らせる濃い赤色が、急激にそのリーダー格のゴブリンを染め上げていく。
やがてそのゴブリンの体躯は一回りも二回りも大きくなり、筋肉は引き絞られ、それを覆う皮膚も硬質化していく。
「か、体の色が赤くなった…!?」
隣で見ていた佐藤さんが驚きの声をあげる。
そう、リーダー格のゴブリンの肌の色が緑から赤に変わったのだ。
危険目視スキルでも、真っ赤に染まっているように見え、突出して危険であると分かる。
「…あいつは、滅茶苦茶ヤバそうだ」
赤く変色したゴブリンを見ながらそう伝えると、二人とも予感はしていたらしく、薄らと汗を滲ませながら静かに頷いた。
脳裏には撤退の二文字がちらつく。
赤いゴブリンはというと、上から降り注ぐ家具を物ともせずに進んで行き、マンションの壁へと到達する。
そして拳を振り上げると、全力で壁を殴打した。
爆発音の如き轟音が辺りに木霊する。
ビリビリと衝撃がこちらまで伝わり、粉塵が立ち昇る。
なんて奴だ…。
まさか、モンスターも経験値を積むと、強くなるというのか。
煙が晴れると、壁には大きくヒビが入り、壁面のタイルは剥離し、鉄筋まで見えてしまっている。
赤いゴブリンは鉄筋を力任せに捻り、ひしゃげさせると、強引に穴を広げていく。
遂にはマンション内部まで繋がる大穴が出来てしまった。
「ガアアアアアアアア!!!」
赤いゴブリンは雄叫びを上げると、大穴からマンションの内部へと侵攻を始める。
マンションを取り囲んでいた大量のゴブリン達もそれに続くようにぞろぞろと中へ入っていく。
辺りに広がっていた赤い色は薄れ、逆にマンションが赤く染まっていく。
…危険な賭けになるが、チャンスかもしれない。